:08 飛び降りショートカット

 穴の入り口に向かって俺は【ケムリ玉】を投げる。

 すると、着弾した個所から白い煙が瞬く間に膨らみ、あっという間に広がった。


『なんだ⁉』

『煙幕だ! やつらケムリ玉を使いやがった!』


 プレイヤーキラーの声が近い。これはもう、正規ルートでは追いつかれるのは時間の問題だな。

 だったら――


「よし! 今だ! 走れ!」


 俺たちは、巨大なマシュマロのような煙の中を、来た方向とは逆に向かって走りだす。

 煙の向こう側からやつらの声が聴こえてくるが、かまわず足場を蹴る。


「ちょっ! ハヤタ、いま階段通り過ぎたけど⁉」


 そんなキサラギさんの声も今は無視して、ギシギシと鳴る足場をどん突きまで走った。


 足場の突端が見えてくると、そこでようやく俺たちは足を緩めた。  

 ここから先に道はない。あるのは底の見えない崖だけだ。


「よし。こっから飛び降りていく。まずはあそこの岩場までだ」


 言いながら俺は遥か下、崖の中腹を指さした。


「あそこって……えっ、どれ? どれのこと言ってんの?」

「ほら、あの、気持ち出っ張ってるとこ。ほら、あそこ」

「はあ⁉」


 キサラギさんが素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。目的地は遥か下、目を凝らせば少し隆起してるかな程度の小さな出っ張りだった。


「正気なの?」

「正気だ」


 委員長の真剣な問いに俺は簡潔に答える。


「大丈夫。落下ダメージで死なないルートを俺は知ってる」


 振り返ると、階下へと続く木製の階段があった。そこから目を上げると、白煙の向こうに人影が二つ。手探りでこちらに向かって進軍してきている。

 あまり時間はない。


「それに、正規のルートでちまちま降りてたら、いずれやつらに捕まってしまう。ここはショートカット一択だ」


 とは言ったものの、二人の目が、どうしても階段で行きたいと訴えていた。気持ちはわかる。だが、それだと早々に追いつかれて終わりだ。

 選択肢は変わらない。

 まあ、口で言うより見せたほうが早いか。


「んじゃ、お先」


 言うと、俺は何もない空間に足を一歩進め、空中へと躍り出た。


「「ちょっ!」」


 途端、内臓全てが浮遊感に包まれる。


 落ちる。


 冷たい谷の空気が頬を次々と切りつけていく。

 現実世界では骨折では済まない高さからの落下。まあ、まっとうな神経をしていたらまず試そうとは思わないショートカット。


 だが、数値がすべてのゲームでは、この技が成り立つ。

 猫のひたいほどの足場がじょじょに近づいてきて――


 ズシリ、と足の裏から頭の頂点まで衝撃がほとばしった。


 が、無論、ダメージはゼロ。どこも痛くはない。

 壁がいやに近いが、滑り落ちることもない。

 着地成功だ。


「さあ、次は誰が飛ぶ?」


 上を仰ぎ見ると、委員長の顔色が先ほどよりもいっそう蒼白なのがわかった。


「い、今ので脚は大丈夫なの⁉」

「大丈夫。ダメージはないよ。まあ、現実世界では両足複雑骨折は必至だろうけど、ここはゲーム。数値がすべてだから」


 安心させるために言ったのだが、委員長の顔から一段と血の気がなくなったような気がした。ふむ、ここは冗談でも言って場を和ませたほうがいいか。


「ただちょっと玉ひゅんはするけど、ってまあキミらにはカンケーないな。なんてったって、ついてないもんな。ハハッ」

「ハヤターッ! さっきからデリカシー死んでる!」キサラギさんの辛辣な声が降り注ぐ。「そんなんだからいまだにソロなんだよ!」


 着地以上のショックが俺を襲った。マジか。フレンドのいない理由って、俺のデリカシーが死んでるからなのか……。デリカシーって、どうやったら蘇生するのだろう。帰ったらチャットAIに相談するか。


『いたぞ、あそこだ!』

『くそが! 待ちやがれっ!』


 煙を抜けたのか、追っ手の声が耳に近い。


 すぐに委員長と目が合った。彼女の瞳の奥、猜疑さいぎの揺らめきがはっきりと見て取れた。

 その疑いを払しょくするべく、俺は真剣な表情を心がけて言った。


「大丈夫。委員長は絶対に俺が受け止める」


 その言葉に、黒髪をなびかせる委員長はすこし目を見開いた。それから隣にいたキサラギさんとしばし見つめ合い、やがてこくりと小さくうなずく。


 覚悟を決めたのだろう、すこし間をおいて、委員長は空中に身を投げ出した。


 まっ黒な豆粒だった彼女が等身大の大きさになるまでにかかった時間は、約2秒。


 ストン、と隣に着地した彼女の肩をそっと捕まえてやる。


「どお? どこか痛む?」


 訊くと、委員長は驚いた表情でふるふると頭を振った。


「だ、大丈夫……ありがと」

「グッジョブ」


 短くねぎらうと俺は上を向いて、


「さ、次はキサラギさ――」


 彼女のくつの裏がもうすでに目と鼻の先にあった――

 避け――無理。

 惚れ惚れするような飛び蹴りが俺の頬を穿つ。


「へぶしっ」


 ブレる視界の端、なんとか着地したはいいものの手をばたつかせてバランスを崩すキサラギさんの腕をがっしと掴む。そして彼女の体重を利用しつつ、俺もバランスをとる。どさくさにまぎれて、というかほんとうにヤバかったので、二人の肩を抱き寄せつつ、安定させる。


 ふう。危なかった。なんとか誰も落ちずに済んだ。


「スーパーごめん! ハヤタ、大丈夫だった⁉」


 見ると、体力が残り4しかなかった。すぐに老王瓶を頭の上からぶっかける。


「ほぼイキかけました……」


 俺の正直な感想に、委員長はくすくすと肩を揺らして笑った。その振動が俺の手の平に伝わってきてほっこりする。ずっとここにいたい。そんな俺の思いとは裏腹に追っ手の声が降ってくる。


「見ろ! やっぱりシボシだ!」

「あいつら、せっぱつまって自分から落ちていきやがった」


 足場からひょっこりと顔を出したのは、やはり、野盗窟やとうくつで絡んできた二人の男性プレイヤーだった。


「あーあ。これだから命を大切にしないやつらは……でも、この場合どうなんだ、見つけたオレたちに金、入んのか」

「いや、待て! 動いてる……動いてるぞ!」

「は? マジで⁉ ほんとだ、動いてる。ってか、あんだけ落ちてダメージは……?」


 見上げる俺の真顔で、剣を背負った男は気づいたようだ。


「……ショートカットか!」


 くけけ。いいんだぜ? 飛べるものなら飛んでみな。落ちても知らねーぞ。


「だが早まったな! そっから下はもうない! 残念だったな!」


 普通はそう思うよな。でも、あるんだな、これが。

 このぎゅうぎゅう詰め状態てんごくも名残惜しいが。


「さ、どんどん飛び降りていこう。次はあの木の根元だ」


 遥か下にミニチュアの盆栽ほどの小さな木がにょきっと出っ張っていた。


「はああああ⁉ あんな小っちゃ……無理!」

「いや、いける。みてて」


 飛んだ。

 玉ひゅんした。

 ごつごつした岩肌が猛スピードで過ぎていった。

 木の根元に着地。

 ダメージはもちろんない。


「いいよー」

「いっ、いいよーじゃねーよ。このバカハヤタッ!」


 そんな俺たちの呑気なやりとりに業を煮やしたのか、はるか頭上のプレイヤーキラーが弓を取り出すのが見えた。


 ぎりぎりと弓を引き絞って狙いをつける。直上からのスナイピングで二人を射殺す気らしい。

 俺の視線でそれに気づいたのか、キサラギさんが隣の委員長に言った。


「ヤバい、狙われてる。いそぐよシボ」


 こくり、と委員長も同意。

 矢を射られる前に、二人ともが同時に空に躍り出た。


「ちょっ、二人いっぺんはさすがに……⁉」


 だが、その心配は杞憂だった。

 はらりと、俺の両サイドに美少女が舞い降りる。


「お、おお……てか、うまいな……二人とも」

「えへへ、慣れてきたかも」と笑顔のキサラギさん。

「でも、攻略しているという気にはならないわね」と委員長は表情を曇らせる。


 直後、誰もいなくなった岩場に着弾した矢が、俺たちのすぐそばを落ちていった。

 上を見ると、もう一射撃とうと弓を引き絞っているようだが、この距離だ、まあ当たらないだろう。


 ともあれ、俺はいま感動していた。両手に華とはこのことをいう。

 父さん、母さん、俺、いま、幸せです。ヤギみたいに崖にへばりついているけど。

 

 飛び降りショートカットに慣れてきたのか委員長が下を指さして、


「今度はあの足場ね」

「え、ああ、うん。あそこだけど――って、ちょっ!」


 俺の言葉を最後まで待たずに、委員長は一番に飛んだ。


「慣れるの早すぎない……?」と俺。

「ね? 言ったでしょ? めっちゃゲーマーだって」

「たしかに」

「んじゃ、お先にー」


 短い銀髪をはためかせ、キサラギさんも後に続く。

 二人ともがうまく着地できたのを確認してから、再度、俺は上を仰ぎ見る。


 遥か直上、もう米粒ほどになったプレイヤーキラーたちが真っ赤になってキレ散らかしているのが見て取れた。

 ざまあ。


 ひとしきりスカッとしたところで、俺も飛んだ。

 貴重な宝箱も、強力なモンスターたちも、みんなみんなスルーだ。

 そうして、俺たちは亀裂谷の底、いわゆる【どん底】へと降り立った。

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