05:00 どん底

:09 どん底

「うわ~、谷の頂上へりがあんなに遠い」


 谷底に降り立ってすぐ、銀髪ショートを風にそよがせるキサラギさんが、頭上を見上げながら言った。


 あちこちに白骨が散見される、ごつごつした岩肌がむき出しの谷の底――通称、どん底。

 NPCもモンスターもいない不毛地帯。ここから南へ下れば【死せる熱砂ねっさのラシャーンびょう】があり、北へ上ると深淵に至る隧道へと通じていた。

 さっそく俺はタイムの確認をするべく、ステータスを呼びだす。


「よし。一番上からここまで、30分もかかってないな」


 思っていたよりもいいペースだ。途中、委員長救出イベントを挟んだのでもうすこし見ていたのだが、どうやら杞憂きゆうだったようだ。


 見ると、亀裂谷で合流した委員長もキサラギさん同様、遥か上空へと目を凝らしていた。自分の肘を抱くようにして立つ彼女の真っ黒な髪が、谷底の風にあおられてゆらゆらと揺れている。その横顔は息を呑むほど美しい。端正な顔のNPCを見慣れている俺ですら、ついつい見蕩れてしまう。ダメだ。ゲームに集中しないと。


「30分かぁ」とキサラギさん。「それってさ、やっぱ早いの?」

「早いとは思うけど……ていうのも、ここを正規のルートで一段一段攻略しようと思ったら、最低でも3時間はかかるから――」

「3時間⁉ そんなにかかるんだ、ここ……そんなところを30分でクリアしちゃったなんて……いくらなんでも早すぎない?」


 と、キサラギさんは委員長の顔色を窺うように訊いた。

 すると、視線で気づいたのか、委員長は頂上を見上げながらそれにそっけなく応える。


「……ええ。早すぎるわ」


 彼女の横顔はどこか寂しげだった。


「でも、あいつらはうまく撒けたね」

「……そうね」


 そこではじめて、委員長とキサラギさんは目を合わせた。二人はしばし見つめ合うと、お互いに柔和な笑みを浮かべ合う。数時間ぶりに再会できた喜びをひしひしと噛みしめているのだろう。


 非常に申し訳ないのだが、それもタイムロスです。

 とはいえ、俺もこの雰囲気をぶち壊したくはなかったので、つとめて冷静に、二人に向かって再スタートを促す。


「それでも、のんびりしてたらまた追いつかれる。話は歩きながらでもできるし、とりあえず、このまま隧道方面に向かって進もう」

「りょーかい! いこっ、シボ」

「ええ。わかったわ」


 ノータイムでそう応じたものの委員長は、再度、頭上の亀裂谷を見上げる。


 崖に張り巡らされた足場をしげしげと眺めるその横顔は、あんなに怖い目に遭ったにもかかわらず、どこか名残惜しそうに見えた。


 俺たちから遅れること7秒。ようやく彼女も歩きはじめる。


     ★ now loading ...


 どん底を歩く俺たちの真上に、さんさんと輝く太陽があった。


 そんなぽかぽかする陽気の中、真ん中を歩くキサラギさんは、隣を歩く委員長に向かって、ここに至るまでの経緯をざっくりと説明していた。


「そ。朝のホームルームん時にね。スマホいじってたらサンソウがジャックされてるって知ってビックリして。それで、どうしようってなった時に、前にシボと一緒に見てた超早い配信者のこと思い出して、で、あんま喋ったことなかったけど、後ろの席のハヤタを拉致って来たってわけ」


 ってわけ、じゃない。あんま喋ったことない陰キャを拉致るな。それはもう恐怖でしかない。

 と、不意に黒髪ロングの委員長と目が合う。ドキリとして、俺はゆっくりと目を逸らした。


 ふう。緊張した。キサラギさんともそうだが、委員長ともあまり、というかぜんぜん喋ったことがなかった。なのでどう接すればいいのか全然わからない。


「……そうだったのね。それは……申し訳ないことをしたわ」

「あ……いや……べつに……」


 ザ・陰キャ返答。泣きたい。

 歩くたび、鎧の金属音を谷底に反響させるキサラギさんは、滔々と続ける。  


「んでさ、学校飛び出して、ゲームできるところに向かってる途中で、ニュースサイトの動画視てたら、プレイヤー全員に50億の身代金がかけられてるって知って――」

「50億⁉」


 珍しく委員長が大きな声を出し、足を止めた。驚くのはわかるが、タイムロスだ。

 長い黒髪を耳にかけながら、彼女は思いつめたような様子でぼそりとつぶやく。


「なるほど、そういうことね」

「……シボ?」


 キサラギさんも立ち止まると、心配そうに委員長の顔を覗き込む。

 見ると、委員長の握った拳が、ギュッと力強くわなないていた。


「おかしいとは思っていたのよ。いきなり私に1億もの懸賞金がかけられた時から……でも今ので確信したわ。このゲームジャック……きっと私のせいなんだわ」


 委員長はまるで懺悔でもするかのように、まっすぐとキサラギさんの目を見て言った。

 対するキサラギさんは、んなバカなと言った様子で鼻で笑うと、一歩だけ彼女に近づいてから口を開く。


「それは考えすぎだって。全世界で数百万人がプレイ中なんだよ? それぐらい要求してもぜんぜんイケるって踏んだだけだよ。犯人のやつ」

「だったら、ほかのプレイヤーにも高額な懸賞金をかけるはずよ。それが私一人狙い撃ちっていうのは、つまりはそういうことよ」


 あり得る話だ。現に、目玉が飛び出るほどの懸賞金は、今のところ委員長にしか懸けられていない。それはつまるところ、犯人からの『今すぐこいつを見つけだせ』というメッセージとも受け取れた。


 キサラギさんも俺と同じ考えに至ったのか、なかなか二の句が継げないようだ。無言が無音を呼び、どん底がまさしくどん底な雰囲気となる。


 こういう場合、陰キャはなんて言えばいいのかさっぱりわからない。わかるはずもない。わかっていたら、陰キャやってない。どうしよう、歩きながら話した方が効率いいですよ、ってめっちゃ言いたい。でも、それを口にした瞬間、空気読めないで賞を受賞してしまう気がする。


 そんな賞は死んでもいらなかったので、俺も神妙な面持ちで、委員長が再び歩き出すのをひたすらに待ち続けた。


 と、業を煮やしたのかキサラギさんが口を開く。


「そうだよ、シボのせいだよ、このゲームジャック」

「キ、キサラギさん⁉」


 俺より空気読めないで賞にふさわしい人がこんな近くに⁉

 さらに下を向く委員長。垂れる黒髪が邪魔で、もう表情すら窺えない。


「でも、それがわかって、で、なに? どうすんの? このままここでじっとしとく?」

「……ええ……だって、むやみに動いたところで、二人に迷惑が――」

「一人、帰って来てるのに?」

「え……」


 そのキサラギさんの発言に、委員長の顔がすこし上向く。


「北米のプレイヤーでアンブレ……ラ? なんか傘みたいな名前の人」

「アルブレラルです。俺と同じRTA走者の。ちなみにタイムは俺のほうが早い」 


 と、俺は素早く的確に補足を入れる。陰キャのできることといったら、これぐらいしかない。


「その人、正規のルートでクリアして戻ってる。現実世界に」


 その言葉で委員長は完全に前を向いた。そしてその横顔、彼女の元々大きかった瞳が、さらに大きく見開かれる。


「それを知って、で、シボはどうする? それでもまだ、どこかでじっと隠れていたい? それとも、クリアを目指して頑張りたい?」


 そう親友に問われ、委員長はキサラギさんと俺を交互に見やる。その茶色い瞳は、もう迷いがないように見えるが。


「もし後者のほうを選ぶなら、手伝うけど? ね、ハヤタ」


 すごいところでお鉢が回って来たので、俺はとりあえずこくりとうなずく。


「俺の計算が正しければ、夜には帰れる」


 その一言が決め手となったのか、委員長はようやく表情を緩め、うん、とうなずいて言った。


「……クリアを目指すの…………手伝ってください」


 まるで体育館裏で告白を見ているかのような気分だった。


 と、親友のクリアを目指す宣言に気をよくしたのか、キサラギさんの顔がパッと明るくなる。俺もまんざらでもないような表情をつくる。そのほうが、みんなが早く歩いてくれそうだったから、というのは口が裂けても言えない。


「よーし、じゃあ、さっそく出発だー!」とキサラギさんが拳を掲げる。

「あっ、今ので数分ロスしたんで、二人とも、早歩き、いいすか」


 そそくさと歩を進める俺の背中に、キサラギさんが鉄球のような言葉を投げてくる。


「ハヤター……そゆとこだぞー?」 

「えっ……あっ」


 ……ヤバい。空気読めないで賞を受賞しちゃったか、これ?

 でも、悲しいかな俺はRTA走者。空気読めないで賞を受賞しても、歩くスピードはついぞ落とせなかった。


「ごめんて」


 謝罪を口にしながらも、俺はスタスタ歩く。

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