:04 ケツジャン透過法

 古戦場の森へと続く森林地帯に入ったので、俺たちは足を緩めた。


 かなりの距離を走ったので、半裸のキサラギさんは肩で息をしていた。白い下着に支えられた大きな胸も上下に激しく揺れている。まあ、スタミナ管理は慣れだ。こればっかりは仕方がない。


「ちょっ、じろじろ見ないでよ。えっち」

「ごめんなさい」


 俺は白い下着から最速で森の奥へと視線を移動させる。


 まあ、ここまで来れば大丈夫だとは思うが……。というのも、この辺りはモンスターも強く、地形も入り組んでいた。それに、そこらじゅうに即死トラップが仕掛けられている。それらがバリケードの役目を果たしてくれるとは思うが。

 でも、まあ用心するに越したことはない。古戦場の森まで歩くか。


 俺は森を歩きながら、肩に刺さっていた短刀を引っこ抜く。湾曲した刃に、俺の血がべっとりとついていた。やはりアサシンの短刀で間違いなかったか。にしても、かなり痛い。ずくずくとした激しい痛みが、肩を中心に身体全体を巡っている。


「でも、まあ、こいつはもらっておくか」


 入手、と念ずるとそれはパッと消滅。アイテム蘭の文字列と化す。

 次いで、アイテム蘭にあった【老王瓶ろうおうびん】をタップ。

 

 と、真っ黒なとっくりが出現する。中を覗くと、透明の液体がなみなみと入っていた。そいつを傷口にぶっかける。

 ばしゃばしゃと患部にかかると、真っ赤になっていた傷口がじょじょに目立たなくなり、やがて痛みとともに消失する。いつも思う、こいつが現実世界にあったら今ごろ大金持ちなのにな、と。


「肩、大丈夫?」

「大丈夫。今完治した」

「そう……なら、よかった」


 しばらく歩くと、巨大な樹木にぶつかる。赤褐色の表皮を持つそれは、まるで大きなタコが行く手を阻むかのように道を塞いでいた。


「うわぁ、でっかい樹!」

「【老樹ろうじゅオクトパシア】。こいつの根っ子が道を塞いでいるせいで、ここからは先は行き止まりになってるんだ」

「え……行き止まりって……えっ?」

 

 大樹の前で俺を振り返ったキサラギさんが呆けた声を出す。


「ここから先に行くには、マップの真反対にある【文明ぶんめい跡地あとち】に眠るアイテム、【枯葉剤かれはざい】が必要で――」

「ちょっ、ちょっと待って⁉ それって袋小路に自分たちから入って来てしまったってこと⁉」

「そういうことになるな」

「そういうことになるなって……ハヤタ自信満々でこっちだって言ってたじゃん⁉ 下半身モザイクまみれで! アレは何だったの⁉」


 と、そのとき。

 遠くのほうで枯れ枝を踏む音がした。


 振り返ると、遥か後方、まだ小さいが二人のプレイヤーが森に入ったのが見て取れる。


『バカめ! ここはレベル20以下が来るような場所じゃねぇ! それにこの先は行き止まりだ!』

 

 それを耳にしたキサラギさんは、顔を真っ青にして、俺と老樹を交互に見た。

 そして、もう逃げるのは無理だと悟ったのか、大きなため息をついた。


「でも、そうだよね……こんな危ないゲームに誘ったのはあたしだし、動機がよこしまとはいえ、ハヤタはついて来てくれたんだもんね……」


 やけにしおらしい。


「ありがとね。ちょっとだけだけど、世界一のゲーマーとゲームできて楽しかったよ」


 ふむ、どうやらキサラギさんはあきらめの境地らしい。


 ゲームはここからなのにな。


「さっきから何を言ってるん?」

「え?」

「俺はこんなところで死ぬ気なんてさらさらない」

「えっ、でも、さっき、この先には行けないって――」

「行けないとは言ってない」

「え? でもさっき――」

「正規のルートでいくなら枯葉剤が必要って言っただけだ」


 俺は老樹に近寄る。赤黒い表皮が、まるで生きているかのように脈動している。

 そこから伸びる根っ子と根っ子の隙間には、透明の壁があった。


 もちろんそれは正常なゲームシステムによるものだ。ここを通過するために必要なアイテムを所持していないプレイヤーを、これ以上進ませないための見えざる壁。


「よく見てて。一回しかやらないから」


 呆然と突っ立つキサラギさんを横目に、俺は、見えざる透明な壁にケツをなすりつけた。そしてその格好のまま気合いを入れて、おんおん、と声に出しながらぴょんぴょんと小ジャンプを繰り返す。


 この小ジャンプがミソだった。思いきり飛んだらこの技は成功しない。例えるなら、野生のサルが大木の表皮でリズミカルに自分のケツを掻くような、そんな仕草だ。


 そんな俺の突然の奇行にキサラギさんは終始真顔だった。いろいろ思うところがあるのだろう。冷たい視線がちょっと胸に痛いが、いまは我慢だ。


 何度目のジャンプだったか――


「おんっおんっおっ――」


 俺のケツは透明の壁をスルッと抜けた。もちろん身体全体もそれに続く。つまり、本来なら行けないエリアに侵入したのだった。


「ええっ⁉ ちょっ、ええええっ⁉」


 のけぞるほど驚くキサラギさん。初見なら無理もない。


「さ、キサラギさんも早く」

「ええええっ⁉ あ、あたしもやるの⁉ いまのきっしょいサルを⁉」

「きっしょいサルて」


 そのとき、キサラギさんの後方で男の声がする。


『おいっ声がしたぞ! 老樹のほうだ!』


 俺は声のしたほうから、呆然と突っ立つキサラギさんへと視線を戻す。


「もうすぐやつらが来る。さあ、死にたくなかったらやるんだ」

「うぅ……わかったよ……でも、うまくできるかな……」


 小首をかしげながらも、キサラギさんは透明の壁に尻を向けた。

 

 目の前でぷにょりとこすりつけられた彼女のケツは、なかなかの迫力があった。白い下着からはみ出るほどの肉。なるほどこれがギャルのケツか。大きめのスライムが二匹ってところか。


「そう、壁にケツをこすりつけて、そう、それで気合いを入れながら小ジャンプを繰り返すんだ。くれぐれも大きく飛ばずに、小ジャンプを心がけて」

「こ、こう?」


 押しつけられたプリンが上に下にと躍動する。


「もっと気合い入れて」

「のんっ! のんっ! のんっ!」


 キサラギさんの気合は、のん、だった。なんか可愛い。そして珍しい。


「ちょっ、ハヤタ、これかなりハズいんだけど⁉ ハズくて死にそうなんだけど⁉」

「助かりたかったら、もっとケツをへばりつけて!」

「こ、こう……?」


 のんっ! のんっ! のんっ!


 俺の指導がよかったのか、意外にも早くキサラギさんのケツはズルッと壁を通り抜けた。

 とととっ、とうしろにバランスを崩す彼女の肩をやさしく受け止めてやる。


「うそ⁉ イケた……?」

「ああ。イケた」

「イケた! イケたよハヤタ!」

「ああ。グッジョブ」


 さっきまで凝視していた巨尻きょじりの持ち主に抱きつかれ、俺の下半身のモザイクが気持ち大きくなった気がした。


「はっ⁉ ちょっ、なんでそっち側にいる⁉」


 息を切らしながら現れた男が愕然とした表情で唾を飛ばす。


「いるんだから仕方ない」


 男は納得のいっていない顔で、今しがた俺たちが通過したばかりの透明の壁をドンドンと叩く。無駄な努力をご苦労さん。

 

 どうやっても壁を越えられないことにブチギレたのか、男はステータス画面を出すと、すかさず装備を変更。弓矢で攻撃を仕掛けてくる。

 

 有無を言わさず放たれた矢は、何事もなかったかのように透明の壁を貫通。俺の鼻めがけて急襲する。

 

 が、まあまあ距離が離れているのと、見知った武器だったので避けるのは容易たやすい。ひょいと避けて真顔で弓矢の男を見つめる。

 

 こめかみをぴくぴくさせた男が、二射、三射と立て続けに攻撃を仕掛けてくるが、すべて避ける。そして真顔で見つめ返す。何も言わない。ただ見つめ返すだけ。


「こ、こいつ……おちょくってやがる」

「いや、おちょくってないです。もともとこういう顔なんです」

「黙れ! しばくぞ!」


 おお、こわっ。


「でも、なんで老樹が枯れてねーのにあいつらは向こう側にいるんだ⁉」


 遅れてきたもう一人の男が不思議そうに言った。彼の言うとおり、老樹は依然、四方八方に触手を伸ばしており、クラーケンの如く来るものを拒んでいた。


「もしかして【ケツジャン透過法とうかほう】か……」


 ほう。知っているのか。


「それって……ゲームの中の見えない壁、ブロッキングボリュームを無理やり越えちまうっていうグリッチのことか……でも、あれってかなり難しいって聞くぜ?」

「それをやったんだろ……この短時間のうちに……いったい何者なんだ、おまえ?」

「いちプレイヤーですが。なにか」


 男のこめかみのピクピクがさらに激しくなる。


「おい! ヤツのプレイヤーネームは⁉」


 刀を背負った男が吐き捨てるように訊くと、後方の男がステータス画面を開く。


「ちょっと待て今調べる……最後に会ったプレイヤーは……あった! ハヤイヲ」

「どうもハヤイヲです。以後お見知りおきを」

「ハヤイヲってあれじゃね。たしか、RTA走者で配信者の――」

「知るかよ! どうせ弱小だろ!」

「でもどうするよ。枯葉剤はまだ取ってねーぞ」


 どうやらここを通るのに必要なアイテムを持っていないらしかった。ふう、助かった。

 ここは後半になってようやくたどり着くことができる高難易度ダンジョン。野盗窟でたむろしている中堅プレイヤーには縁のないところだ。


 だけど、そんな彼らにも、今の俺たちは逆立ちしても勝てない。もし二人のうちのどちらかが枯葉剤を持っていたらと思うとぞっとする。ギリギリの賭けだったが、うまくいったようだ。

 うまくいったついでに、彼らの情報で間違ったところを修正しておく。


「俺は弱小じゃない。どちらかといえば中堅だ。そこんところよろしく」

「黙れ! しばくぞ!」

「くそ。仕方ねー、時間はかかるが、亀裂谷のほうから回り込むぞ」

「たっぷりいたぶってやるから、そこで待っとけ。弱小配信者!」

「中堅です」


 そこは譲れなかった。

 見えない壁を挟んだ静かなる攻防が終わると、俺たちは、まるでタイムアップを迎えた織姫と彦星のように、それぞれ違う方向へと歩きだす。


 ここから先、森の密度がグッと上がる。

 古戦場の森は、まだはじまったばかりだ。

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