03:00 古戦場の森

:05 古戦場の森

 緑の天蓋から陽の光が幾条にも降りそそぐ古戦場の森。

 その名のとおり、大昔に合戦があったという設定の森で、鬱蒼とした、それでいて神秘的なエリアだった。そして古戦場というからには、そこらじゅうに使い込まれた剣や盾が転がっており、それらが植物になかば飲み込まれかけている状態で放置されていた。

 

 ここは全体マップでいうと端のほうに位置する。本来ならば終盤に訪れるエリアだ。そのため、出現するモンスターもかなり強い。だが運のいいことに、出現するモンスターは【人食いカズラ】や【死をマネキ】【出土する腐敗兵】と待ち伏せタイプが多く、不用意に近づかない限り襲ってはこなかった。

 

 それはつまるところ、隠れてじっとするならこれ以上ない絶好のエリアということを意味していた。


「よし、ここらへんでじっとして、事態が収拾するのを待とう」

「へ?」


 先を行く銀髪ショートのキサラギさんが気の抜けたような音を出した。それでも俺はかまわずに、生存確率を上げるべく、擬態ぎたいできるアイテムを探す。たしか、このへんに生えていたはずなんだけど……。


 下生えを足でかきわけながら練り歩く。と、ひときわ豪奢ごうしゃな剣のかたわらに、それは生えていた。紫色のマツタケ。イノシシも食わないような毒々しいキノコだ。


「おっ、あったあった」


 やはり俺の記憶は正しかった。キノコを根元からぽきっともぐと、呆然と突っ立つキサラギさんに見せてあげる。


「これは【変身ダケ】っていって、こいつを食えば、ゲーム内のオブジェクトになら何にでも変身できるんだ」

「変身して、どうすんの?」

「剣や盾になってそこらへんに転がってれば、ワンチャン助かるかもしれない」

「それって……えっ……」


 愕然とするキサラギさんの言葉を最後まで待たずに、俺はキノコを口へと持っていく。大きめのカサを奥歯で噛み切ると、じゅるっと粘性の高い汁が出てくる。その汁の不味さたるや激烈で、例えるなら、腐った卵と腐った牛乳を口でシェイクしたような味だった。


「ヴぉオオオ!」


 胃の反発を無理やり押し込むように、大量の胃液と一緒に飲み込む。

 そしてイメージする。ここいらにぶっ刺さる剣と同じものを――


 すると、すぐに身体全体がぽかぽかと温かくなってくる。やがて視界がぐにゃりと歪む。目の前にいる銀髪の少女も、たちまち抽象画のようにぐにゃぐにゃになった。


 今度は三半規管がおかしくなった。すぐに立っていることさえできなくなる。

 ストンと視界が下がると、もうできることは限られていた。声を出すこととステータス画面を呼ぶことだけ。

 さっそく俺はその二つを同時に行う。


「自撮りモードオン」


 するとステータス画面に今の俺の姿が映しだされる。半透明の板に映しだされた俺は、逆さまになった長剣だった。刃こぼれした剣が、地面にぶすっと突き刺さっている。まるで最初からそこにあったかのように。


「よし、イメージ通りだな」


 いい感じに森に紛れ込んでいた。これだと、万が一、ほかのプレイヤーがここを通ってもオブジェクトとしてスルーされるはずだ。


「約束が違うじゃん……」


 キサラギさんの声は弱々しく、すこし震えていた。

 そんな今にも泣きそうな彼女に、俺は心を鬼にして変身ダケをすすめる。


「はやくキサラギさんもキノコを食ったほうがいい。誰かが来てからじゃ遅い。そこの剣のそばにまだ三本生えてるから――」


 彼女は俺のほうへ一歩近づくと、地面を強く踏んで言った。


「約束が違うじゃん!」


 それは教室でも聞いたことのない、ギャルJKの腹からの声だった。


「委員長を……シボを助けてくれるって言ったじゃん⁉ アレはウソだったの⁉」

「ウソじゃない。ウソじゃないけど、こうも言った。ヤバくなったらすぐにトンズラこくって――」

「それは……」

「いまがまさにその時だ」


 中堅クラスのプレイヤーキラーに目をつけられた弱小パーティ。そんなの、ヤバいしかない。


「まあ、でも、正直なところ、俺もゲームの中がこんなんだとは思ってなかった……正直、舐めてたよ」


 俺は思っていることを素直に白状する。


「俺はこのゲームのことなら何でも知ってる。最高難易度を何周もクリアしているし、即死トラップの場所だってほぼすべて頭の中に入ってる。だけど、対人戦はからっきしダメなんだ。やってこなかったから――」


 オンラインでありながらも害悪プレイヤーはシステムで弾いてもらう、というぬるま湯のような条件で走っていた。というか、RTA走者はみんなそうするんだけど。


「ただでさえ難しいゲームなのに、意志を持った人間が、それも殺意マシマシのプレイヤーキラーが大挙して押し寄せてくるなんて、それなんてムリゲーって感じだ」

「世界一の男でも無理なの?」

「無理だ」


 考えるまでもなく、俺は即答した。


「こうなると、もうゲームジャンルがぜんぜん違う。これはもう生きるか死ぬかのバトロワだよ。不確定要素が多すぎる。とてもじゃないけど、いちRTA走者がリカバリーできる域じゃない」


 キサラギさんは押し黙ったまま、しばし考え込んでいた。

 やがて彼女は意を決したように口を開く。


「わかった……じゃあ、あたし一人で行く!」

「悪いことは言わない。やめといたほうがいい。やみくもに歩き回ってもどうせ死ぬだけだ」

「だってハヤタはここでそうやって、剣になってやり過ごすんでしょ?」

「そのほうが生存確率が高い」

「あたしは……あたしが助かっても、シボがいなきゃ生きてる意味ないから。だから――」

 

 消え入りそうな声でキサラギさんは言った。

 ホテルでも思ったが、あらためてすごいセリフだ。そこまで言いきれる仲間がいるというのは、正直うらやましい。俺にはそんなことを言い合える友達はいなかった。


 それどころかゲームをするフレンド一人いない。ぼっちの陰キャゲーマー。それが俺だ。まあ、投げ銭をくれる視聴者はいたが。ありたがいが、それだけだ。


「怒鳴っちゃってごめん」とキサラギさんはぼそっと謝罪してから、「お尻の裏技……教えてくれてありがとね」

「いや、あれはべつに……」


 ただ助かりたかったから咄嗟に教えただけだ。

 キサラギさんは背中を向けると、とぼとぼと歩きだした。

 そしてすぐに特大のため息が聴こえてくる。


「やっぱりシボの言ったとおり。あたしってつくづく男を見る目がないわ……」


 男を見る目がない。ということは、キサラギさんは俺を男として見ていたということか。

 違うか。いや、どうだろう。わからない。どういうことだ。詳しく知りたい。


「それってどういう意味ですか?」

「前にシボに言われたんだ。ステアは男の見る目がないって……」


 キサラギさんは足を止めて教えてくれる。なるほど、好きな男子でもいたんだろうか。それを委員長に相談でもして一蹴された、と。ギャルが好きになる男子ってどんな人なんだろう。野球部エースの日野くんかな。それともサッカー部キャプテン岩井くんか。まあ、ともかく俺には縁のない話だったか。


「その人、配信者なんだけどさ……シボ曰く、こんなふざけたプレイスタイル、ゲーム開発者を愚弄ぐろうしてるって……」


 キサラギさんの好きな人はゲーマーだった。まあ彼女もゲームが好きみたいだし、あり得る話か。てか、温厚そうな委員長がぶちキレるとか、よほどふざけたプレイスタイルをお持ちなんだな、その方。


「世界一をとったときも投げ銭したんだけどな……」


 どうやら彼女の好きな人は世界一のゲーマーらしかった。ふむ。そうなると俄然話が変わってくる。そして地面にぶっ刺さったまま聞く話でもなかった。俺はすかさず変身解除を念じる。


 すると、ばろんっというふざけたSEとともに、俺は半裸の二足歩行へと戻る。目線の高さが同じになった銀髪JKの背中に向かって俺は紳士然とした声をかける。


「詳しく聞こうか」

「ハヤタさ。配信してるときの、リスナーのハンドル名とかって覚えてるもん?」

「ああ、それなら、まあ、印象に残った人ならだいたいは……うん」

「じゃあさ、目の前のリングっていうハンドル名は――」

「昨日2500円をいただいたリスナーさんですね」


 食い気味に答える。彼はいつも投げ銭をくれる、俺の数少ない上客だった。

 うしろを向いたままのキサラギさんは、自分を指さしながら言った。


「目の前のリング。ステアリング」

「その節はどうもありがとうございました!」


 キサラギさんの背中に向かって、ぺっこりと頭を下げる。驚いた。上客はずっと俺の前に座ってらしたのか。あ、だから【目の前の】か。うわー。ちょっと感動。そして鳥肌。

 すると上客は、はあ、と再び大きなため息をついた。


「そんなハヤイヲともここでお別れか」


 空を見上げるキサラギさんの背中はすこし寂しそうだった。


「……ハヤタをちょっと好きになりかけてたあたしを殴りたい」


 その彼女のセリフは、俺の耳が耳として機能しはじめて以来、一番聞き捨ててはならないセリフのような気がした。

 是非とも再確認が必要だ。


「いまなんて?」

「だから!」


 ちょっとキレ気味だった。なぜ。


「あんたのことをちょっと好きになりかけたあたしを殴りたいって言ったの!」


 あまりの衝撃にちょっとフリーズしてしまった。


「ちょっ、ちょっと好きになりかけてたんだ……俺のこと」

「悪い? だってカッコイイじゃん。システムの隙をついて窮地を脱したんだよ? ピンチだったあたしを助けてくれたんだよ? そんなの誰もができることじゃないって」

「ま、まあね。それは、そうかも」

「それにハヤタ、世界でも数えるほどしかいないこのゲームのクリア者じゃん。しかもクリアまで10時間切ってるのってハヤタしかいないじゃん。この世界の中で」

「世界で俺しかいない……」


 キサラギさんの発したフレーズを噛みしめるよう反芻する。うん。何も間違ってはないな。あれ、なんだろう。なんか、気持ちがいいな。人から賞賛されることがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。


 彼女の言うとおり、俺ならイケるんじゃないか。難易度マックスのこのゲームを何周したと思っている。軽く百周はした。死んでも死んでも、リトライした。

 

 だけど、今回のコレは完全なるデスゲーム。ジャンルがぜんぜん違う。ワンミスでジエンド。復活もナシだ。リスクが違いすぎる。


 いや、でも守るべき人がここにいるではないか。え、うそ……この銀髪ショートの似合うギャル女子高生が俺の守るべき人なの……サイコーじゃん……。

 

 いやいや、図に乗るな俺。ここはもっと慎重に――


「そんな人に助けられたなんて、好きにならないほうがムズいって」


 キサラギさんは俺のことをちょっと好きになりかけていた。

 え?

 キサラギさんは俺のことをちょっと好きになりかけていた。

 マジで?


 でも、何度頭の中で復唱しようが、それはもう疑いようのない事実だった。なぜなら本人の口からそういう言葉が出たのだから。

 ならば考えるよりも早く、舌打ちを出す。


「チッ。仕方ないな」

「えっ……仕方ないって――それって、もしかして一緒に行ってくれるってこと?」


 いきおいよく振り返ったキサラギさんの銀髪がきらりと陽光を反射する。


「先導者が必要なんだろ。世界一の」


 え、待って。こんなかっこいい俺、はじめて見た。誰、これ。


 嬉しそうに、こくりとうなずくギャルJK。いつもの自信に満ち溢れた態度とは違って、殊勝な感じがとてもチャーミングだ。


 と、不意に彼女はうつむくと肩をくつくつと揺らしはじめた。木漏れ日に照らされた銀髪もなにやら不穏げに揺れる。あれか、あまりの嬉しさに泣いてしまったとか。


 と、思いきや、こんな囁きがかすかに聴こえてくる。


「チョロ」

「いまチョロって言わなかった?」


 顔をあげたキサラギさんは目尻に涙をたたえることもなく、すがすがしいほどの笑みで、


「いってないよ? チョロルチョコ食べたいなって」

「そ、そっか……いま食べたいんだ……チョロルチョコ」

「うん。食べたい。無性に」

「無性に食べたいんだ……チョロルチョコ」


 なんか腑に落ちない感じがするけど。

 とにかく先導者を名乗り出てしまった以上、俺はキサラギさんの数歩前を歩く。なぜなら、ここには即死級のトラップがごろごろしているからな。ガイド役は率先して前をいかないと。


「あっ、そこにギロチンが落ちてくるロープが張ってあるから。気をつけて」

「オッケ」


 足元、ピンと張ったロープをぴょんと飛び越えると、キサラギさんはあり得ないほど密着して俺の肩をポンと叩く。


「サンキュ。ハヤタ」

「お、おおん」


 自分のことをちょっと好きな人にスキンシップされるってのも悪くない。

 次いで、こんな囁きが耳に入ってくる。


「ハヤタ。チョロ」

「言ったよね? いま完全にハヤタ、チョロって言ったよね?」

「気のせいだって。ほら、いそごっ」


 なんか手のひらの上で転がされているような気がしなくもない。


 しなくもないがしかし、こんな状況ですらウレションが漏れそうなほど喜んでいる俺がいるのもまた事実だった。情けない。女性経験のなさがモロに出ていた。これはもう改善の余地しかない。 


 が、対処方法は依然、闇の中。どうすれば異性と自然に居られる? 世の中の陽キャに是非教えてもらいたいものだ。暗中模索。その道は長く、暗い。


 そんな俺の気持ちと同調するかのように、木々の隙間からのぞく太陽が雲に隠れはじめる。

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