04:00 亀裂谷

:06 亀裂谷

 森の終わり。


 とりあえず俺たちは木陰に隠れつつ、意思のあるプレイヤーがいないかをじゅうぶんに確かめる必要があった。


 森と平地の狭間は、耳が痛くなるほど静まり返っていた。

 どうやら、意志のあるプレイヤーはここにはいないようだ。


 森を抜けると、俺たちの行く手を阻むように地面が真っ二つに裂けていた。


 これは比喩ではなく、ほんとうに大地が真っ二つに裂けていた。はるか向こう、かすかに大地の続きであろう稜線が見える。


 亀裂谷きれつだに。古戦場の森をしのぐ高難易度エリア。

 裂けめのぎりぎりまで足を進め、下を覗き込むと、人が三人並んで歩けるほどの木製の足場が、ごつごつした岩肌にへばりついていた。それはまるで秘境寺院へと続く極東アジアの難所を彷彿とさせる。


 足場は緩やかに下へと傾斜しており、ずっと向こうのほうでぶつっと途切れていた。

 だが俺は知っている。あそこには下へ降りる階段があることを。そして、切り返した木製の回廊は、ピンボールのように左右に延々と谷底まで続いていた。


 俺のあとに続いて、おそるおそる木製の足場に一歩を踏み出すキサラギさん。そんな彼女の愚痴が、風に乗って耳に入ってくる。


「シボのやつ……よりにもよってこんなところにいなくても……」


 ぎし、という音が鳴って、足場の破片が奈落に落ちていく。当然だが、落ちると即死はまぬがれない。


「デイリーミッションは当事者のレベルに関係なく、いろんなエリアで遊べるってのが売りだから。まあ、場所はガチャだけど」


 そんな俺の説明に、キサラギさんは特大のため息を落とした。


「シボのゲーム好きが今回はアダになったってわけね」


 そこが俺も意外だった。というのも、委員長にゲーム好きの印象はまるでなかったからだ。


「でも、絵に描いたような四角四面な委員長が、まさかのゲーマーだったなんて、いまだに信じられない」

「ま、ふつうはそう思うよね。でも、じっさい、かなりのヘビーゲーマーだよ、あいつ。あたしも最初はびびったもん。朝活でゲームって何だよって。ふつう勉強とかでしょ」


 自分で言って、キサラギさんはくすくすと肩を揺らした。

 下からの風で彼女の短い銀髪が狂ったように舞う。その暴れる髪を耳にかけながら、キサラギさんは続ける。


「でも、そんなあいつも、出会った当初はあたしのこと、目のかたきにしてたんだよ」

「え……そうなん」


 うん、とキサラギさんは小さくうなずいて、


「ほら、あたしって軽いじゃん? あいつ、そこが気にくわなかったんだと思う。ことあるごとに絡んできては、髪の色がクラスの規律を乱してるー、とか、短いスカートが男子の視線を誘導してるー、とかって、うぜーったらありゃしなかったよ、ほんと」

「でも、なんか、やっと委員長らしいエピソードを聞いた気がする」


 でしょー? とキサラギさんは明るく言ってから、すこし声のトーンを落として、


「そんでね、そんで……あたしが教室で一人落ち込んでるときに絡んできたのも、クラスであいつだけだったんだ……」


 意外だ。キサラギさんは明るくて誰にでも話しかけるから、友達が多いものだとばかり思い込んでいた。

 そして、そんな独りぼっちなキサラギさんに話しかける委員長。そのシーンは、なんとなくだが想像がつく。


 委員長、かんぬきシボはルールにはめっぽううるさいが、その実、他人想いで、いっつも損な役割を自分から買うような人だった。だから、きっと一人で落ち込むキサラギさんを放ってはおけなかったのだろう。


「でもね、そっからよ。しつこいくらいゲームの勧誘がはじまったのは――」


 一転、キサラギさんは楽しげな口調になる。


「放課後の教室で二人きりになったと思ったら、ねえゲームに興味ない? とか、キサラギさんもやればわかるわ、きっと楽しいからって。最初は、やらねーつってんだろって突っぱねてたんだけど、とうとう根負けして。一回だけならって条件で、あいつのでっけー家でやったのが、このサンソウだったってわけ」

「で、ハマったと?」

「見事にね。なんていうの、モンスターをこう、えいってやっつけた瞬間? それがたまらなくストレス解消になるっていうか――」

「わかる!」


 キサラギさんの身振り手振りの熱弁を、俺は食い気味に肯定する。


「お、おお……」


 気圧されたのかキサラギさんはすこし動揺していた。だが、かまわずに俺は熱弁を振るうべく、舌で唇を湿らせる。


「現実世界のあれやこれやをぶっ飛ばす魅力がこのサンソウにはある! なんといっても日々のプレイの積み重ねでうまくなればなるほど如実に攻略が楽になるし目に見えて成長してるのが実感できるところがリアルな世界とは違って――」

「お、おお……ヤバ……あたしも、いまそんな早口になってた?」


 言われてはじめて気づく。どうやら口角泡を飛ばしていたらしい。くそ、やっちまった。いつもこうだ。サンソウについて語ると早口になるし、だいたいキモがられる。自重しないと。


「とにかく――」とキサラギさんは仕切り直すように言葉を紡ぐ。「まあ、なんの因果か、あのカタブツが今では、あたしに生きがいをくれた、たった一人の友達なんだから、ほんと、笑っちゃうよね」


 キサラギさんは照れ臭そうに白い歯を見せた。委員長のことがほんとうに好きなんだろうな、そんな感じがひしひしと伝わってくる。


 そのときだった。


 キサラギさんのステータス画面が突如として空中に現れる。


「おっ、これって、もしかして――」

「うん。委員長はこの下だ」


 画面に表示されていたのはここのマップだった。自分たちを示す三角マークのすこし下に赤い点が明滅している。

 それはつまり指定した目的地が近いということを意味していた。


「でも、このマップの点。最初に見たときから動いてないっぽいな」


 ついイヤな想像をしてしまう。


「だ、大丈夫だって。シボのことだからきっとログアウトできないとわかった時点で、動かないって選択肢をとったんだよ」

「俺も、プレイ的にもそれが正解だと思う」


 ジロリ。うっ。青い緯線が目に痛い。余計な一言だったか。


「さ、さあ急ごう。委員長は近い」

「だね」


 なんとか流すことに成功した。

 二人でうなずき合うと、どん突きにあった階段を猛スピードで駆け降りた。


     ★ now loading ...

 

 木製の足場を、俺たちは走った。

 遥か前方にイヤなものが見えているのにもかかわらず。


 そして、それは近づくにつれ、徐々に輪郭をはっきりとさせていく。

 これ以上近づくと気づかれる、というギリギリのラインで俺たちは足を止めた。


「やっぱいるよね……モンスター……サイアク」

「【骸骨騎士がいこつきし】だな」


 俺たちの前に立ちはだかったのは、動く骸骨だった。頭蓋骨にぽっかりと開いた眼窩がんかの黒さが見る者に恐怖を与える。サンソウに数多く出現する骸骨シリーズでも武器持ちは特に強く、いま目の前にいるやつも抜身の剣を手にした、なかなかに油断のならない相手だった。


 そして、もちろんレベル的に太刀打ちできるわけもなく、そんな強敵が狭い足場を検問のごとく徘徊していた。


 と、キサラギさんがステータス画面を呼びだす。マップを確認したのだろう、すぐに視線を上げて前方を指さした。


「あった! あの穴だ! あの穴ん中にシボがいる!」


 徘徊する骸骨騎士のすぐうしろ、むき出しの岩肌に突如として現れたまっ黒な入り口。ああいった洞穴は、ここ亀裂谷に無数に配置されていた。中にあるのは宝箱やモンスターの巣などさまざまだ。


 そして俺の記憶が確かならば、キサラギさんの指さすあそこには宝箱が一つあったはず。

 にしても、変だ……。たしか、ここにはもう一匹、骸骨騎士がいたはずだが。誰かほかのプレイヤーが先に来て倒してしまったのか。


 ともかく、目の前にいるあいつをどうにかしないと、穴に近づくことさえできない。

 さくっとしょするか。


「キサラギさんはここで待ってて」

「えっ、ちょっ、ハヤタ、一人で行くの⁉ ってか、そんな装備で大丈夫なの⁉」

「大丈夫だ。問題ない」


 両手に武器はなく、ペラい服に短パン。これ以上ないくらいに舐めた格好に見えるだろうが、亀裂谷の骸骨騎士が相手ならこれでじゅうぶんだった。

 さっそく俺は走った。

 

 すぐに骸骨騎士が反応。頭蓋にある二つの黒い穴が俺を捉える。

 

 遅い! 

 

 俺は岩壁のほうへローリングで回避、壁を背にするかたちで構えなおす。

 俺へと向き負った骸骨騎士は、持っていた剣を大上段に振りあげた。

 そして、おもむろに振り下ろす。

 

 細身の刃が頭上に迫りくる。

 が、俺にとってそれは脅威でもなんでもなかった。こいつら骸骨騎士の剣の軌道は、見飽きるほど見ていた。なんなら、目をつぶってでも避けられる。


 実際、骸骨騎士の剣閃を俺は半身になるだけで避けた。

 どす、と剣が足場にぶっ刺さる。


 当然、そいつをひっこ抜くまで骸骨騎士は隙だらけとなる。その隙を逃さない。

 俺はたったの一歩でやつの懐に入り込むと、【命に届きうる一撃】と念じなら攻撃する。


 と、俺とモンスターが同時に特殊なモーションに入った。

 素手のモーションは、正拳突きだった。俺は深々と腰を下ろすと、右の拳を音が鳴るまで握りしめる。


 これはいわばサンゲリアソウルズにおけるクリティカルアタックで、隙だらけの相手にこれを選択することで通常よりも大きなダメージを与えることができた。

 だけど、いかんせん俺はステータスをこれっぽっちも上げていない。なので俺が与えるダメージも雀の涙ほどだろう。あるいは、ゼロもあり得た。


 でも、それでもよかった。肝心なのはダメージではなく、剣や斧といった武器を持たずに命に届きうる一撃を実行することにあった。


 俺はぎりぎりと握りしめた硬い拳を、正面の骸骨騎士に向かってまっすぐ、撃つ。


 ズドン、と俺の拳が太い胸骨に突き刺さる。


 と、突かれた骸骨騎士は巨大なボールを抱えたような恰好で後方へとぶっ飛んだ。

 そして、そのまま足場の下へと消えた。


 よし、うまくいった。

 ゆっくりと足場から下を覗き込むと、豆粒みたいに小さくなった骸骨騎士が足場にぶつかって砕け散った。その破片が崖からのびる大木に次々と衝突、派手な音を谷中にまき散らした。


 直後、ステータス画面が虚空に現れ、経験値が狂ったように上昇をはじめる。どうやら無事にモンスター討伐をシステムが認めてくれたらしい。


 よし。ここはもう安全だ。


 そう報告しようとキサラギさんのほうを振り返ると、すでに血相を変えてこちらに走ってきていた。興奮しているのか、スタミナ管理が甘い。いまにも倒れそうだ。


 なんとか俺のそばにたどり着いたキサラギさんは、膝に手をつき、ひとしきりぜぇぜぇしてから興奮気味に言った。


「見てたよ!」

「さいですか」

「ハヤタあんたって…………ゴリラだったんだね!」


 思わずコケそうになる。危ない、ここでコケると命にかかわる。にしてもゴリラて。なぜそう思ったのか疑問の目で問うと、キサラギさんは真顔で答える。


「だってハヤタ、腕力とかぜんぜんカッスいのに、骸骨騎士があんなに吹っ飛ぶなんて。もう、生業なりわいがゴリラとしか思えないって」

「そんな生業はない」


 事実だった。生業は全八種。ゴリラというのは存在しない。あったら是非選びたい。


「だったら、なんで――」

「簡単だよ。あれは俺が何も持ってなかったから、ああなったんだ」

「えと……それって、つまり、武器を持ってなかったのがよかったってこと?」

「そう。体術のクリティカルにはノックバックっていって、腕力の数値に関係なく、相手が吹っ飛ぶ効果が付与されてるんだ。それを利用しただけさ」

「はえー、そんなんあるんだ……知らなかった」


 まあ、あまり知られていないテクではあった。普通はダメージの落ちる素手でクリティカルを選ぼうなんて思わないからな。

 だが、ことRTA走者に関しては話は別だ。こういった狭い通路を半裸で走破するには必須のテクといえた。


「そんなことより急ごう、委員長が待ってる」

「あっ、そだね。うん、行こう」


 俺とキサラギさんは、急いで穴へと向かった。

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