02:00 野盗窟
:03 野盗窟
耳の奥で鳴っていたキュィインという回転音が消えると、かわりに遠くのほうから酒場の喧騒が聴こえてくる。
陽気な音楽に、笑い声、怒鳴り声。ジョッキのぶつかる音。木の板を踏みしめる無数の足音。
ゆっくりと目を開けると、そこは木造の広い酒場の中だった。
俺はその広い酒場の隅っこで、木でできた簡素な椅子に座っていた。
酒場には、おびただしい数の
皆が皆、実に楽しそうにしてはいるが、よく見るとルーティーンをこなしているだけというのがわかる。
意志を持たないプレイヤー、
ここは野盗窟の酒場か。
「とりあえず、ログインは成功したな……」
と、すぐ左隣にあった窓へと視線を移すと、俺は驚きに目を見開く。
窓に映っていたのは、黒髪がぼさぼさの冴えない男だった。目のクマがひどく、不健康の権化だ。
「……これ、俺だな……?」
現実世界の俺と何も変わらない俺がそこに映っていた。
おかしい。キャラクリエイトが効いていない。もしかして、あれか。ゲーム内ではつくったキャラではいられなくなっているのか。でも、そんなことって可能なのか。ステータスはどうだろう。
俺はさっそくステータス画面を呼びだす。念じると目の前に半透明の板が出現。そこにはゲーム内の俺についてのすべての事柄が記載されていた。
筋力や素早さ、魔力といったステータスの値に、特に変化は見られない。
現在の装備品も、上半身は【ぬのきれ】に脚部には【ぼろきれ】、武器は【素手】と、これも前回ログアウトした時と何ら変わりはない。
と、ステータス画面の右下に【ログアウト】の文字があった。俺は一度そこを指でタップしてみる。
が、しかし反応はない。いつもだとすぐに視界が暗転して現実世界に戻れるのに。今回は何度タップしてもうんともすんともいわなかった。
50回は試しただろうか。嫌な汗が背中を伝う。
「マジでログアウト……できないのか……」
周囲の楽しげな雰囲気とは裏腹に、味わったことのない焦燥感に襲われ、いまにも倒れそうになる。
そのときだった。
「あ、いた!」
声のしたほうへ目をやると、そこには全身を銀白色の鎧で纏った女性騎士が立っていた。
小さな顔。吸い込まれそうな青い目に、銀髪のショートボブが快活に揺れている。
そんなギャルな少女の装備はというと……全身【
間違いない。着ているものは違うが、今しがたホテルで別れたばかりのキサラギさんがそこにいた。
「てかさ、キャラクリ解消されてない?」
キサラギさんは俺と同じく、窓に映る自分の顔を見ながら言った。
「名前はそのままみたいだけど」
俺のステータス画面の一番上に【ハヤイヲ】とあった。
これも、いつもこのゲームを走るときに登録する名前だった。
「あっ、ほんとだ。あたしも」
と、キサラギさんはステータス画面をこちらに向けてくれる。その一番上に【マスクドザザ】とあった。
「えっと、マスクドザザさん?」
「ああ、これね。あたしの好きなブランド名なんだ。長ったらしいから本名のステアでいいよ」
「わかった…………ス…………キサラギさん」
「え、なんで苗字。しかもさんづけて」
「し、紳士なので」
「変なの。まあ、何でもいいけど」
すこし残念そうに彼女はそう言った。すまない、女性の名前を呼ぶのにこんなに抵抗があるなんて知らなかった。女の子を下の名前で呼んでる世の中の陽キャすげーな。
「よし、さっそくだけど」と俺は仕切り直す。「委員長とはフレンドなんだよね。だったら今いる場所とかって、わかる?」
「あっ、そだね。ちょっと待って、いま見てみる」
キサラギさんはステータス画面をいじりはじめる。当然ながらこちらからはただの半透明の板にしか見えない。その半透明の向こう、彼女の黒いネイルが上下左右に動いている。
と、彼女はおもむろに口を開く。
「うん、やっぱりシボ、亀裂谷にいるみたい」
「オーケー。じゃあさっそくそこに――」
「ちょっと待って!」
キサラギさんは小さく絶叫した。イヤなものを観たのか青ざめている。すぐに俺にも見えるようステータスを反転してくれた。
と、そこには黒髪ロングの委員長の顔写真がでかでかと映しだされていた。プレイヤー名は【シボシ】。その名前の下に一億エンペイという金額が併記されてもいる。
「シボにあり得ないくらい懸賞金がかかってんだけど⁉」
「ほんとだ……しかも一億エンペイって」
デッドorアライブ。このゲーム内にいる誰かがギルドの機能を使い、委員長に懸賞金をかけたのだ。つまり、生きていても死んでいてもいいから見つけ出して連れてこい、と。さすれば一億円をあげましょう、といった持ち込み企画だ。
立案者は、まあ、十中八九、このゲームをハックした人物だろう。にしても、一億エンペイとは。俺もけっこう長いことこのゲームをやっているけど、こんな懸賞金ははじめて見た。
一億エンペイもあればレアアイテムが爆買いできるし、なにより、そこいらのプレイヤーキラーたちを色めき立たせるには充分な額だ。
「ヤッバいよ。どうしようハヤタ」
「落ち着いてキサラギさん。大丈夫。まだまだぜんぜん焦る時間じゃない」
「そんなこと言ったって、懸賞金がこんなに――」
「多額の懸賞金がかかったままってことは、まだ敵の手に落ちてないってことでもあるから」
「あっ……そっか……たしかに。そういうふうにも考えられるか……」
「でも、まあ、急いだほうがいいのはかわらないけど」
「だよね」
本当に急いだほうがよさそうだ。
そう思い、さっそく立ち上がろうとした、そのときだった。
「キミらシボシとフレンドなん?」
さっそく来たか。
声のしたほうを見ると、口の周りにうっすらと無精ひげの残る男がこちらを覗き込んでいた。
三十代か、あるいはもっと上か。やつれた顔をしている。薄汚れたベストを着て、背中に剣を背負っている。生業は【盗賊】か、このエリアにぴったりの職業だな。
「悪いとは思ったんだが、話してる内容が耳に入っちまって……。それで、そのシボシってプレイヤーについて、話ができないかなと思って」
俺が答える前に、キサラギさんの隣にもう一人の男が腰かけた。
「おっと、そんなに緊張しないでくれ。敵対する意思はねぇよ。仲良くいこう。な?」
こちらも俺の隣にいる男同様、三十代くらいの男で、細い目の下にはぶっといクマがあった。
残念ながら、いずれもNPCではなく、意志のあるプレイヤーたちだ。
と、正面のキサラギさんが困った顔で俺を見つめてくる。
俺も同感だ。これは、非常にまずい状況だ。
「ところで、あんたら、今ログインしてきたばかりかい?」
言いながら、そばにいた男もぬるっと隣の椅子に座ってくる。許可してねーぞ、と。
「見た感じ、あんまレベル高そうには見えないけど……」
「いまさっきログインしたところす。それはもうウッキウキで」
「そうか、それは残念だったな。でも、やっぱり、ログインはできるんだな……くそがっ!」
いきなりの男の悪態に、キサラギさんの眉がビクッと動く。
「なあ、外の世界はどうなってたよ?」と正面の男が訊いてくる。「今回のこのログアウトできない現象で、大問題になってたりしてねーのか?」
「なってるっちゃ、なってるす。サンソウがデスゲーム化したって」
「やっぱりか、くそっ!」
バン! と男が机を叩くと、隣のキサラギさんは肩をビクッとさせた。
おいおい……。あんたらの置かれた境遇もわかるし、なにかにあたりたい気持ちもわかる。だけど、あまり女の子を驚かすなよ。
「知ってるか」隣の男がぼそぼそと話しだす。「これをやった犯人は、オレたちプレイヤーをクリアさせないよう、ラスダンを占拠してるらしいぜ」
キサラギさんは驚きに目を見開いていたが、正直、俺はそうだろうなと思った。というか、俺が犯人ならそうする。せっかく幽閉したのに、プレイヤーにクリアされると外に出られるという仕様ならば、絶対にクリアさせない。一ミリたりとも外に情報を漏らさないためにも。
そして、さらに俺なら――
「ゲームをジャックするようなヤツだ。どうせ、チートで超強くなってたりするんすよね」
言うと、卓の全員が驚いたという表情をする。
「よくわかったな」と正面の男が声を漏らす。「そのとおり。もう、そこらの一般プレイヤーじゃクリアできなくなってる。みんな、このゲームに幽閉されちまったってこった」
正面にいる男は、なかば
「それならもういっそのこと、この事態が収まるまでどこかでじっとしてたほうがよさそうすね」
「それが、そうもいかねぇんだ」と正面の男が憎々しげに言った。「犯人グループがスペシャルミッションをゲーム内に発布しやがったからな」
「スペシャルミッション?」
「一人頭、一千万エンペイ」と、隣の男が人差し指を立てる。「つまり一千万払えば、一人だけ玉座の後ろの門からリアルに戻してやるって。今現在サンソウは、絶賛そういうイベント中なわけだ」
正面の男がおもむろにステータス画面を呼びだし、それを全員に見えるよう移動させた。そこにはシボシの手配書がでかでかと映されていた。
「だからいま、全プレイヤーが血眼になってこいつを探してるってわけだ」
「ハヤタ……」
キサラギさんの弱々しい声が漏れ聴こえた。
剣呑になりつつある雰囲気を気取ったのか、男は慌てて発言の修正を試みる。
「おっと早合点しないでくれ。おれたちは別に彼女を捕まえたいわけじゃないんだ」
「そ、そうだよ。うん」隣の男がフォローする。「ただ、彼女が大人しく投降してくれれば、ここにいる四人は助かるのにな、と。そんな話がしたかっただけなんだ」
キサラギさんが縋るような目で見てくる。わかっている。俺も同じ気持ちだ。こいつらは委員長が目の前にいたら容赦なく攻撃するだろう、そういうタイプだ。
しかし、かといって、ここでバトっても秒で殺されるのは火を見るよりも明らかだ。レベル差がありすぎる。彼らは、装備しているものからみて最低でもレベル40は越えているはず。攻略度合いでいうなら中堅プレイヤーにあたる。そんなやつら相手にレベル3のど貧民が勝てるわけがない。
こういうときにとれる選択肢は、一つしかない。
「シボシの居場所、知ってますよ」
「「ほんとか」」
キサラギさんは信じられないといった目で俺を凝視する。それでも俺は話を続ける。
「ええ。でも、ここじゃなんなんで、外に出て歩きながらでも――」
「いいのかい? いやぁ、話のわかる人で助かったよ」
立ち上がろうとした俺の肩を、隣の男ががしっと掴んで言った。
「おっと、その前にフレンド登録だけいいかい?」
そこまでするか。俺は猜疑の目を男へと向ける。
「いやさ、疑ってるわけじゃないんだけど、もし、はぐれたりしたら、な?」
よほど俺たちとはぐれたくないらしい。
「わかりました」
パッと顔を明るくする男たち。
「でも、ここでは人の目が多い。誰に見られてるかもわからないんで、それも込みで外でやりましょう」
「オーケー。そうしよう」
そうして俺たちは酔いどれ
すぐにキサラギさんが隣にやってくる。話す声はもちろん小声だ。
「ちょっと、どうすんの? あたし、この人たちとはフレになりたくないんだけど……」
「俺も」
「だったら――」
そこで会話は終了となった。二人の男が俺たちの両サイドについたのだ。これ以上の会話は聞かれてしまう。だからこれからは聞かれてもいいように、これからしたいことをキサラギさんに伝えねばならなかった。
「まず服を脱ぎます」
「は⁉」
キサラギさんは驚きと殺意のないまぜになった青い目で俺を睨む。
「こんなときにふざけて――」
「ふざけてない。服を脱いで、できるだけ重量を減らすんだ。そうすることでビックリするほど足が速くなる」
ぽかんとしている彼女向かって、俺は小声で続ける。
「足が速くなると、フル装備の人たちは追いつきたくても追いつけない」
あとはわかるな?
意図することが伝わったのか、キサラギさんはハッと何かを察したような顔をした。
まずキサラギさんが床を蹴った。もちろんドアに向かって、だ。
間髪入れず俺もそれに続く。
「おっと! 逃がすかよ!」
「うッ!」
風を切る音の直後、左肩に鋭い痛みが走った。ちらり見ると、肩から血まみれの刃先がはえていた。刃の先が上にくいっと曲がった形状……【アサシンの短刀】か。どうやらこいつを投擲され、モロに食らってしまったらしい。
が、今は我慢だ。
木製のドアを押し開けて外へまろび出ると、見渡す限りの大平原が俺たちを出迎える。
とにもかくにも、俺たちは下生えを蹴って走った。背中に怒号が投げつけられても完全無視だ。
走りながらも俺はステータス画面の装備一覧を表示。上から順にすべての装備をタップして外していく。
と、それに比例してじょじょに身が軽くなっていく。
いいぞ、いつもの感覚だ。
しかし、一つだけいつもとは違う点があった。
地面を蹴るたびに、肩の痛みが脳髄をぶっ叩く。
おかしい。やけに痛みがリアルだ。それに、わずかながら吐き気もある。こんなことは今までのゲームプレイではなかった。
これは……まずいな……。ほんとうにデスゲームと化しているのか。
だとするなら、このままウロチョロするのは得策ではないな。
俺の頭にはすべてのマップが入っていた。このまま西の方角へ走ると【
「こっちだ!」
「ちょっ! ハヤタ! あんた血ぃ出てない⁉ って、肩にナイフ刺さってんだけど⁉」
「刺さってるけど大丈夫、これぐらいじゃ死なない。どちらかといえば、いま足を止めるほうがヤバい」
「それはそうだけど……ってハヤタ、下半身がモザイクだらけなんだけど⁉」
「キサラギさんも助かりたかったら全部脱げばいい。めっちゃ足速くなるよ」
「さ、さすがに全部はハズいって!」
「あ、そう? ならお先に――フハハハハッ!」
下半身をスース―させながらも、俺はいいフォームを意識して加速。
「あっ、待ってよ! 薄情ものーッ!」
「フハハハハハッ」
マッパでダッシュは脳汁がマッハだった。自分でも何を言ってるのかよくわからないが、俺はもう無敵だ!
遠くに見えていた木々たちが、あっという間に眼前に迫りくる。
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