08:00 嘶く白馬亭

:16 スイートルーム①

 両開きのドアを開けると、レストランの喧騒が身体全体にぶつかってくる。

 

 いなな白馬亭はくばてい

 その一階では、ありとあらゆる冒険者たちがテーブルを囲み、食事を楽しんでいた。男女混合のパーティや、剣士のみで構成されたパーティ。エルフとドワーフの混成チームも見られた。


 そしてそれらが、そこかしこで冒険談義に花を咲かせている。モンスターの特色やら、ダンジョンのいかに難しいかについて。そして、ここの飯の旨さについて。

 皆が皆、楽しそうに食卓を囲んでいた。


 そんな賑やかなレストランを目の当たりにしたキサラギさんが、ぽつりとこぼす。


「うわぁ、繁盛してるねぇ」

「という設定のNPCばかりで、プレイヤーの姿はなさそうだけど」


 と、委員長はフードの中から冷静に言った。

 ふむ、ざっと見たところ、俺も同じ感想だ。皆が皆、自由そうにふるまっているが、その実、同じルーティンを繰り返しているだけ。

 つまり、意志のあるプレイヤーはここにはいないということだ。


「まあ、普段ならプレイヤーもちょろちょろ見かけるんだけど、事態が事態だし、上の部屋に籠ってるのかも」

「上? まだ上があんの?」とキサラギさん。

「ここは一階がレストラン、二階より上は宿屋になってるんだ」


 と、広大なレストランフロアの奥を指さす。

 そこには両サイドから内側に向かって湾曲する二本の階段があった。二階へはあそこから行けた。


「ほえー、そうなんだ。複合施設なんだね」

「まあ、とにかく、なにをするにもまずはカウンターだ」


 フロアの中心を突っ切って奥まで行くと、白馬亭のカウンターはあった。

 まるでホテルのような立派なカウンターで、台の向こう側にベストを着た熟年男性が立っていた。色黒の顔に似合うチョビ髭がベテランの雰囲気を醸し出している。


「これはこれはご客人。遠路はるばるこの名高き嘶く白馬亭へ――」 

「でも、どうしようか」


 俺は店員の口上の途中で振り返ると、背後にいた委員長とキサラギさんに相談を持ちかける。


「このフロアで飯にするのもいいけど、すこし目立ちすぎるかな。上の個室で食うこともできるけど、どうする?」

「えっ、待って⁉ 個室で食べれんの⁉ ご飯を?」とキサラギさん。 

「ああ、上の部屋を借りて、そこに飯を運んでもらうことができるんだ。いや、できたはず。たぶん……俺も最初の頃に試したっきりだから、断言はできないけど」

「へぇ、いいねぇそれ。なんかホテルみたい。あっ、でも、レジスタンスの人たちと合流したいなら、やっぱここがいいのかな。パッと見、プレイヤーがいるってわかるし」

「でも、不特定多数に見られるのは、やっぱりちょっと怖いわ」


 委員長は自分の肘をぎゅっと抱くような仕草をした。

 亀裂谷やウルスラのところであんな経験をしたのだ。無理もない。


「だったら、この店員にことづけて、個室で食事をしながらレジスタンスの反応を待つ、っていうのはどうかな」

「えっ、そんなこともできんの⁉ はえー、今どきのゲームってすごいわ」

「そうしてもらえると助かるわ」

「なら、決まりだ」言って、俺はチョビ髭店員に向き直る。「部屋を借りたい。一つでいい。そこに食事も頼みたい」


 すこしの処理の時間を経て、チョビ髭の男はそれに応える。


「かしこまりました。ですが今、大変ご好評をいただいておりまして、お貸しできる部屋が三階のスイートのみとなって――」

「ああ、いいよ、そこで。いくら?」

「三名様で、30万エンペイとなります」

「30万! 高っ! リアルだとめっちゃいいホテルに泊まれる額じゃん⁉」


 キサラギさんの腹からの声に、チョビ髭のこめかみがぴくりと動く。


「お客様、お言葉ですが、当ホテルは【リヴリア大陸】でも屈指のホテルと自負させていただいております。なにしろ、創業はかの老王サンゲリアがこの地を平定してちょうど百年目の記念に――」

「オーケーオーケー」と俺は店員の口上を止めた。「ここがいいホテルだってのは身に染みてわかったよ。キサラギさんも、わかったよな?」

「え、ええ。そりゃあもうバッチリ」


 彼女はへたくそな笑みを浮かべ、指で輪っかをつくった。

 俺はステータス画面を表示させると、30万エンペイを支払った。


「そうですか」と店員は機嫌を直すと、「では、のちほど、お食事をお届けいたします。鍵はこちらとなっております。ごゆっくりとおくつろぎください」


 深々とお辞儀をする男性を背に、俺たちは湾曲する階段を上って二階へ。

 階段の途中、先ほどのやり取りについて、委員長がキサラギさんにくぎを刺す。


「思ったことをいちいち口に出していたら、この先、人生つらいわよ?」

「わーってる。ごめん……」


 キサラギさんはしおらしく素直に謝る。なんか、はたから見ていると姉妹みたいだな。委員長がお姉ちゃんで、キサラギさんが妹。うん、しっくりくる。


 二階から見るレストランもまた壮観で、現実世界の大人気店を上から眺めているようだった。


 俺はゴンドラの箱を呼ぶため、壁に設置されたレバーを下へと降ろす。

 二階から上はレトロな昇降機を使わないといけないので待っていると、ちん、とゴンドラが到着する。


「エレベーターまでついてるとか……マジでホテルじゃん」


 そのキサラギさんの一言で、俺の脳内にラブホテルがフラッシュバックする。人生初のラブホ体験が拉致によるものとか、笑えない。


 木製のドアを自分で開けて小さくて狭い箱に入ると、女性陣二人も乗り込んできて箱はすぐに満員となる。

 女性陣のいい香りが近い。なかなかに幸せな空間だ。


 おっと、目線を下げすぎると二人の胸元が視界に入ってしまうので、俺は努めてまっすぐ立つ。

 箱はすぐに上昇を開始する。


「楽しみすぎてヤバいんだけど……」

「そうね、私も。わくわくしすぎて、もう喉がからから。お部屋にウェルカムドリンクがあるといいのだけど」


 相変わらずデスゲームの最中なのにもかかわらずキャピる二人。

 でも、まあ気持ちはわからんでもない。俺もここに最初に訪れたときは興奮したものだ。見るものすべてが、まるで映画のワンシーンだもんな。


 と、そのとき、すこし油断してしまい、キサラギさんの大きな胸がちらと視界の端に入ってしまう。


 おっと、まずい。まっすぐドアを見るんだ。

 心臓の音がでかい。とにかく現実世界の俺はいま、この豊満ギャルの隣で横になっているのだ。

 しかもラブホテルで。

 そう考えると、さらに鼓動がうるさくなった。


 やがて箱は三階に到着する。

 二人がキャピキャピしながら箱から出ると、俺も中腰になってそれに続く。


     ★ now loading ...


「コンドミニアムか⁉」


 スイートルームに入った瞬間、青い目をキラキラさせたキサラギさんがそう叫んだ。

 でも、叫びたくなる気持ちもわかる。

 そこはまるで西洋貴族の所有する城の一室だった。


 まず目に飛び込んできたのはマホガニーの巨大なテーブルだった。そのでかさたるや、俺が縦に二人寝てもまだ余裕がありそうなほどだ。

 その巨大なテーブルをとり囲むようにアンティークの椅子が設置されており、そのすべてが猫足でくるんと丸くなっていた。

 そして、そこらじゅうをぼんやりと照らす照明群もまたおしゃれだった。すべてが稲穂のようにこうべを垂らし、直接光を当てない間接照明仕様となっている。  


 委員長もキサラギさんに続いて、フードをとって部屋のぐるりを見回す。

 そして居てもたってもいられなくなったのだろう、ぱたぱたと大きな窓に駆け寄った。


 そこには見た人をうっとりとさせる夜景が広がっていた。断崖街区の大通り。ここは街区でもひときわ賑わっているエリアで、嘶く白馬亭と同じ高さの建物が整然とたち並び、それらがガス灯できらきらと青白い光を放っていた。


 大都会の夜景にもまったく引けを取らない。

 こんなものを見せられたんじゃあ、ぐうの音も出ない。30万エンペイを払う価値はあると思う。それぐらい豪華絢爛な部屋だ。


 とりあえず俺は、キサラギさんの放った一言がすこしエロく感じたので、アンコールを頼むべく口を開く。


「キサラギさん、いまなんて?」

「え……いや、コンドミニアムかってツッコんだんだけど……わかりにくかった?」


 ふむ。なんか、ちょっとエロい響き。

 そんな俺のどエロい思考を見抜いたのか、窓際の委員長が軽蔑の目をくれる。ごめんて。


 しかし、そんな彼女もすぐに視線を豪奢ごうしゃな部屋へと戻し、きらきらした瞳で部屋の細部まで見入っている様子だった。


「でも、たしかに、この調度品の設置の仕方……オリエンタルパシフィックホテルきわみのスイートに似てるかも」


 とか委員長がほざくので、俺とキサラギさんは上級国民を見る目で彼女を見た。

 いわゆるジト目ってやつだ。

 さすがは財閥の令嬢、言うことが違いますなぁ。


「そんな呪文みたいなホテル名を言われたって、わかんないって。あたしら庶民には」

「そお? でも、とにかく素敵……素敵だわ」


 委員長はしみじみとそうつぶやいた。

 まあ、とにかく、喜んでくれたのならよかった。


 ややあって、三人のポーターによって運ばれた料理の数々が、大きなテーブルを埋め尽くしていった。

 これまた圧巻だった。 


 和洋中すべての一流シェフが一堂に会して合作でもしたのかと思うほどの皿の数々に、俺たちはしばし打ちのめされてしまう。

 ボイルされた香ばしそうなエビが丸ごとスープに浸されており、それをとり囲むマグロの寿司がつやつやと旨そうにテカっている。丸焼きダックはとろりとした餡にくるまれ、甘酸っぱい湯気をくゆらせていた。


 ぐぎゅるる、と黒髪ロングの特大の腹の音が鳴るまで、俺たちは料理の前で呆然と立ち尽くしていた。


「と、とにかく食おうか」

「そ、そだね。もうおなかペコペコだし」


 耳まで真っ赤にした委員長もこくりとうなずいて、俺の向かいの席に着席する。

 スープに浸されたエビの身をフォークでおそるおそる口に入れたキサラギさんが、キレた。


「旨すぎなんだけどマジで!」

「いや、これはマジで旨い!」


 俺もキレる。

 キレるほどに、旨い。なんだこの深い味わいは。こんがりと焼かれたエビの濃厚でいてクリーミーな味わい。それらが鼻からすうっと抜けると、口の中にまったりとした深いコクが残る。

 最高だ。降参だ。万雷の拍手だ。シェフを呼べ!


「くそっ、こんなに旨いなら、走ってスルーするだけじゃなく、何回か食べに来ればよかった」

「たしかにこの料理も美味しいけど……」


 と委員長がぼそりと言った。

 なんだろう、上級国民の口には合わなかったのか。だとするなら、普段何くってんだ? フォアグラのキャビア和えフカヒレ包みか?


 同じようなことを思ったのか、隣のキサラギさんも、心配そうに対面の委員長をじっと見つめる。

 そんな中、委員長はこともなげに続きを口にする。


「こうして、パーティでわいわい食べるご飯は格別ね」


 そんなことをのたまいながら、委員長はマグロの寿司を手づかみして、ネタにだけ起用に醤油をつける。

 今や、動いているのは彼女だけだった。

 俺もキサラギさんも、委員長の突然のパーティ賛美に戸惑っていた。


 そんなことともつゆ知らず、彼女はマグロの寿司を一口であむっと頬張る。

 そして、もぐもぐと咀嚼すると、目を線にして旨味を噛みしめていた。


 そこでようやく俺たちのフリーズに気がづいたのか、きょとんとする。

 大きくて薄茶色の目を、ぱちくりと一度瞬きさせると、ごっくん、と口にあったものを飲み込んだ。


「な、なにか変なこと言ったかしら」

「いやぁ……べつにぃ……」


 と、意味深な答え方をするキサラギさん。


「な、なによ。隠さずに言って。何か変だった?」


 キサラギさんはスプーンでエビのスープをすくって飲むと、そのまま上目遣いで言った。


「シボってほんと、生粋きっすいのゲーマーなんだなぁと思ってね」

「な、なによ。じゃあステアは楽しくないの?」

「んー、ああ、まあ、楽しいけど? 死ぬほど」

「た……楽しいんじゃない……」


 次いで、委員長は俺を見る。

 大きくて茶色の瞳があきらかに問うていた。

 ハヤタくんはどうかしら? いま楽しいかしら、と。

 正直、俺もまあまあ楽しかったが、それを直接伝えるのは照れ臭かった。結果――


「あと17分です」


 と、カラオケ屋の店員みたいなことを口走ってしまう。

 死にたい。


「いっ……急ぐわ。できるかぎり」


 ごめんて。

 そこから食器の音だけが部屋に響く無言の食事会となる。

 

 ごめんて。


     ★ now loading ...


「ごちそうさまでした」と委員長が手を合わせる。

「ふい~、もうおなかいっぱい」


 キサラギさんがたいして膨らんでもいない腹をさすさすとさする。


「まあ、とはいっても、ゲームのシステム的に、削れたスタミナゲージが元に戻っただけなんだけど」と茶をすすりながら俺。

「んもぅ、あいかわらずハヤタは情緒がないなぁ、こういう細かいロールプレイにこそ神が宿るんじゃん」


 なぬ。デリカシーだけにとどまらず情緒もないとは。なんだか、いろいろとないな俺。帰ったら、チャットAIに相談だ。


 正面にいる委員長はさっそくステータス画面を開くと、にやにやしながら誰かにメッセージを送りはじめた。おおかた、できたばかりのフレンドのゴリラ――もとい金髪の女剣士に恋文でも届けるのだろう。その証拠に、恋する少女のように目がキラキラしている。


 と、おのおのが幻想の満腹感に酔いしれていた、そのときだった。

 コンコン、とドアがノックされ、俺はキサラギさんと顔を見合わせる。


「誰だろ。食器をとり来たポーターさんかな?」


 と、彼女もわからないらしく首をかしげている。


「いや、ポーターにしては早すぎるな。まだ食事をとりはじめて27分しか経っていない」


 立ち上がった俺は、不安げな委員長に向かってここに残るようジェスチャーで指示。


 一人ドアへと赴くと、木でできたそれを用心深く開けた。

 と、そこには見たことのある男性プレイヤーが立っていた。


「シャラ―⁉」

「突然の訪問、マジですまん!」


 顔の前で右手を立てたアラサーのシャラ―は、極黒の鎧に身を包み、左手に棒切れのようなものを持っていた。それを杖がわりにでもしているのか、すこしそちらへ傾斜しているように見える。


 ふとオグリアスの言葉が脳裏をよぎる。


『知ってるかハヤイヲ。シャラ―率いる第一陣は失敗に終わったらしい』


 あいつの言葉が本当なら、彼はテロリストから逃げてきたんだろうか。

 杖をついたシャラ―は申し訳なさそうに続ける。


「ここを見張ってた仲間から、白馬亭に意志のあるプレイヤーが三人入ったって連絡があって、それでカウンターに問い合わせてみたらオレ達からの接触待ちって言われたもんだから、もう、いてもたってもいられなくなって――」


 と、彼は一息でまくし立てるように言った。

 なるほど、レジスタンスの人員はひっ迫しているらしい。まあ、死ぬかもしれない抵抗運動に自ら立候補しようなんて誰も思わないもんな。

 俺たち以外は。


「まあ、ここじゃなんなんで、中、入ります?」

「おっ、いいのかい。すまんな、じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらうよ」


 そう言って、シャラ―は俺の前を通りすぎる。

 よたよた、と手にした棒切れを杖がわりにして歩く。やはり、やられたというのは本当なのか。にしても、またぶっそうな棒切れを杖がわりにしてるな。まあ、シャラ―らしいっちゃらしいが。


 部屋を一望すると、シャラ―は感嘆の声を漏らした。


「うへぇ、マジかよ。こりゃすげぇや。オレも長いことサンソウやってるけど、こんなん見たのはじめてだわ。いやぁ、ほんとにすげぇ」


 そんな突然の来客に、キサラギさんは飛びあがるように立ち上がる。


「シャ、シャラ―さん⁉」


 ギャルの過剰な反応に笑いそうになる。でも、そうだよな、こんな大物が来るなんて、俺も思ってもみなかった。

 俺はシャラ―に状況を説明するべく手短に言った。


「いま、ちょうど、飯食ってたんす。パーティで」

「おお、そうだったんか。あっ、なら、邪魔しちゃったな」

「あっ、いいえ」とキサラギさんが手を振った。「大丈夫ですよ。いま、食べ終わったところなんで」

「そか。そりゃよかった。では、あらためて」と、シャラ―は居ずまいを正す。「守護騎士のシャラ―です。よろしく」

「同じく守護騎士のマスクドザザです。よろしくお願いします」

「ハヤイヲす。ど貧民」


 自分で言ってて悲しくなる。まあ、リアルでも似たようなものだが。案の定、キサラギさんは同情の入り混じった苦笑いをする。

 が、シャラ―は驚きに目を丸くした。


「ど貧民……でここまで来たってのか⁉ いやはや、そりゃたまげたな。あれって超上級者向けの生業だろ?」

「いやあ、まあ……俺、RTA走者なんで――」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 シャラ―は得心がいったようで、目を大きく見開いた。


「走者だったら、最初から何も持っていない生業を選んだほうが足が早い分、スタートが有利だもんな」 


 おお、さすがシャラ―。RTAにも造詣が深いのか。だからトークの幅も広くなるんだな。俺ももっといろんなことを知っていこう。


「って、ちょい待ち。ハヤイヲって、たしか配信してなかったっけ?」

「一応……まだ中堅どころって感じすけど」

「おお、やっぱり。観たことあるよ。あれだよな、隧道のボスをハメ殺した人」

「そす」

「いやあ、あれはすごかったなぁ。あんなこと、思いついても普通やらねーって」

「お、おおん」


 憧れの人に認知されていたとは。やはり、腐らずにやり続けるものだな。

 これは素直に、嬉しい。

 この流れなら、俺の思いも伝えられるかも。


「お……俺も、ずっと観てました。シャラ―さんの」

「えっ、マジで⁉ それは光栄だな。って、まあ、歴だけはいっちょ前に長ぇからな」


 そう言ってシャラ―はへらへらと謙遜するが、ほんとうに彼のプレイは白眉だった。

 彼の軽妙なトークは今でもたまに思い出す。


「初見殺しのギロチンの回は、腹が死にました」

「ああ、あれな。あったなぁ、ってか、なついなぁ」


 初見殺しのギロチンで彼の首が飛んだとき、シャラ―は生首になりながらも真顔でブチギレていた。ここにギロチン置いたスタッフしばく! とか言って。そのあと、普通に笑って再チャレンジしてたな。もうオレにギロチンは通じねぇよ、と言いながら落とし穴に落ちていったときは深夜にもかかわらず爆笑したもんだ。腹がねじ切れるかと思った。


 そんなシャラ―の配信に出会えたから、今の俺があると言っても過言ではない。

 中学の暗黒時代、灰色だった世界がとつぜん色がついたみたいにパッと明るくなった。それもこれも、みんなシャラ―のおかげだ。


 そういえば、なけなしの小遣いから投げ銭もしたっけ。

 懐かしい、俺の青春。その人がいま、目の前にいる。

 ログインしてよかったな。


「――で、そちらの方は?」


 と、シャラ―はローブを目深にかぶった委員長に水を向ける。


「見た感じ、業深ごうふかにみえるけど……?」


 訊かれ、俺はキサラギさんと目を合わせる。

 心配そうな青い目が俺をじっと捉えて離さない。


 さて、どうしたものか。   

 と、思案していると、案の定、委員長は自らフードを取り払った。長い黒髪が解放され、だらりと彼女の胸に垂れ下がる。


「はじめまして、シボシです。生業は、あなたの言うとおり業深き剣士です」 

「シボシ……シボシって、あの……?」


 まあ、知ってるわな。今やサンソウで一番の有名人だ。

 シャラ―は俺とキサラギさんを交互に見やる。委員長の言葉がいまだに信じられないのだろう、確信を欲するような目つきだった。


 そんな彼の無言の問いかけに、俺たちはうなずいて肯定する。


「うおっ……ととっ……」


 シャラ―は驚きのあまり、よろよろとよろめいた。


「ハハッ、まいったな、こりゃ……」


 彼は苦々しく笑いながら、黒々とした後頭部をぽりぽり掻いた。

 まあ、驚くよな。一億エンペイの賞金首がすぐ目の前にいるのだから。


 キサラギさんはよろめくシャラ―にぱたぱたと駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか」

「あっ、ああ。すまん、ちと、あまりにも衝撃的過ぎて……」

「てか、足、どうしたんすか?」


 そんな俺の素朴な疑問に、シャラ―は「ああ、これな」と自身の左足をポンと叩く。


「情けない話、王城で返り討ちにあっちまって……」

「相手はやっぱり、このゲームジャックの?」

「ああ、犯人だ。あいつ、凶悪なチートでゴリッゴリに強くなっててな。もう、オレたちじゃ太刀打ちできないかもしれねぇ……」


 そのシャラ―の吐く言葉には、ありったけの悲壮感が込められていた。

 ずしん、と重くなる部屋の空気。


 チート……チートか。

 まあ、どんなチートツールを使っているにせよ、チート使用者が相手なら、俺たちみたいな、正攻法でちまちまとステータスを上げている一般プレイヤーは、逆立ちしても勝ち目はないだろう。

 

 だけど、クリアのみを狙うのなら話は別だ。

 俺には試したいアイデアが二、三あった。シャラ―の話を聞いて、早くそれを試したくてウズウズする。


「ま、まあ、積もる話は椅子に座ってからということで」


 言いながらキサラギさんは、そばにあった椅子を差し出す。


「あっ、すまん。気を遣わせてしまったな」

「いえいえ、どぞどぞ」


 と、さらに座るよう催促するキサラギさんに、シャラ―は微笑みながら礼を言うと、杖に体重をかけつつ椅子に腰をかける。


「あ、いや、ほら、みんなも座ってくれ。オレだけ座ってるってのも、なんか偉そうで嫌だしな」


 その言葉に、俺は最寄りの椅子には向かわず、テーブルを迂回して委員長のほうへと回り込む。いや、これは決して黒髪ロングの隣がいいというわけではなく。


 一つだけ、どうしても引っかかることがあった。

 それを直接シャラ―にぶつけてみる。


「ところで、その杖……仕舞わないんすか」

「ああ、これな。こうしてるほうが楽なんだよ。かなり強い麻痺を食らっちまって」


 とシャラ―は両手で杖を抱きかかえ、頬ずりするような動きを見せる。  


「強い麻痺ってことは【神をも縛る金縛りの業】とか?」

「そそ。通称、カミカナの業な」


 シャラ―は意気込むように俺を指さしながら言った。


「あいつ魔力も無尽蔵にあるみたいで、強力な業をこれでもかと連発してくるんだよ。ったく、あんなん無理だっちゅーの!」

「そか、それは大変だったすね」


 と心ない返事をしてから、俺は真顔で確信に触れる。


「でも、そいつは仕舞ってくれシャラ―。そいつは杖じゃない。吹き矢だ」


 俺のその言葉で部屋が凍りついたのを肌で感じる。

 シャラ―のすぐ隣に立つキサラギさんが、青ざめた表情で吹き矢をじっと見つめる。

 怖いよな、武器を持つプレイヤーがすぐそばにいるのだから。


 でも、怯える彼女をもっと怯えさせないといけない。それほどに、あの武器は怖い。


「しかも、そいつは【ブドゥの吹き矢】といって、相手に遅効性の呪いを与える最悪の対人兵器だ。バチクソレアアイテムだから知ってるプレイヤーは少ないけど、わかる奴が見れば、すぐにわかる」


 背後で委員長の息をのむ音が聴こえる。ハヤタくん、と小さく俺の名も呼ばれる。怖いよな。だけど、ぶっちゃけ、俺も怖い。


 武器所持を指摘されたシャラ―は一度うつむくと、なにやらぶつくさとぼやきはじめる。


「やっぱなー、やっぱ知ってるわなー。だるっ」


 そして再度顔を上げたときには、別人かと思うほど暗い目をしていた。


「お前がRTA走者のハヤイヲだって知ったときから肝が冷えっぱなしだったわ」


 その声色も、先ほどまでは打って変わって低く、怖い。


「いつか突っ込まれるんじゃねーかってな」 


 言い終わると、シャラ―は慣れた手つきで吹き矢を構えた。


 まずい。


 俺は床を蹴ってできるだけ腕を伸ばす。

 もちろん、守る対象は、背後にいる委員長だ。


 シャラ―は何のためらいもなく吹き矢を吹いた。

 ぷす、と手のひらに鋭い痛みが走る。


 ふう。なんとか間に合ったようだ。

 手のひらに貫通した矢をひっこ抜く。返しのついていない細長い矢だ。返しがない分、抜くときの痛みはそれほどでもない。受けたダメージも雀の涙ほどだ。


 だが、こいつのやっかいなところは、付与される状態異常にあった。


「ハヤタくん……頭の上にタイマーが……⁉」


 その委員長の悲痛な叫びに、俺は真上を仰ぎ見る。


 と、何もない虚空にオレンジ色のデジタルタイマーが浮かび上がっていた。

 

 59分35秒。

 その大きなタイマーは、俺が見ている今もなお冷酷に時を刻み続ける。


「くそっ! やっぱり【死出しでの秒読み】か……」


 このタイマーがゼロになると付与された対象は死ぬ。死出しでの秒読みという、それは状態異常のろいだった。

 にしても、何のためらいもなく撃ってくるとは、と、視線をシャラ―に戻した、そのときだった。


 またもヤツは吹き矢を口にしていた。


「まずいっ!」 

「シボ! あぶないっ!」


 がしゃん、とキサラギさんがテーブルの上でスライディング。そのままこちらに突っ込んできた。


 あちこちに飛散する皿ごと彼女の身体を抱きとめる。

 何が起こったのかは、すぐにわかった。


 シャラ―の放った二発目の矢が、キサラギさんの左肩に刺さっていた。

 ややあって、彼女の頭上にも俺と同じオレンジのタイマーが現れる。


 くそっ。キサラギさんにも死出の秒読みがかかってしまった。

 どうする……どうする。


 キサラギさんの両肩の体温を手のひらに感じながら、俺は考える。

 まずい。このままじっとしていても、やつの思うつぼだ。

 でも、こちらには反撃する能力もアイデアもない。

 となれば、ここは一旦セーフティゾーンをつくって、これ以上の被害を食い止めることが先決か。


 俺はステータスを開くとアイテム蘭をスクロール。

 封域の三角錐をタップするのと、同時だった。


 一本の矢が、俺の頭上をかすめていった。

 しまった!


 すこし遅れて、ヴン、と半透明のピラミッドが展開、俺たち三人を包み込む。

 安全地帯の中、俺はおそるおそる背後を仰ぎ見る。


 と、委員長の右頬には爪で引っ掻いたような赤い線ができていた。

 やられた!


 やがて黒髪ロングの上にオレンジのタイマーが出現する。

 これにより、俺たち三人全員が、1時間以内に死ぬことが確定した。

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