:17 スイートルーム②

 部屋の中央にあった巨大なマホガニーのテーブルが、宙を舞った。


 邪魔だと言わんばかりに、シャラ―が片腕で投げ飛ばしたのだった。


 直後。

 ドガシャン! と派手な音が鳴り、続いて食器の割れる音が殺到した。

 そうしてできた広いスペースのど真ん中を、彼は装備を変更しながらこちらに歩み寄ってくる。

 彼が吹き矢のかわりに手にしたのは【極黒きょっこく大剣たいけん】。すべての光を飲み込むような黒い刃を持つ、影のような大剣だった。


 そんな影のような大剣を引きずるようにして、彼はこちらににじり寄ってくる。さきほどまでのよたよた歩きはどこへやら、しっかりとした足取りだ。


 そして俺たちの前で立ち止まると、予備動作のない突きを仕掛けてくる。


 しかし――

 カシュ、という音を鳴らして黒の大剣は宙を舞った。

 俺たちを包み込む半透明のピラミッド、封域の三角錐に攻撃が弾かれたのだ。


 直後、大剣の転がる音がスイートルームに響き渡る。

 三角錐の揺らめく波紋を憎々しげに見つめながら、シャラ―は舌打ちした。


「やっぱ筋力マックスの一撃でもダメか。さすがは封域。ぶっこわれんな」


 そんな言葉を吐くと、彼は倒れていた椅子を起こし、そこに腰かけた。足を組んでステータス画面を開くと、なにやら操作をはじめる。


「なんで……こんなこと……」


 キサラギさんが振り絞るようにして言った。無理もない。混乱しているのだろう。

 レジスタンスの人がやってきたと思ったら、元有名配信者で、そいつとニコやかに喋っていたかと思ったら、いきなり攻撃を仕掛けてくるんだもん、誰だって混乱する。

 かくいう俺も、一つだけ、わからないことがあった。


 なぜやつは死出の秒読みという状態異常を選んだのか。


 殺すだけなら、ここは腐ってもサンソウ、即死系のものはいくらでもある。

 なのにもかかわらず、なぜやつはこんな回りくどい真似を?

 その疑問は、やつの次の行動で氷解する。


 シャラ―はステータス画面をカメラモードにしたらしく、何度かこちらに向かってフラッシュを光らせはじめる。

 そして、そのデータをどこかへと転送しはじめた。

 

 ははーん、読めたぞ。


「交渉材料をつくりに来たってか」


 言いつつも、俺は腹が立ってきたのでピースサインをしてやる。

 すると、半透明のステータス画面の向こうで、シャラ―はあからさまに顔をゆがめた。


「わかってるなら、もっと悲壮感を漂わしてくれ」

「じゃないと、身代金が入ってこないって?」


 俺のその挑発めいた言葉に、三角錐の中の女性陣二人はハッとする。

 ステータス画面の向こう、シャラ―の鋭い目が俺をじっと捉えた。


「ムカつくほど読みがいいな。これだからRTA走者は嫌いなんだよ」


 再び画面に目を落とすと、彼は楽しげに独り言を言う。


「おたくの娘さん、あと1時間足らずの命ですよっと」


 俺のすぐ左隣、委員長のほうから、ぎり、と奥歯の噛みしめる音が聴こえてくる。


「証拠の画像つきで脅せば、たいていの親は焦るだろ」

「ということは」と委員長。「身代金はまだ支払われてないということね」


 シャラ―は座ったまま大げさに肩を竦めてみせる。


「残念ながら、ビタ一文。あんたさぁ、見捨てられすぎじゃね?」


 俺とキサラギさんがほぼ同時に、うつむく委員長に目をやった。

 なんて言葉をかけたらいいのか。

 

 と、声をかけあぐねていると、彼女はがばっと顔を上げた。黒のロングがふぁさと揺れ、凛とした茶色の瞳はまっすぐにシャラ―を射抜く。


「そんな父を誇りに思うわ」

「強がるなって。こっちで死ねば、ガチで向こうでも死ぬんだぜ?」

「それは……ゲームばかりしている私が悪いのよ。父や会社は関係ない。私は……私が死ぬ分にはぜんぜんかまわない」


 そんな委員長の語気強い言葉に、シャラ―は「ひゅう」と口笛を吹く。


「かっけ。惚れそ。でも、ま、最初に死ぬのはあんたじゃなく、隣にいるハヤイヲくんだけどな」


 軽いノリで言ったシャラ―に、ハッとする委員長。すぐに俺へと視線を向けてくる。責任を感じているのだろう、茶色の瞳がウルウルしはじめる。

 このままいくとほんとに泣きそうなので、俺はなだめるべく言った。


「大丈夫。導女ウルスラに頼めばこんな呪い――」

「おいおい、待て待て。オレたちがそんな甘い選択肢を残してるわけないだろ。バカじゃねぇの」

「えっ、でもさっき街区にいたけど?」


 現に俺たちは街区の導女ウルスラにステータスを上げてもらっていた。


「ああ、あれな、オグリアスが守ってたやつ。あれ、さっきオレの仲間がぶっ殺したってよ。ようやく隙ができたって連絡あったわ。残念だったな」


 女性陣二人の息をのむ音が近い。


「これでようやく、お前らプレイヤー側を利する要素はなくなったってわけだ」

「ひっどい! 人でなし!」


 キサラギさんの最大級の悪罵とともに、委員長もこれでもかとシャラ―を睨みつける。

 が、睨まれた彼はへこたれる様子もなく、平然としていた。


「ま、なんとでも言ってくれや。これも全部、人生という名のクソゲーをクリアするためなんだ」   

「ゲームクリアって」とキサラギさんが口の中で言う。「やってることはただの守銭奴じゃん!」  

「ああ、そだよ。金が欲しくてほしくてたまらないんだ。でもな、お嬢ちゃん、金は大事だよ?」


 うんうん、と俺もうなずいて肯定。


「そこ、うなずかない!」 


 と、すぐに怒られて、しょぼん。

 が、シャラ―は何かのスイッチが入ったのか、前のめりになって饒舌に語りだす。


「まあ、そこんところを詳しく言うとな、お嬢ちゃん、オレたちは金が大事だからこそ、かんぬきのご令嬢がいるときを狙ってジャックしたんだ。もちろん失敗したときのことも考えて、すでに閂グループとサンソウ開発会社【トゥソフト】の空売りも仕掛けてる。こっちはすでにかなりの儲けが出ているみてぇだけどな」


 リアルに帰ったら大金持ち、そんな想像でもしているのかシャラ―は終始楽しそうだった。


 そんな鼻歌交じりの彼を、俺の両サイドにいる二人はゴミを見るような目で見ていたのだろう、やつもすぐそれに気づく。


「ハハッ。ゴミを見るような目をありがとう。でもなお嬢ちゃん、一ついいことを教えてやろう。ゲームをやる上で俺が得た、唯一にして絶対の鉄の掟だ。いいか、よく聞け。感情に焼かれるな――」

「プレイは常に冷静に、か」と俺。

「おっ、さすがは元視聴者さん。知ってんねえ」


 感情に焼かれるな、プレイは常に冷静に。それは彼の往年の名フレーズだった。プレイ中にシャラ―がそのセリフを口にするたび、コメント欄がワッと湧いたのを今でも思い出す。


「でもRTA走者ならわかってくれるんじゃねぇの? プランAがうまくいかなかったときのためのリカバリー案は、常に頭に入れておくもんだ。ちがうか?」

「そのとおり」

「ちょっと、意気投合してどうすんのよ⁉」


 キサラギさんに突っ込まれるも、俺はニヤリとし、シャラ―は楽しそうに笑っていた。ほんと、なんでこんなことになってんだろうな。

 出会い方が違ったら……。そう思わずにはいられない。


 ぷんすか怒るキサラギさんの頭上のタイマーが54分と描画されていた。

 それはつまるところ、俺たちの命があと54分で終わることを意味していた。


「でも、どうすれば……このままじゃ、ここでみんな死んでしまう……」と委員長。

「大丈夫。まだまだぜんぜん勝算はある」

「ここから、まだできることがあるっていうの……?」

「あるよ。ぜんぜん」


 余裕ぶっこきながらも、俺は脳みそフル回転で考える。 

 ほんとうにここから抜け出せたなら、まだまだぜんぜんチャンスはある。

 問題は、ここをいかにして抜け出すか、だ。

 だから、まずはここから抜け出せるような妙案を考えないと。

 もうすこし、昔話でもして時間を稼ぐか。


「でもほんと、残念だよ。めっちゃ憧れてたのは本当だから」

「過去形っと。染みるわぁ」


 シャラ―はもはや足の麻痺などなかったかのように、組んだ足を楽しげに揺らしている。


「でもさ、なんでゲーム辞めたん? めっちゃ人気あったのに。噂では、チートでBANされた仲間を庇って、その飛び火でBAN食らったって聞いたけど」

「ま、それに近いっちゃ近いな。運営に粘着したのがアレだったんだろうな。でもさ、正直な話、お前ならわかってくれるんじゃねぇの。命よりも大切なゲームを奪われた時の喪失感ってやつを」

「自業自得だろ」

「そりゃそうだ。それを言われればそれまでだな」

「ところで、ゴールは見張っとかなくていいの? こうしてる間に、クリア者がどんどんと現実世界に帰ってるんじゃない?」


 訊くと、シャラ―はぴしゃりと手のひらを見せた。


「その点に関しては心配ご無用。こう見えてオレには信頼できる仲間がたくさんいるんだ。その辺に抜かりはねーよ。それに、お前は頭がキレるからな、是非ここで死に顔を拝んでおきたい」

「信頼できる仲間ってもしかして【遠雷えんらいの貴公子】【戦士ドグラマグラ】【淡々とゲーム攻略ちゃんねる@ジョニー】の三人?」


 俺がかつて観ていたチャンネル名をつらつら述べると、シャラ―はバツの悪そうな顔をする。

 図星か。


「あんたら、いっつも四人でコラボしてたもんな。コラボ名、たしかシメンソカーズだっけ?」

「ああ、そうだ。その三人が王城を守ってる。クリア者に関していえば、最初の一人意外は逃してねぇはずだぜ」

「さすが」


 あの三人もシャラ―に負けず劣らず面白かった。中でも、集合地点に遅れてきたドグラマグラが地雷を踏んで大爆発を起こし、みんな笑いながら死ぬっていうシーンが最高だった。


 地雷を踏んで大爆発…………ハッ⁉

 はい、妙案、入りました~。


「委員長」


 と、俺はシャラ―には聞こえないほどの小声で呼びかける。


隧道ずいどうのボスにしたかったことを、いまはしてもいいと思う。それも手加減なしで」

「隧道のボスに……私がしたかったこと……?」

「そ。今回はヤツの位置が変わってもなんら問題ない。むしろぶっ飛ばしてほしいぐらい」


 その言葉で得心がいったのか委員長はハッと目を見開いた。

 そんな彼女の大きくて茶色の目を見ながら、俺は言った。


「後ろの壁から外に出て、思いっきりやっちゃってください」


 こくりとうなずいた委員長は、さっそく業の詠唱に入る。


「すべては爆発から始まった。ぜろ、そして瞬く間に広がれ――」

「もう足掻くなって、オレたちの勝ちは揺るがないんだ――」


 シャラ―の言葉を最後まで待たずに、委員長が反対側から三角錐の外へ出た。

 そして――


「大爆発のごう!」


 刹那。

 カッ! という爆発音とともに視界が赤で埋まる。


 椅子に座って余裕ぶっこいていたシャラ―が一瞬まさかという顔をしたが、すぐに赤で見えなくなった。


 大気が踊り、衝撃波が渦を巻くように前へ前へと進軍する。

 すこし遅れて、轟音が鼓膜をぶっ叩く。

 文字通りの、それは大爆発だった。


 俺はつい見入ってしまう。不思議な光景だ。まるで核融合まっただ中の恒星に降り立ったかのような、絶望的でいて、美しい炎の芸術。

 ブラックアウトならぬ、レッドアウト。

 

 直後、ふわっとした浮遊感に包まれる。

 足場がなくなってしまった、と気づいたときにはすでに俺たちは落下していた。

 

 玉ひゅんを感じる間もなく、なにか柔らかものにほっぺたから突っ込む。

 なんだこれ……もしかして、ベッドか⁉


 もうもうと煙が地込める中、がらがらと建物のガラが落ちてくる。


「助かった……のか?」


 どこも痛くはない。ダメージも入っていない。

 大丈夫だ。


 どうやら俺は階下の部屋のベッドに落下したらしい。

 自分が落ちてきたところ、天井を見上げると、ガス爆発でも起こったかのような巨大な穴ができあがっていた。うっほ、いつ見てもすげぇ威力。

 てか、そんなことより――


「キサラギさん⁉ 委員長⁉ 二人とも無事か⁉」


 すると、煙の中から、ぷうぇ、という情けないギャルの声が聴こえてくる。


「ぺっ……ぷふぇ……い、生きてるよぉ……てか、口の中に砂が……ペッペッ」

「わ、私も大丈夫。生きてる、わ」


 煙がなくなると、銀髪が外ハネしているキサラギさんはベッドの上でへたり込み、頭のてっぺんにアホ毛の生えた委員長は業を放った状態のままベッドの上で直立不動であることがわかった。

 てか、委員長、モニュメントみたいでかっこいいな。


 そして、この部屋の本来の客であろう二十台と思しき男女のカップルプレイヤーが、部屋の隅っこで肩を寄せ合って小刻みに震えていた。二人とも毛布でくるまっているが、あきらかに裸だった。ふむ、けしからん。デスゲーム中ですよ? まったく。けしからん。


「つか、大爆発の業の威力よ! ありえなくない⁉ こんなん……ヤバすぎでしょ!」

「だから何度も言ったじゃん。あんま近くで使わないでって」と俺。

「……私も、まさか、これほどまでとは……」


 委員長は自身の放った業の威力に言葉を失っていた。    


「でも、まあ、なにはともあれ、作戦は成功したみたいだな」


 俺はもう一度、大口を開けた天井を見上げる。

 くけけ。うまくいった。でもチート状態のシャラ―のことだ、どこかへとぶっ飛ばされたものの、くたばってはいないだろう。でも、それでも面食らってはいるはず。見たかったな、やつが驚いたさまを。

 シャラ―ならなんて言うかな。部屋ん中で業を使うなよ! 小学校で習わなかったのか! とか? 

 

 とにかく、だ。


「んじゃ、ま、走りますか」

「へ? 走るって、どこへ⁉」と顔をススだらけにしたキサラギさん。

「ラストダンジョン。王の根城」


 もう俺のケツには火がついていた。正直、焦る気持ちもあるにはある。あと50分後には確定で死んでしまうんだから、当然っちゃ当然か。


「さっさとクリアして、この忌まわしい呪いをなかったことにしよう」


 でも、どこかでわくわくしている自分もいた。

 さあ、リアルデスゲームのはじまりだ!

 RTAの真価が問われる瞬間だ!

 クハハッ!


 見ると、ベッドの上に立つ委員長の目には、大粒の涙があった。そして、それはいとも簡単に零れ落ちる。ぱたり、ぱたりと。


「でも……ごめんなさい……私のわがままのせいで、二人に死出の秒読みが……」

「いや、そういうのはいらない」

「ちょっ! ハヤタ! あんたねぇ⁉ それはさすがに――」

「いや、これについては折れる気はないよ。キサラギさん」


 意外だったのだろうキサラギさんは閉口する。

 ぐすっと鼻を鳴らす委員長も怯えるような目で俺を見た。

 隅っこでガクブル震えるカップルも責めるような目つきで俺を見る。

 全員からの視線を一身に受けた俺は、それでもまっすぐ委員長を見返して言った。


「だってパーティってそういうもんだろ?」

「え?」

「諦めてないヤツがいる以上はマイナスの感情は邪魔でしかない。だって俺はまだぜんぜん諦めてないから」

「え……」

「全力でチャレンジして、それでもダメだったら、そのときにはみんなで凹めばいい。だろ?」


 その言葉を受けてキサラギさんも委員長を見る。

 隅っこのカップルも委員長へと目を移す。

 ひぐっ、と声を漏らす委員長に、俺は続ける。


「それに俺もキサラギさんも委員長を責める気持ちなんてこれっぽっちもないし。ないよね?」

「それは……」


 うん、と強くうなずいてからキサラギさんは言った。


「あたりまえじゃん。言ったっしょ、誰のための守護騎士なんだって」


 そのキサラギさんの溌溂はつらつとした言葉に、委員長の涙の数が増えた。

 でも、次に彼女が口にした言葉はマイナス方面のものではなかった。


「貴重な時間を……空費しちゃってごべんなざい。はじりまず」


 涙と鼻水でぐしょぐしょになった委員長。そこへキサラギさんが近寄ると布きれでぐしぐししてあげる。隅っこのカップルもなぜかはわらないが、頭を寄せ合い喜び合っていた。なんかエロいな。そしてけしからんな。


 まあ、ともかく、討論タイムロスはこれで終わりだった。


「よし、じゃあ行こう」


 拭かれすぎて鼻が真っ赤になった委員長が、ふん、と力強くうなずく。

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