06:00 深淵に至る隧道

:11 深淵に至る隧道

 ずっと左側にあった絶壁が突如として大口を開けた。


 巨大なトンネル――それはダンプカーが何台も並走できそうなほど幅広のトンネルで、奥がどうなっているのか外からでは窺い知ることができない。

 それほどに深く、暗い道。


 深淵しんえんに至る隧道ずいどう

 このエリアもまた、本来なら終盤に訪れるダンジョンだった。

 隧道の入り口は、まるで巨大な生物が息をするかのように周囲の空気を飲み込んでいた。

 そんな真っ暗で奥の見えない隧道に、キサラギさんは生唾を飲み込んだ。


「ね、ねえハヤタ……ほんとにここ、いくの?」

「迂回するルートもあるにはあるけど、そっちは時間がかかりすぎるし、何よりここで装備を整えておきたい」

「ということは、ここにあるのね。いい装備が」


 委員長は挑むような目で穴の奥を見つめる。その横顔たるや、イケメンのそれだった。


「ああ、かなりのモノが眠ってる。ただし、めちゃくちゃ強いボスを倒した先に、だけど」


 ぶるりと一度身震いしたキサラギさんは、腰にあった剣の柄を握った。


「あたし、自信ないかも……」

「そうはいっても、古戦場の森と亀裂谷の宝をぜんぶスルーしたから、せめてここでは装備を整えておかないと――」

「そうしないと、この先、詰んでしまうということね」


 委員長の推測に、俺はうなずいて肯定する。


「【王の根城ねじろ】へと続く【橋】を越えるには、ここの装備が必須だ」


 逆に言えば、ここさえきちんと攻略すれば大幅な時間短縮が望めた。ゆえに、腕利きのRTA走者が好んで使うルートでもあった。


「でも、谷の上でも言ったけど、私たちのレベルじゃ、ここにいる雑魚モンスターですら倒せるかどうか……」

「まあ、今の俺たちじゃ百パー殺されるだろうな。それも、ダメージを与えることもなく」


 思ったことを素直に口すると、二人ともギョッとしていた。

 でも、これは俺の経験から導きだされた事実だ。そう断言できるほど、今の俺たちには見合わない高難易度エリアということだった。 


「だから。ここでもモンスターはぜんぶ走ってスルーする」


 それを口にした途端、委員長は露骨にムスッとした。まともな攻略を期待していたのだろう。

 まあ、気持ちはわからんでもない。待ち構えるモンスターどもを片っ端からダッシュでスルーするというのは、まっとうなゲーム攻略とは言えないからな。


「それでも、全部が全部、逃げられるわけでもないんでしょ?」


 気の強そうなことを言いながら、委員長は腰にあった刀をすらりと抜いた。


「いざ戦わないといけなくなったら、そのときは――」

「いんや、それでも逃げる」


 正気なの? と茶色い瞳で問うてくるが、俺はいつだって正気だ。


「モンスターもトラップも、宝箱でさえも、片っ端からぜんぶスルーだ」


 言った途端、俺と委員長の間の空気がぴりぴりと張り詰める。


 が、俺は折れない。

 ゲームを愛する委員長の気持ちも痛いほどわかる。これが正当なゲーム攻略とは俺も思っていない。

 しかし、いまの俺たちのレベルでここを走破したいのなら、全スルー以外選択肢がないのもまた事実だ。それくらいこの隧道は凶悪な難易度を誇っている。


「まあまあ、シボも……ね?」


 俺たちの無言のプレッシャーに耐え切れなくなったのか、キサラギさんが割って入る。


「ここのボスを倒して装備を整えたら、そこからちゃんとした攻略がはじまりそうだし、ね?」


 水を向けられた俺はしかし、答えに窮する。キサラギさんはそう言うけど、それもちょっと違う。


 ここを越えれば残る難所は橋だけとなるのだが、そこもできれば走り抜けたい。でも、隧道とは違って橋は装備なしでは走り抜けることができない。最低でもいい盾が必要だ。だからここで装備を整えておきたい。最難関の橋を走り抜けるためにも。

 まあ、これは言わないほうがいいか。


「まあ、ここにいるモンスターを見たら、戦う気も失せると思うよ」


 言うと、委員長はあからさまにブスッとした。私はそうじゃないと言いたげだ。

 なんか初心者の頃の俺を見ているようで微笑ましい。仕方がない。んじゃアドバイスだけでもしておくか。


「ここにいるやつらはほとんどが目が見えない。そのかわり、音とニオイに敏感なヤツが多い。やつらに気づかれたが最後、群れをなして内臓をえぐり取りに来る」


 ごくりと二人の喉が鳴った。


「だからもし気づかれても、無視して走り続けたほうがいい。じゃないと、むごい死に方をすることになる」


 ここで死ぬと、リアルで悪夢を見るようになる。それも連日連夜。あらためて思う、すごいゲームだ。お金を出してくれたプレイヤーにPTSDを植えつけるのだから。


 すこし怖がらせすぎたか、二人とも顔面蒼白になっていた。

 もはや抜身の刀をだらりと力なく提げた委員長が、それでもなお訊いてくる。


「それで奥まで行けたとして、ボスはどうするの? まさかボスもスルーするってわけにはいかないわよね?」

「ああ。ボスはスルーできない。でも大丈夫。ボスは俺が倒す」


 二人して俺を凝視する。まるでペテン師でも見るかのような目つきだ。


「できるの? その格好で?」


 つま先から頭のてっぺんまで委員長に値踏みされるかのように見られる。上半身がぬのきれに、下半身がぼろきれ。たしかに石につまずいて転んだだけでも大ダメージを負いそうな装備だ。


 まあ、ふつうに考えたら、この装備でここを攻略することは不可能だ。雑魚モンスターの攻撃がかすっただけでも昇天は必至。

 それでも――


「隧道のボスはマッパでも倒せる」


 俺にはその自信があった。

 信じられないといった顔をする委員長。でも事実、俺はここを何度も走破していた。装備も、これに近い格好で、だ。


「ヤツの行動がツンかデレかで多少時間は前後するけど、でも、まあ十回やって十回勝てる。だからボスまでたどり着くことができたら、勝ち確と思っていいよ」


 委員長は驚きに目を丸くした。


「すごい自信ね」

「まあ、こればっかりは見てもらうしかないけど」

「そこまで言うのなら……」


 ようやく納得したのか、委員長は抜身の剣を鞘に戻した。


「決まりだね、じゃあ、ぜんぶスルーの方向で」


     ★ now loading ...


 まず俺たちを待ち受けていたのは【目隠し工夫】どもによる洗礼だった。


 隧道のあちこちで採掘作業をしていた禿頭とくとうの工夫たちは、その巨大な鼻で獲物の匂いを嗅ぎつけるや否や、仕事をほっぽり出し、ピッケルを肩にどこまでも追いかけて来る。


 こいつら自身はあまり強くはないのだが、警戒すべきはその数だ。倒しても倒しても、そこらじゅうの穴から永遠に補充されるためキリがない。

 ちなみに、こいつらに捕まってしまうと、その鋭利なピッケルで肉を穿たれ、中の骨を掻き出されてしまう。むごたらしいことこの上ない。


 そんな工夫どもが両サイドからわらわら迫りくる中、俺たちはたいまつを片手に、隧道のど真ん中を全力疾走で走り抜ける。


「ちょっ、なんで目隠ししてんのに正確に追いかけてくんの⁉」

「言ったろ。ここにいるモンスターは音や匂いに敏感なんだって。とにかく走って」

「にしても、すごい数ね」


 委員長が驚くのも当然だ。工夫たちはそこらじゅうの穴から這い出てきては、本道でほかの工夫たちと合流し、今や大群となって押し寄せてきている。その足音の多さたるや、もはやマラソンのそれで、その先頭を走っているとペースメーカーをやらされている気分になる。


「ちょっ、いくら何でもしつこすぎない⁉」  

「あいつら、この先の鍾乳洞エリアまでずっとついてくるからな。だからスタミナ管理を徹底しないと、捕まったらピッケルで骨をえぐり取られる」

「ひいっ、聞くんじゃなかった」 


 と、キサラギさんが泣きごとを言った、次の瞬間――


「すべては爆発から始まった、ぜろ、そして瞬く間に広がれ――」


 あろうことか委員長は範囲攻撃型のごう大爆発だいばくはつごう】の呪文を唱えはじめた。

 隧道に入ってまだ2分も走っていないのに、だ。


「言ってるそばから委員長! 無視でいいから! 走って!」


 すぐ隣から特大の舌打ちが聴こえてくる。


「大爆発の業。つい最近覚えたばかりだから試したかったのだけど」

「んなもん、こんな狭いとこで撃ったら俺たちのほうが生き埋めになる」

「へえ、そんなに威力があるのね……フフッ、はやく試してみたいわ」

 

 黒髪をなびかせて走る委員長は、口の端をニヤリと上げていた。案外、血の気が多いのかもしれない。


 最初の坑道エリアを抜けると、天井から、巨大な棘のような鍾乳石が何本も迫りくる鍾乳洞エリアに入る。


 と、頭上からぼたぼたと【洞穴どうけつマシラ】が落っこちてくる。


 それは白と黒の縞模様のマッチョなゴリラだった。特筆すべきはそのHPの多さで、斬っても斬っても死にゃあしない。その上、握力がバカみたいに強いので、もし、やつらに捕まってしまうようなことがあれば、そのときは背骨を綺麗に折りたたまれて、驚くほど小さくなって、死ぬ。


「キャーーーーッ! マッチョ無理ィーーーーッ!」


 キサラギさんの絶叫がエリア内に響き渡る。近くを走っていた俺は、思わず耳を塞いだ。


 洞穴マシラは現実世界のゴリラとは違って眼球がない。そのかわり、ウサギのような耳をピンと立て、獲物が出すわずかな音を逃すまいとあらゆる方向に頭を振る。その際に肥大化した胸筋を晒すことになるのだが、その筋肉の見事なこと。思わず、今日もキレてるよーと声をかけたくなる。


 が、キサラギさんはその筋肉が生理的に無理なようで、顔を真っ青にして叫ぶ。


「うっわ乳が! オスの乳がモリッてなってる! 無理! ゴリマッチョマジで無理!」


 そう絶叫しながらキサラギさんは俺の腕にガシッとしがみついてくる。ふむ、マッチョとはついの存在、ヒョロガリで良かったと心の底から思う。これからもヒョロく、ガリでいよう。


「でも、マッチョが怖いって、かなり珍しいような……」


 そんな俺の疑問に、隣で黒髪をなびかせて走る委員長が淡々と答えてくれる。


「彼女、母親が米軍の関係者で、幼少時、家によく同僚の軍人さんが遊びに来てたみたい」

「ほう」

「でも、みんなお父さんより身体が大きくて、当時のステアはそれが怖かったのね。その日は一日中、お父さんの胸に顔をうずめて泣いていたそうよ。筋肉お化け怖いって。以来、マッチョを見るとその時のトラウマが蘇るようね」

「なるほど、それは怖い」


 ある日、家にゾロゾロと知らないマッチョたちが押し寄せてくるのだ。そんなの、恐怖でしかない。


「うわっ! マッチョが走って来てる! 全速力で走って来てるよぉ~。もう、ムリィおしっこ漏れそおぉ!」

「ゲームが終わったあと、けっこう漏れてることあるよね」

「ハヤタは黙って!」


 気を紛らわそうとしたのだが、青い目で一喝されてしまった。


「ごめんて」


 洞穴マシラは耳はいいのだが、視覚を頼りにするモンスターよりも襲いかかるタイミングがワンテンポ遅かった。なので、まだ逃げるのは容易いほうだ。

 俺たちは何とか、ノーダメージで鍾乳洞エリアを抜けることができた。 

 

 隧道内にはいたるところに水場があり、澄んだ水の中では目のない魚が優雅に泳いでいた。

 そんな水場エリアに入ると、地面からぬるっと、半透明な髑髏が染み出てくる。


 【地より染み出る悪霊騎士】の、それは頭部だった。


 こいつらは骸骨騎士の幽霊バージョンで、薄緑の透けた身体を持ち、壁を貫通して獲物に襲いかかってくる。何が厄介かって、その移動範囲の自由さにある。生きている者のオーラを察知すると、やつらはどこでも構わずに染み出てくる。壁の中からでも水の中からでも。なので、隧道で一番危険なモンスターといっても過言ではない。


 ちなみに、やつらに捕まるとたちまち発狂してしまい、近くの水に飛び込んで入水自殺完了となる。

 そんな骸骨の幽霊を目の当たりにした委員長は、


「ひいっ」


 と短く悲鳴をあげると、一人、走る速度を上げる。


「ちょっ! 委員長! スタミナ管理ガバッてる! そんなに飛ばしたら後半もたないって!」


 後半どころか、前半ももたなかった。すぐにガス欠を起こした委員長は、へなへなと歩く速度よりも遅くなる。あーあ、言わんこっちゃない。

 すぐに追いついたキサラギさんが、心配そうに声をかける。


「おーい、大丈夫かーシボ。顔、真っ青だよ?」

「ごめんなさい。私のことはいいから、先に行ってて」

「あ、そう? じゃあ、お先に」


 そう言い残して速度を上げようとした、矢先。


 グイっと服の裾を掴まれ、上手く速度を上げられない。

 見ると、先に行っててと言った張本人が、俺の服を掴んで何食わぬ顔で走っている。


「あの……そこを掴まれるとうまく走れないのですが……?」

 

 指摘する俺の顔を委員長は、ギロリと睨んでくる。なんで⁉ 

 しかし、よく見ると、その茶色い瞳の端に大粒の涙が浮かんでいた。よほど、ここのモンスターが苦手なんだろうか。

 その様子を隣で見ていたキサラギさんが、ハハッと小さく笑い声をあげる。


「ほら、シボん家って旧家で古いじゃん? だから、敷地内に古い蔵がいーっぱいあるのね」

「ほう」

「そいで、小さい頃、その蔵の中で遊んでた幼女シボちゃんは視ちゃったんだよ。首だけ浮かんだおじさんの霊を」

「それはトラウマになる」 


 再び委員長を見やると、彼女はムスッとしながらも、忠犬のごとく俺の横にピタッとくっついて並走している。ってか、密着しすぎでは? 走りにくいったらありゃしない。

 まあ、幸せではあるがね!


 と、そのとき、目の前の壁から、崩れたおっさんの顔がぬめっと染み出てくる。


「キャーーーーーーーーー!」


 委員長の耳をつんざく悲鳴に、キサラギさんがブッと噴きだし、やがて爆笑に至る。

 なんだろう、みんな楽しそうだな。こうしていると、まるでお化け屋敷を攻略する高校生グループみたいだ。


 ん、ちょっと待てよ。だったら今のこれは、さしずめデートということにはならないか。

 いや、なる。こんなに密着して走っているのだ。これをデートと呼ばずして何と呼ぶ。そうか……深淵に至る隧道って……。


「なんか、遊園地みたいだな」


 そんな可愛げのある俺の感想に、委員長は俺の手をぎゅっと強く握ることで抗議してくる。


「黙って! そして手を離さないで! おねがいだから!」

「わかりました」


 離すもんか。俺は今、学校でもトップクラスの美少女二人の手を握って走っているのだ。母さん、いま、俺、幸せです。ちょっと脳漿がはみ出たおじさんに追いかけられてるけど。

 真っ暗な隧道の中、たぶん俺だけが笑っていた。

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