暁の誓い

 勘が鋭いレナータのことだから、きっとアレスがこれを探している間にも、今年の誕生日プレゼントの正体を薄々察していたに違いない。多少は驚いているみたいだが、それほど大きな反応を見せないのが、何よりもの証拠だ。

 そう考えると、少々気恥ずかしいものの、箱の上で可愛らしく結ばれているリボンを、するりと解く。


「……これで、やっと渡せるな」


 蓋を開ければ、アクアマリンと真珠があしらわれ、薔薇の花の形を模している、エンゲージリングが姿を現した。


 最初、レナータに渡す指輪は、ありきたりではあるものの、ダイヤモンドを使ったものにしようかと考えていた。

 でも、実際に宝石を眺めているうちに、ダイヤモンドみたいな豪奢な宝石よりも、レナータにはもっと可憐な宝石の方が似合うのではないかと、思い直したのだ。

 そして、厳選に厳選を重ねた結果、三月の誕生石であり、宝石言葉がレナータに似合うアクアマリンと、控えめで可愛らしい真珠を選んだのだ。アクアマリンは、かつてのレナータの瞳の色とよく似ていたことも、決め手の一つとなった。


 エンゲージリングの飾りを、薔薇の花の形をしているものにしたのは、今も昔も、レナータは白い薔薇そのものみたいだと思ったからだ。それから白い薔薇は、初めてアレスがブーケをプレゼントしたあの日、レナータが大好きな花だと、思い出深い花だと語り、涙を流しながら喜んでくれたから、指輪にもモチーフとして使おうと、最初から決めていたのだ。


 アレスが箱からエンゲージリングを抜き取ると、吸い寄せられたかのごとく、翡翠の眼差しも自然と持ち上がった。そして、アレスをじっと見つめてくるレナータの左手を取り、薬指に指輪を通していく。


「……よかった、ぴったりだな」


 アレスの言葉通り、エンゲージリングはレナータの左手の薬指にぴったりと嵌った。夜中に、レナータが熟睡している隙に、密かに薬指のサイズをメジャーで測っておいてよかったと、心の底から思った。


 感情が追いついていないのか、アレスと指輪を交互に見遣るレナータの顔には、これといった強い感情が窺えない。嫌がっているわけではなさそうだが、喜んでいるわけでもなく、何だか戸惑っているように見える。

 プロポーズをする最高のタイミングなんて、正直アレスにはよく分からない。ただ、アレスは今、渡したいと思ったのだ。だから、渡した。ただ、それだけだ。


 だが、もしかすると、それではいけなかったのだろうか。これでは、レナータは不満だったのだろうか。

 瞬きばかりを繰り返すレナータに、徐々に緊張感や不安が煽られていくが、もうエンゲージリングを嵌めてしまったのだ。あとは、どんな結果になろうとも、もう言葉を捧げるしかない。


「こんなことを言うなんて、今さらっていう気がしなくもねえが……改めて言わせてくれ。――レナータ、俺の家族になってくれないか」


 我ながら、本当に今さらだと思う。

 一体、何年二人で暮らしてきたと思っているのか。七年もの間、兄貴分と妹分として一緒に暮らし、三年近く、恋人同士として生活を共にしてきたのだ。家族になって欲しいなど、今頃になって何を言い出すのかと思われても、仕方がないのかもしれない。

 しかし、咄嗟に出てきた言葉がこれだったのだ。これが、アレスの本音なのだ。


(……プロポーズの言葉を前もって考えておく世の男どもの気持ちが、やっと分かった……)


 その時思ったことを言葉にして伝えればいいだろうと考えていた過去の自分を、無性に殴り飛ばしたい衝動に駆られる。そんなに都合よく言葉が出てくるものではないのだと、思いきり罵倒したい。


 アレスなりのプロポーズの言葉を口に出した刹那、目の前の翡翠の瞳が揺らめいたような気がした。そして、次の瞬間にはその瞳に水の膜が張り、みるみるうちに目尻から大粒の涙が溢れ出してきた。同時に、薔薇色に染まっている頬が緩み、幸せそうに微笑む。


「――はい」


 少しふっくらとした柔らかい唇から零れ落ちてきたのは、簡単な了承の言葉だけだった。唇が微かに震えているから、もしかしたらそれしか言えなかったのかもしれない。

 でも、言葉にせずとも、幼いアレスがプレゼントしたブーケを見た時と酷似している、綺麗な涙と幸福そうな笑顔を目の当たりにすれば、レナータの想いが痛いほど伝わってくる。

 あの日、春の柔らかな日差しを浴びてきらきらと輝くレナータの涙は、本当に美しかった。そして今、アレスの前で流しているレナータの涙も、ひどく美しく愛しい。


 そう思った途端、考えるよりも先に身体が動いていた。

 何の前触れもなく、アレスが互いの唇を重ね合わせたにも関わらず、レナータは目を閉じ、キスに応えてくれた。

 アレスも瞼を閉ざし、レナータの唇の熱と感触を味わっていたら、突然鳥の羽音が聞こえてきた。


 驚いて目を開き、咄嗟にレナータの唇から離れて音の出所へと視線を向ければ、何羽もの真っ白な鳥が、飛行船のデッキを通過していくところだった。今は、デッキの上部は屋根に覆われているものの、デッキの周りには屋根を支えるための柱がそびえ立ち、落下防止のための手すりが張り巡らされているだけだから、鳥ならば容易に通り抜けられる。

 だが、あまりのタイミングの良さに、驚かずにはいられない。それは、レナータも同じだったようで、アレスたちの傍をすり抜けていく鳥の群れに目が釘付けになっている。

 はらはらと純白の羽根が舞い散る中、レナータと顔を見合わせると、どちらからともなく自然と笑みが零れた。


「……レナータ。今、自惚れてもいいか?」


 レナータが三千年という悠久の時を生きてきたのは、アレスと巡り会うためだったのだと、あの白い鳥たちに祝福されたみたいだと、自惚れても許されるだろうか。

 アレスがそう問いかければ、レナータは満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。


「私も! 今、すっごくすっごく、自惚れたくてしょうがない気分だから、アレスも好きなだけ自惚れていいよ!」


 涙を零しつつも幸せそうに笑うレナータは、やはり人類を見守る女神でも何でもなく、お姫様みたいに可愛い人間の少女にしか見えない。


「――レナータ、愛している」

「私も、アレスのことを愛している」


 愛の言葉を囁き合うと、またレナータの目の縁から涙が流れ落ちていく。そして、もう一度互いの唇を求め合う。

 ――暁の光が射し込む中、愛を誓い合った二人の周囲に舞い落ちている羽根は、まるで白い薔薇の花びらみたいだった。

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