運命の人
(どうして……私に近づいてくる人は、私を通して私じゃない何かを見る人ばっかりなの……!)
レナータを創った、最初の父親であるカミルは、最愛の亡き妻の面影と、産まれてくるはずだった娘の幻想を見ていた。
よりよい生涯を送れるよう、人類を導き、尽力していた頃は、人類の守り神と崇められるか、好都合で便利な、利用価値が高い道具として使われていた。
レナータと結婚し、ずっと傍に置いておきたいのだとのたまった男性は、永遠の若さと美貌という夢に取り憑かれていた。
レナータを襲った暴漢たちには、即物的な欲求の捌け口とでも見なされていたに違いない。
血の繋がった祖母は、レナータから亡くなった婿養子の面影を見出し、懐かしんでいた。それから、アードラー一族のためにと、グラディウス族の粛清の道具として、子を産むための道具として、利用されようとしている。
そして今、この部屋に訪れた男は、エリーゼの実の娘であるレナータに、もうこの世界にはいない女性を重ねて見ている。
(……どうして、私に意思があるとは思わないの? どうして、私自身を見てくれないの?)
父の場合は、仕方がない。元々、亡き妻と、産まれてくることさえ叶わなかった娘の存在を追い求めた結果、妻であるエーファとそっくりの顔立ちをしているバイオノイドを創ったのだから、むしろ当然のことだったのかもしれない。
レナータを女神と呼んで縋るか、狡猾に利用してきた人類のことも、自分の傍に置いておきたいがために婚姻を結ぼうとした男のことも、別に恨んではいない。かつてのレナータは一人の人間ではなく、ロボットだったのだ。今、胸に湧き上がる想いを訴えることすら、当時のレナータにとっては、おこがましいことだったのだろう。
しかし、あの秋の夜にレナータを襲った男たちや、実の孫娘を平然と利用しようとする祖母、それからエリーゼの面影を追い求めているルートヴィヒには、確かな怒りを覚えていた。
今のレナータは、昔とは違って人間だ。想いを踏み躙られれば、許せないと思ってしまう。仕方がないことだと理性的に割り切り、他者に期待せずにいられるかつてのレナータには、もう戻れない。
「……エリーゼは……お母さんは、もう死んだの」
喉の奥から絞り出した声は、怒りに震えていた。椅子の足を掴む手も小刻みに震え、微かに軋む音が聞こえてくる。
「貴方が……お父さんを殺したから、お母さんは死んだの」
そうだ。この視線の先にいる男は、両親の仇だ。
憎むつもりはない。この男に憎悪を向けたところで、失われた両親の命は二度と戻ってこないのだ。
だから、憎しみに囚われず、これまで通り、前を向いて生きていこうと思う。復讐に駆られるよりも、亡くなった両親も余程喜ぶはずだ。
でも、憎まずとも、やはり許せないと思わずにはいられない。許せるわけがないのだ。
その上、よりによって両親を死に追いやった男が、被害者の娘にあんな風に迫ってくるなんて、ますます許し難い。
「お母さんは……エリーゼ=アードラーは、もうこの世界のどこにもいない」
「――ああ、そうだ……」
レナータが言い聞かせるようにそう告げた瞬間、たった今思い出したとでも言いたげに、ルートヴィヒが呟くように答えた。
「そうだ……エリーゼは、もうどこにもいない。だから、君をエリーゼにしなければ」
続けられた言葉に、愕然と目を見開く。
(何を、言っているの……?)
確かに、レナータは母と同じ、ダークブロンドと翡翠の瞳を持っている。
だが、目元や雰囲気は父親似だと、祖母に散々言われたことから、両親を知っている人からすれば、母親よりも父親の血を濃く受け継いでいるように見えるのだと、察することができた。
そして何より、髪と瞳の色彩以外の容貌は、かつて人類の守り神と呼ばれていた頃のレナータと瓜二つなのだ。今のレナータの姿から連想するならば、母よりも昔のレナータの方が容易いに決まっている。実際、アレスがそうだった。
「君をエリーゼにして、全てをやり直さなければならなかったのに……それなのに、何故――」
虚ろになっていた目が、もう一度怒りに彩られていく。レナータに向かって手を伸ばしながら足を踏み出し、再び近づいてくる。
「――何故、選ばれるのは、いつだって私ではない男なんだ!」
「――貴方は……お母さんを、エリーゼ=アードラーを愛していたの?」
ふと、思ったことをそのまま口にした刹那、ルートヴィヒの動きがぴたりと止まった。憤怒に目元を歪めていたルートヴィヒは、今では衝撃を受けたかのごとく、目を見開いていく。
「ち、が……私のこの想いは、そんな、陳腐な……」
「……違うの?」
最初は、ルートヴィヒが何を口走っているのか理解できず、混乱するばかりだった。次は、母と重ねて見られているのだと知り、自分は自分だと、怒りが込み上げてきた。だから、ルートヴィヒが紡いだ言葉に込められた想いを汲み取る余裕など、微塵もなかった。
しかし、改めてルートヴィヒの言い分に耳を傾けてみると、エリーゼを愛していたのだと、何故愛してくれないのかと、血を吐くような思いで叫んでいるようにしか聞こえなかったのだ。
素朴な言葉で疑問を投げかければ、ルートヴィヒは押し黙り、二人の間に静寂が流れた。
どうすれば現状を打開できるか、レナータが思考を巡らせていたら、突如として低く美しい声が沈黙を破った。
『――レナータ、窓から離れろ』
何の前触れもなく、首元から流れてきた音声に、ルートヴィヒと二人揃って息を呑む。
レナータは今、ちょうど窓の近くに立っている。だから、咄嗟に窓へと振り向けば、美しい ステンドグラス越しに、飛行船がこちらに向かってくるところが見えた。
(飛行船……それも、軍用機)
そんなものを、軍人でもなく、楽園からも逃げ出したアレスがどうやって用意したのか、皆目見当がつかない。
でも、レナータのメッセージを聞き届けたアレスが、ここまでやって来たことは、紛れもない現実だ。
アレスは、レナータの言葉に応えてくれた。ならば、レナータもアレスの言葉に応えるまでだ。
そう腹を括るや否や、手に持っていた椅子をルートヴィヒ目掛けて勢いよく放り投げる。
レナータの腕力では、椅子を投げつけたところで、その威力はたかが知れているが、まさかいきなり椅子を投げて寄越すとは、思ってもみなかったに違いない。虚を突かれたルートヴィヒの意識が、完全にレナータが全力で投げ飛ばした椅子へと向けられているのは、一目瞭然だ。
距離を取っていたこともあり、椅子はルートヴィヒと衝突することはなかった。ルートヴィヒの靴の先にぎりぎり届かないところに、盛大な音を立てて落下した。
だが、レナータの狙いは、ルートヴィヒに椅子を投げつけ、ダメージを負わせることではない。ルートヴィヒの意識がレナータから少しでも逸れてくれれば、それでよかったのだ。
派手な物音が鼓膜を揺さぶるのとほぼ同時に、助走をつけてルートヴィヒへと右肩を突き出す形で突進していく。
護身術といえば、相手を投げ飛ばしたり、蹴り技を見舞ったりなど、動きの大きい技を連想しがちだ。
しかし、アレスが幾度も根気強くレナータの身体に叩き込んだのは、全身の体重を乗せた体当たりだ。それが、男性に比べて体格に恵まれず、腕力も劣り、武術の心得がないレナータにとって、最も有効な攻撃だと教え込まれた。
吹き飛んできた椅子に意識を取られていたルートヴィヒの隙を突き、躊躇なく右肩から突っ込んでいく。その勢いを殺さぬまま、ルートヴィヒを床の上に押し倒す。その拍子に、ルートヴィヒの後頭部が容赦なく床に打ち付けられた。
意識を失うほどの衝撃ではなかったみたいだが、軽い脳震盪でも起こしたのか、薄く形のよい唇の隙間から呻き声が漏れてくる。
でも、今のレナータに、ルートヴィヒの容態を慮る余裕なんて、欠片もない。
素早く身体を起こしてルートヴィヒの片腕を掴むと、そのままずるずると壁際まで引きずっていく。
レナータがちょうどルートヴィヒを壁際に寄りかからせ、窓へと視線を投げた途端、黒い何かが凄まじい勢いでステンドグラスを突き破ってきた。甲高い破砕音が室内に響き渡り、色とりどりのガラス片が部屋中に撒き散らされていく。その光景を目の当たりにし、咄嗟に右腕で顔を庇ったものの、レナータのところまではガラス片は飛んでこなかった。
窓を突き破るという、規格外な手段で塔の内部に侵入してきた人物は、顔の前で交差していた両腕を下ろし、自らの服に張りついたガラス片を慎重に落としつつ、胴に巻き付けていたワイヤーらしきものを、どうしてか手早く外していく。そして、自由になったワイヤーは急速に窓の外へと巻き取られていき、レナータの視界から姿を消した。
「ったく……変な男を入れたら駄目だって、言っただろうが。レナータ」
悪態をつく低く美しい声が、レナータの鼓膜と共に心を震わせる。
今、レナータの目の前に現れた人は、王子様なんて大層な存在ではない。口も目つきも悪く、相手がレナータに暴行を加えようとしていた男とはいえ、拷問紛いの行為にまで及んだこともある、危険人物だ。
だが、どんな時でもレナータと一緒にいてくれた。滅茶苦茶で、いつもレナータの予想の斜め上を行く形ではあったものの、導き、守ってくれた。レナータの生を肯定し、愛を告げてくれたのだ。
レナータにとって、この人は――間違いなく運命の人だ。
「――アレス……ッ!」
床の上に散乱しているガラス片を踏みつけないように気をつけながらも、急いでアレスの元へと駆け寄っていく。レナータが手を伸ばせば、アレスの力強い腕が素早く抱き寄せてくれた。何故か、レナータから見て右側の頬が腫れ上がっているし、ところどころ切り傷もあるが、目の前にいるのは、確かにアレスだ。
「アレス、アレス……!」
のんきにアレスが助けにきてくれた感動に浸っている場合ではないと、頭では理解しているのに、それしか言葉を知らない子供みたいに、ただひたすらにその名を呼ぶ。少しでも気を抜けば、涙腺が緩んでしまいそうだ。
しかし、泣くのはあとでいくらでもできる。今は、ここから脱出することに集中しなければならない。
そう自分に言い聞かせつつ、気を引き締め直していると、外から爆撃らしき音が聞こえてきた。次いで、塔の内部がぐらぐらと地震のように揺れた。
だから、咄嗟にアレスにしがみつけば、大丈夫だと言わんばかりに、一際強く抱きしめ返してくれた。
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