アマーリエ=アードラー
「――レナータ。アードラー一族の人間として楽園に戻ってきた以上、一族の者として責任を果たしなさい。貴女が引き継いだ、人類の守り神の力で、逆賊であるグラディウス族に投降を促し、クーデターを鎮圧させなさい。そして、アレス=ヴォルフが見つかり次第、貴女の夫として宛がいますから、可能な限り、子を産み育てること。……よろしいですね?」
レナータは、アードラー一族の人間として楽園に戻ってきた覚えは、欠片もない。アレスの身を守るため、ついてこいという命令に大人しく従っただけだ。クーデターの行く末に、正直興味はないし、アードラー一族のために子供を作る気もない。
しかし、ここで祖母の命令を拒絶したところで、事態が好転するとは砂粒ほどにも思えない。むしろ、悪化の一途を辿るに決まっている。
「……はい」
「最早、アードラー一族の末裔は、わたくしと貴女の二人しかいません。世代を経るごとに、我が一族は子が産まれにくくなっておりますが、 それでも最大限に努力だけはなさい」
――祖母の言葉を耳にした刹那、嫌な予感が急速に膨れ上がっていった。
震えそうになる手を膝の上でぎゅっと握り締め、おそるおそる祖母に疑問を投げかけた。
「……父と母は……私の両親は、ここにはいないのですか」
「ああ……まだ、聞かされていなかったのですね。貴女の父親は、娘たちの行方を捜していたルートヴィヒ=フレーベルに射殺されました。そして、娘は包丁でルートヴィヒ=フレーベルに切りかかろうとしたところを、正当防衛として彼の部下に殺害されたそうです」
あまりにも淡々と告げられた両親の最期に、なんて言葉を返せばいいのか、分からない。
ただ、今まであやふやだった両親の死を明確に知らされ、やはりそうだったのかと思うのと同時に、胸に鋭い痛みが走った。
でも、両親が死亡してから、十年の歳月が経っていたからだろうか。不思議と、涙は零れてこなかった。
それでも、俯かずにはいられなかったレナータの耳に、祖母の溜息交じりの言葉が飛び込んできた。
「まったく……最期まで愚かな子だったこと。訓練された軍人相手に、包丁一本で敵うわけがないでしょうに……大人しくしていれば、命を取られずに済んだのに、本当に愚かだこと」
心の底から殺された娘に呆れ果てていることが伝わってくる祖母の口調に、頭に血が上っていく。
母は、レナータが人工知能だった頃から、夫を心から愛していたのだ。愛する人を目の前で殺されたら、我を忘れて逆上したとしても、不思議ではない。
その上、よりによって、両親を殺害した犯人が、レナータを楽園まで連行した張本人だったとは、腸が煮えくり返る思いがする。
もう一度喉元まで込み上げてきた激情に耐え忍びつつも、下を向いたまま喉の奥から声を絞り出す。
「おばあ様……まだ、お聞きしたいことがあります。おばあ様は、どうして私たちの捜索に、今まで本腰を入れなかったのですか。それなのに、どうして……私に、アードラー一族の人間としての責務を果たすことを、求めるのですか」
怒りのあまり、声が震えてしまうのではないかと危惧していたのだが、レナータの唇から零れ落ちてきた声は、思いの外、冷静なものだった。そして、レナータの疑問に応える声も、腹立たしいくらい落ち着き払っていた。
「娘夫婦の行方を追わなかったのは、権利を受け取るだけ受け取って逃げ出すような者など、アードラー一族の名を背負う者に相応しくないと、わたくし自ら勘当したからです。わたくしの決断に、異を唱える者はいませんでしたから、本心がどうであれ、それが楽園の人間が出した結論です」
つまり、母は自ら選び取った選択により、望んだ未来を勝ち得ていたのだ。
だが、それならば、どうしてあの夜、楽園の人間がレナータたちの家に現れたのか。祖母の発言には、大きな矛盾がある。
「ですが……どういうわけか、ルートヴィヒ=フレーベルは、あの馬鹿娘に執着していたようで。娘の夫だったオリヴァーを射殺したのは、彼が必要としていたのが、娘だけだったからでしょう。それでも、なにも、殺すことはないと思ったのですが……」
死して尚、祖母は娘であるエリーゼを疎んじているみたいだが、先刻も思った通り、婿養子のことは気に入り、可愛がっていたらしい。現に、娘の最期は吐き捨てるように告げていたのに、婿養子の死は嘆き悲しんでいる。
「では……私たちの行方を捜索しなかったのは――」
「――子供二人に、一体何ができるというのです? きっと、その辺で犬死しているだろうと思って、わざわざ捜索の手を割くような真似をしなかっただけですよ。ただ……何故か、ルートヴィヒ=フレーベルは、貴女を楽園に取り戻そうと、躍起になっておりましたけれど」
祖母からの返事を聞き、腑に落ちた点と疑問点が、同時に胸中に芽生えていく。
(おばあ様の中で、私とアレスは死んだことになっていたんだ……)
しかし、そう思われて当然かもしれない。
大抵の場合、あの状況で子供二人が生き延びるのは、難しいだろう。
アレスは、いつああいう状況に陥ってもいいように、対策を講じ、心構えができていたから、臨機応変に動けたのだ。レナータは、危機的状況に追い詰められたからなのか、人工知能だった頃の記憶を全て取り戻したから、アレスについていくことができたのだ。
全ては、取り巻く環境に恵まれ、レナータが人類の守り神の記憶を移植された脳を有していたからこそ、手繰り寄せることができた幸運だ。あとは、レナータたちが元々強運の持ち主でもあったのかもしれない。
それから、何故ルートヴィヒがレナータに固執するのか、その理由に全く見当がつかない。
確かにレナータは、ルートヴィヒが執着していたエリーゼの一人娘だが、だったら何だというのか。
「ですが、貴女もアレス=ヴォルフも、わたくしが思っていたよりも、生命力が強く、行動力や判断力にも優れていたようですね。これは、嬉しい誤算です」
その弾んだ声音だけで、祖母がまた微笑みを浮かべている姿が、容易に想像できた。
「それから、何故今さら貴女にアードラー一族の人間としての責任を求めるのかについてですが……貴女が今、ここにいるからです。それ以上でも、それ以下でもありませんよ」
そこまで聞いたところで、ようやく緩慢とした動作で顔を上げる。二対の翡翠の眼差しが絡み合えば、威厳に満ち溢れた声が言葉を継いだ。
「もし、期待していたのだとしたら、申し訳ありませんが……貴女の脳に、人類の守り神の記憶が移植されたとはいえ、貴女の脳は所詮、人間の脳です。知識があったところで、AIほど処理能力に優れているわけがないでしょう。――ですが、貴女の声に関しては、またとない偶然の産物ですから、使えるだけ使ってもらいますよ」
別に、そんな期待はしていなかった。かえって、下手に期待されたら困るとすら、考えていた。それに、ここまで徹頭徹尾、道具扱いされると、いっそ不快感が払拭されていく気がする。
だから最早、何の感慨も湧かなかった。
祖母にとって、レナータはたまたま手に入った、利用価値を見出した道具でしかないのだろう。祖母の言葉を借りるのならば、それ以上でも、それ以下でもない。たとえ、その相手が血の繋がった実の孫娘だとしても、祖母には関係がないのだろう。
ちょうど話が一区切りついたところで、応接間の扉を控えめにノックする音が聞こえてきた。
「――奥様、お嬢様、ご歓談中、失礼致します。食事の用意が整いましたので、ダイニングの方に移動をお願い致します」
「分かりました、今向かいます。――レナータ、昼食にしましょう。ダイニングまで案内するから、ついていらっしゃい」
そういえば、祖母と会食をするためにこの屋敷に呼び寄せられたのだと、ようやく思い出す。
「……はい、おばあ様」
何度か目を瞬かせた後、こくりと頷き、祖母に促されるままソファから立ち上がる。
アードラー一族の屋敷で用意された料理なのだ。さぞかし家勢で、味も確かな品々が提供されるに違いない。
でも、レナータは今、食欲など露ほどにも湧かなかったし、どうせ栄養を摂取しなければならないのであれば、アレスが作ってくれる家庭料理が食べたかった。
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