アードラー一族

 ――祖母に何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


(私とアレスの遺伝子が、相性がよかった……?)


 つまり、遺伝子により、アレスはレナータの伴侶に選ばれたのだろう。

 楽園で産まれた人間は、幼いうちに採血され、そのデータはほぼ半永久的に保存される。だから、一旦楽園を離れていた身だとしても、アレスの遺伝子のデータは、楽園のルールに則り、残されていたのだ。

 そして昨日、レナータは血液検査を受けたから、その結果と現存する楽園の人間の遺伝子のデータを照合した結果、アレスの遺伝子と相性が良好だと判明したに違いない。


 何故、この状況下で、レナータの遺伝子と相性が優れた遺伝子の持ち主を探したのか。どうして、レナータの伴侶に選ばれた人間がアレスだと分かり、祖母は喜んでいるのか。


「おばあ様……おばあ様は、アレスを人質になさるおつもりですか? クーデターの主犯たちへの」


 声が今にも震えそうになるのを必死に堪え、そう問いかければ、祖母は唇に微笑みを湛えて頷いた。


「ええ、その通りですよ。察しが良くて、助かります」


 あっさりと返された答えを聞かされ、自分の表情が強張っていくのが、鏡を見なくても分かった。


「クーデターの主犯の一人は、偶然にもアレス=ヴォルフの兄なのです。実の弟を人質に取られたら、さすがに強硬手段に出るのに、躊躇いが生じるでしょう。現在、アレス=ヴォルフの行方は、今動かせる人員総出で、捜索させています。……どうやら、貴女が住んでいたアパートには、いなかったそうですから」


 祖母が最後に付け足した言葉に、内心安堵する。

 アレスはきっと、レナータが不在のアパートの部屋に残しておいた置手紙を読んでくれたのだろう。そして、まずは自分の身の安全の確保を優先したに違いない。


(それにしても……クーデターを起こしたのが、まさかリックだったなんて……)


 ニュースでは、さすがにクーデターを起こした人間の名前までは、報道されていなかった。だから、クーデターの主犯に、リヒャルトが含まれているとは、これまで知る由もなかったのだ。

 僅かに生まれた動揺を押し殺していたら、祖母が何故か物憂げな溜息を零した。


「貴女が、既にアレス=ヴォルフとの子を身籠っていれば、盾に取れる命がまた一つ増えたのですが……妊娠の可能性が皆無とは、残念です」


 とても血の繋がった孫娘に向けられたとは思えない言葉が耳朶を打った瞬間、衝撃が脳髄を貫いた。その直後、今度は腹の底からの怒りが、沸々と湧き上がってくる。

 長年、血縁関係のない若い男女が二人で暮らしていたとなれば、そういう目で見られるのは、ある程度仕方がないことなのだと、スラム街での生活で、身を以て思い知らされたはずだった。


 だが、相手が実の祖母ともなれば、話はまた別だ。まさか、祖母にここまで無遠慮にデリケートな話題に踏み込まれるなんて、思いも寄らなかった。

 その上、レナータが十五歳の時に、自分の身に降りかかった事件以降、こういう話には敏感に反応するようになっていた。だからなのか、吐き気にも似た怒りは際限なく増幅していき、今にも憎悪に様変わりしそうだ。

 そして、それ以上に、もし自分の曾孫が存在していたならば、人質に取れたのにと、平然と告げてくる祖母が許せなかった。一体、どういう神経をしているのか。


(おばあ様、人の命を何だと思っているの? しかも、よりにもよって、自分の孫相手にそんなことを言うなんて……!)


 できることならば、祖母をそう罵倒したかった。もし、紅茶が入ったティーカップを手に持ったままだったならば、涼しい顔をしている祖母にその中身をぶちまけてしまったかもしれない。


 しかし、レナータは身の内から湧き上がってくる全ての衝動を、奥歯を噛み締めることで堪えた。

 感情に身を任せ、レナータの考えを言葉にしたとしても、行動で訴えかけたとしても、祖母には伝わらない気がしたのだ。

 話が通じない相手というのは、いつでも、どこにでも存在する。自分が悪いのか、相手が悪いのか、その時の状況如何で何とも言えないが、絶望的なまでに互いの相性が悪く、分かり合えない場合もある。

 この場合、おそらくレナータと祖母では、根本的な考え方が合わないのではないかと思う。

 レナータは、祖母みたいに人の命に利用価値があるかどうか考えるのは好きではないし、道具扱いなど言語道断だ。それは、レナータが人工知能だった頃から変わらない。

 レナータは、人類の行く末を見守るために創られた、人工知能だった。だから、万が一にも人間に危害を加えるような思考を巡らせないよう、プログラミングされていた。

 そんな人工知能の記憶と人格を受け継ぎ、平和的な思想が根底にある存在が、今のレナータ――レナータ=アードラーなのだ。祖母の真似なんて、できるはずがないし、したいとも思わない。


 ゆっくりと深い息を吐き出してから、もう一度カップを手に取り、紅茶を口に含む。それから、込み上げてくる激情全てを、紅茶ごと喉の奥へと流し込む。感情的にならないように自制するためとはいえ、いつまでも歯を食いしばっていたら、顎が痛くなりそうだったからだ。

 そして、暴れ狂う感情を鎮めたところで、再びティーカップをソーサーの上に戻すと、改めて祖母を見据える。すると、祖母はどうしてか満足そうに微笑んだ。


「……あの子みたいに、感情に振り回されるタイプの人間ではないのですね。本当に、あの子に似なくてよかった」


 祖母の話に耳を傾けているうちに、アードラー一族を毛嫌いしていた母の面影と目の前の老女が、何故かだんだんと重なってきた。


 ――自由をこよなく愛し、子供みたいなところがあった母にとって、間違いなく祖母の考え方は受け入れ難いものだったのだろう。

 アードラー一族みたいに、権力者の一族の一員が、その歯車の一部として扱われるなど、よくある話だ。三千年の時を人工知能として稼働し続けている間、幾度も目の当たりにしてきた光景だ。一般人には到底手が届かない恩恵を享受できる反面、それ相応の義務を果たさなければならない。所謂、等価交換というものだ。

 母だって、そのくらいは頭では理解していたに違いない。母は、レナータの創造主であり、最初の父親だった、カミル=アードラーの再来と呼ばれるほどの頭脳の持ち主だったのだ。理解できないはずがない。

 でも、理解はできても、納得はできなかったのだろう。だからこそ、自身が名を連ねる一族の在り方に反発し、最終的には自らの意志で逃げ出した。


 そんな母を、自分のことしか考えていない、身勝手な人間だと糾弾する人間もいるに違いない。娘であるレナータでさえ、母には思うところがあるのだ。赤の他人の場合、レナータの比ではないだろう。

 だが同時に、レナータは自分の母親を可哀想だとも思うのだ。

 自らの気質に合わない環境に身を置き続けるのは、なかなかの苦行だ。しかも、母の場合、家庭環境が合わなかったのだから、尚更だ。学校や職場、その他のコミュニティといった、一時的に身を置く環境が合わない場合でも、相当なストレスを感じるものなのに、心の拠り所となるはずの家庭が心安らげる場所ではなかったなんて、同情を禁じ得ない。

 一族の歯車としての役割を受け入れることができた祖母と、できなかった母。どちらが良くて、どちらが悪いのかなど、レナータには判断がつかないが、少なくとも、アードラー一族にとって好都合な存在なのは祖母で、不都合な存在だったのは母なのだろう。

 それにも関わらず、他者の命や尊厳を踏み躙ってでも、己の意志を貫き通そうとするところはそっくりだなんて、何とも皮肉な話だ。

 そんなことを考えながら、祖母を見つめ返していると、祖母も再度紅茶を飲んでから、改めて口を開いた。

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