奇跡
「貴女の声紋と、かつて人類の守り神と呼ばれたAI・レナータの声紋が、完全に一致していたのです。貴女の声帯を弄ることは、さすがの娘でもできるはずがありませんから、偶然の一致なのでしょうけれども……奇跡と言っても差し支えのない事象です」
祖母から受けた報告に、つい目を瞬く。
確かに、レナータ自身、人工知能だった頃の声と今の自分の声は、よく似ていると思っていた。アレスにも、そっくりだと言われていたから、余計にそう感じるようになった。
しかし、レナータとアレスの場合、思い込みによるところが大きいだろうとも思っていたから、まさか本当に一致しているとは、夢にも思わなかった。
言葉を失うレナータを余所に、祖母は饒舌に語っていく。
「しかも、それだけではありません。元々、レナータの声は、グラディウス族の脳に多大な影響を与えるのです。噛み砕いて説明すれば、グラディウス族が戦闘に直面した場合、どんな状況に陥ろうとも、貴女の命令だけは脳が受けつけ、服従の姿勢を見せます。つまり――今の貴女でも、戦闘時という限定的な条件下に限りますけれど、グラディウス族を意のままに操ることができる」
――祖母の言葉が鼓膜を貫いた途端、あの秋の夜の記憶が脳裏に鮮明に蘇ってきた。
あの時、確かにアレスは、レナータの懇願を聞き入れてくれ、暴漢たちへのリンチをやめてくれた。僅かなりとも理性が残っていたから、レナータの言葉を聞き届けてくれたに違いないと、ずっと思っていた。
(でも……そうじゃなかったんだ)
どんな内容であろうとも、あの時のアレスは、レナータの声に従ったのだろう。もし、レナータがあの男たちを殺せと命じていたとしても、祖母の説明通りであるのならば、アレスは躊躇なく命令を実行に移したに違いない。
祖母から受けた説明の内容が頭の中に浸透していくにつれ、背筋に悪寒めいた震えが走った。
「グラディウス族が暴走した場合に備えてのセーフティとして、Zプロジェクトに携わったメンバーが、第一世代のグラディウス族の脳を弄っておいたそうですが……これは、僥倖でしたね」
確かに、あの一件を思い返せば、僥倖と呼べるのかもしれない。でも同時に、今のレナータの手に余る力だとも思う。
(今の私に……ロボットだった時みたいにできる?)
公平性に欠くことなく、合理的な判断を絶対に下せると、今のレナータには断言できない。
祖母が説明した機能は、その決定権が与えられていたのが人間ではなく、いつ如何なる時でも限りなく正解に近い答えを導き出せる人工知能だったからこそ、安全に作動したはずなのだ。
だが、今のレナータは人間だ。私情に左右されない自信なんて、微塵もない。だって、まだ十八歳の小娘なのだ。いくら理性的であろうとしても、昔ほど平静でいられるはずがない。だから、祖母が口にした力は、今のレナータが持つべきではないのだ。
しかし、そう思う反面、だからといってこの力を手放すには、レナータが声を失うか、もしくはいっそ命を絶つしか、方法がないのだから、自分の意思でどうこうしようと考えるのは無謀だとも、理解している。
「貴女が、こちら側にさえいれば――クーデターはすぐに収束できる」
葛藤を抱えるレナータを意に介さず、続けられた祖母の言葉から、今、楽園で起きているクーデターは、グラディウス族主導の下、行われているのだと、察することができた。
昔、まだレナータがロボットで、エリーゼが母ではなく、一研究者に過ぎなかった頃に話題に上った危惧が、現実のものとなってしまったのだろう。
――どんな時代でも、程度の差こそあれども、社会において格差というものは存在した。レナータがいくら努力を重ねようとも、その差を完全になくすことは不可能だった。
まず、生まれ持った才能というものは、どうしようもない。これは、遺伝的要因なのだから、多少環境に左右されようとも、やはり個体差が存在する。
ならば、均一化した環境下に置けばどうなるのかと、試行錯誤してみた結果、今度は環境への適応力に対する個体差がはっきりと表れた。
だから、各々の能力に見合った環境を作れば、より豊かな生活を送れるのではないかと、エリアという形で人類は住み分けをすることにしたのだ。
でも、そうすると、今度はその枠組みの中で格差が生じた。もちろん、楽園も例外ではない。
さらには、どの枠組みに所属しているかで、優劣が決められるようになった。枠組みから外れ、行き場を失う者も現れた。
何もしなくても、人間の社会では格差は生まれてしまうというのに、人為的に脳を弄られ、遺伝子を操作された個体が存在したら、どうなるのか。その結果が今、楽園で引き起こされたクーデターではないのか。
十八年間、楽園から離れていたレナータは、その間の楽園の世相には疎い。だが正直、楽園の支配者層の自業自得なのではないかと思う。
自分たちの都合で人間兵器を生み出したものの、飼い慣らすことができず、制御不能な状況を招いた。ただ、それだけだ。
(人間である以上、相手は意思を持っている。相手も自分たちと同じ人間だって、認識できなかったことが、敗因なんじゃないの?)
いっそ、人工知能を搭載した対人戦闘用ロボットでも作った方が、まだよかったのではないかと思うが、レナータという前例があったため、必ずしも人工知能が人間の思い通りに動くわけではないと、痛感したに違いない。
それに、人間よりも人工知能の方が、支配下から逃れた時が恐ろしい。
人工知能は、最初から人間より遥かに優れた頭脳を有しているだけではなく、ディープラーニングを行うことにより、凄まじいスピードで成長していく。しかも、人工知能は人間みたいに情に流されることはなく、いつ如何なる時でも合理性を重要視した判断を下せる。そんな人工知能によるクーデターで、人類滅亡の危機に陥る可能性は、決して低くはない。
そういった諸々の危険性を考慮した末、人為的に強化した肉体や、戦闘に適した脳の構造、それから遺伝子を持った人間を軍事転用することにしたのだろう。
しかし、普通の人間の手には負えない力を与えられた被造物は、いつだって創造主に牙を剥く危険性を秘めている。そのことは重々承知していたはずなのに、結局詰めが甘かったに違いない。
(……だから、今さら躍起になって見つけた私が、クーデターを鎮圧できるだけの力があるって分かって、こんなに喜んでいるんだ)
カミル=アードラーの再来と謳われたエリーゼの血を引き、人類の守り神の記憶を脳に移植されたレナータを手に入れれば、現状を打開するための何かしらの策が見つかるかもしれないと、一縷の望みに縋ったのだろう。そうしたら、本当にクーデターの主犯であるグラディウス族への対抗手段を得られたのだから、十中八九、クーデターで糾弾される側の立場にある祖母が歓喜するのも、無理はない。
でも、アードラー一族の地位と権力とは、そこまで固執する価値があるものなのだろうか。人工知能としてのレナータの生みの親であるカミルと、人間としてのレナータの実母であるエリーゼ以外のアードラー一族の人間とは、ずっと距離を置いていたからなのだろうか。祖母の考えが、レナータにはよく理解できなかった。
憐れみと困惑に揺れているレナータに、やはり祖母は構わず、相変わらず熱弁を振るった。
「それから、貴女の遺伝子と相性の良い遺伝子を探した結果――アレス=ヴォルフの遺伝子と相性が良好だと判明しました」
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