レナータ=アードラー

(この人が、私のおばあちゃん……)


 血縁上はそうなるのだろうが、この女性を気安くおばあちゃんと呼ぶことはできなさそうだ。

 レナータの目の前に現れた老女――アマーリエ=アードラーは、実際の年齢よりも若々しい容貌の女性だ。きっちりとまとめられている髪の色こそ、ロマンスグレーだが、その髪は未だに艶やかで豊かだ。顔に刻まれた皺も品がよく、背筋もすっと伸びている。その綺麗な姿勢が、若く見える秘訣なのかもしれない。


 でも、若々しさを保っている祖母は、非常に厳格な雰囲気を漂わせている。少しでも失言をすれば、どんな叱責を受けるか、分かったものではないと思わせる、鋭い視線をレナータに浴びせかけてくる。

 だが、それでも目を逸らさず、まっすぐに祖母を見つめ返したまま、ソファからそっと腰を上げる。


「……初めまして、おばあ様。エリーゼ=アードラーとオリヴァー=アードラーの娘の、レナータ=アードラーです」


 こうして、本名を名乗るのは初めてだ。

 両親と一緒に暮らしていた頃は、父の旧姓であるベルンシュタインの姓で通していたし、スラム街にアレスと共に移住してからは、そもそもファミリーネームは名乗らなかった。それから、今はアレスのファミリーネームであるヴォルフを借りて使っていたため、レナータ=アードラーと自ら名乗ったのは、本当に今が初めてだ。


 妙な感慨を味わいながら、レナータを値踏みするかのように、じろじろと眺め回してくる翡翠の瞳を、変わらずに見つめる。

 緑の瞳は、様々な色合いの虹彩が存在する中で、比較的珍しい色に区分されている。だから、アマーリエ、エリーゼ、レナータと、三世代に渡って同じ色素が受け継がれているなんて、偶然の一致にしてもすごいと思う。大抵は、もっと濃い色素の方が子孫に遺伝しやすいものなのに、よく翡翠の瞳が引き継がれていったものだ。

 しかし、同じ翡翠の瞳でも、それぞれ色の濃淡は異なっていることが、祖母の目を観察しているうちに気づく。

 三人の中で、最も濃い色合いの虹彩を持っているのがレナータで、最も淡いのが目の前の祖母だ。母は、その中間といったところか。

 しばし、祖母とじっと見つめ合っていたら、アマーリエの少しふっくらとした唇がうっすらと開かれた。こういうところも、娘であるエリーゼや、孫娘であるレナータは、祖母に似たみたいだ。


「――おかけなさい、レナータ。もうすぐ、紅茶の支度が整うでしょうから、それを飲みながらお話ししましょう」


 祖母の声は、その外見に違わず、威厳に満ち溢れているものだった。それに、他者に命じることに慣れている口調だとも思う。


「お心遣い、ありがとうございます。おばあ様。それでは、失礼します」


 レナータが再びソファに腰かけると、祖母も向かいの席に優雅に腰を下ろした。すると、祖母の言う通り、数人の侍女が応接間にやって来たかと思えば、瞬く間にお茶の用意が整った。

 祖母より先に紅茶に口をつけるのは躊躇われ、アマーリエの様子をおずおずと窺う。そんなレナータの考えを読み取ったのか、あるいはこの屋敷の女主人として、客人が気兼ねなくお茶を飲めるように気を配ったのか、祖母はやはり洗練された仕草でティーカップを手に取った。だから、祖母がティーカップの縁に唇を寄せたのを確認すると、レナータもカップに手を伸ばす。


 砂糖もミルクも、レモンの輪切りも足さず、ストレートティーのまま飲む祖母とは違い、レナータは用意された紅茶に、砂糖二杯と、ミルクを少しだけ足す。

 ティースプーンでくるくると掻き混ぜ、ミルクティーを作り、味わって飲むレナータに、感情が読めない翡翠の眼差しを注ぐ祖母が、静かにティーカップをソーサーの上に下ろした。


「……あの子と同じで、貴女も甘いものが好きなのね。あの子も、よくそうやってミルクティーを飲んでいましたよ」

「……そうだったんですね」


 今日初めて顔を合わせた実の祖母と、どう話したらいいのか、何を話せばいいのか、よく分からない。

 でも、それは相手も同じことなのかと思っていたら、厳格な表情を崩さぬまま、祖母は再度口を開いた。


「顔は、全体的にあの子に似ているけれど……目元と雰囲気は父親譲りなのね。あの子と違って、生意気な娘じゃなさそうで、助かりました」


 確かに、母はアードラー一族に名を連ねている親族を、快く思っていなかった。そんな母の反抗的な態度は、いかにもアードラー家を誇りに思っていそうな祖母にとっては、目に余るものだったのだろう。


(二人が親子喧嘩をしているところ、目に浮かぶなあ……)


 間違いなく、反りの合わない親子だったのだろうと、レナータが微かに苦笑いを浮かべていると、不意に祖母が懐かしむように目を細めた。


「……そういう笑い方も、オリヴァーそっくりなのね」


 もしかしたら、祖母は自分の言葉に従わない実の娘よりも、温厚な婿養子の方が気に入っていたのかもしれない。母との共通点を口に出した時の声音は、あくまで淡々としたものだったが、父との共通点を見出した時は、少しだけ寂しそうに見える。

 だが、どうしてそんな反応を示すのかと考えれば、やはり嫌な予感しかしない。胸騒ぎを落ち着かせるためにも、もう一口紅茶を飲んだ。


「さて……時間は有限です。さっそくですけれど、本題に入りましょう」


 祖母が続けた言葉に、内心首を傾げる。てっきり、今日は祖母と顔合わせをすることだけが目的なのかと思っていたが、どうやら他にもレナータをここに呼び寄せた理由があるらしい。

 祖母に倣い、レナータもカップをソーサーの上に置くと、背筋を伸ばして居住まいを正す。この祖母の前では、行儀よく振る舞っておいた方が、無難そうだ。


「昨日、貴女には様々な検査を受けてもらいましたね。その結果が、今朝出ました」


 きっと、祖母の意に沿うような結果ではなかったに違いないと思いつつも、黙って続きを待っていると、厳格で品のよさを滲ませた声が言葉を継いだ。


「学力検査の結果は……貴女が自己申告していた通り、あまり芳しいものではありませんでした。まあ……正規の教育を受けていたのは、八歳までとのことでしたから、妥当な結果でしょう」


 人工知能の記憶を移植された脳なのだから、もっと期待されているものなのかと思っていたが、祖母に落胆した様子はそれほどない。事前に、レナータがどういう環境で育ったのか、伝えておいてよかったと、心の底から思った。


「それから、身体検査では貴女が健康体であることが分かりましたし、精神疾患も特に見受けられませんでした。健康面においては、何の心 配もありませんね。性格検査では、寛容且つ柔軟性が高い傾向にあることが判明しました。やはり人柄に関しては、父親の要素を強く受け継いでいるようです」


 それらの検査結果に関しても、特に異論はない。

 性格については、レナータは人工知能だった頃の人格を引き継いでいるとはいえ、八歳までは両親と一緒に暮らしていたのだ。父親の影響を受けていたとしても、不思議ではない。


「以上が、貴女に受けていただいた検査の結果ですが……面白い結果が、いくつか出てきました」


 先程の結果報告で、この話はもう終わりかと思っていたのだが、まだ続きがあったらしい。

 何が分かったのかと、内心首を捻っていると、祖母がすっと自らの喉に指先を当てた。

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