九章 暁の誓い
囚われの姫
――レナータが楽園に連れてこられてから、三度目の夜明けが近づいてきていた。
何かに導かれるようにして眠りから覚めたレナータは、ゆっくりと瞼を持ち上げる。だが、意識は覚醒したとはいえ、まだ半分以上は微睡みに浸かっており、何度も緩やかに瞬きを繰り返す。そうしているうちに、ようやく意識がはっきりしてきた。
のろのろと視線を彷徨わせれば、かつて人工知能だった頃のレナータが生活の拠点としていた、塔の一室の様子が視界に入り込む。大人しく服従したにも関わらず、念には念をといったところなのか、楽園の人間はレナータに身を休める場所としてこの塔の部屋を宛がい、用がある時以外はここに閉じ込めているのだ。
ただ、あの頃とは違い、人間となったレナータのために、簡易ベッドを運び込んでおいてくれたから、休息を取るのに困ってはいない。
とはいえ、いつ何が起きるか分からない上、脱出のチャンスが転がり込んでくるかもしれないから、この三日間、ベッドに横たわらず、毛布にくるまり、壁に寄りかかって座って寝ている。服も、連れてこられた日に着ていたワンピースを身に纏っている。おかげで、すっかり身体が凝り固まってしまっている。
この部屋に 時計がないから、今が何時なのかは分からない。しかし、空の色が次第に明るくなってきていることから、夜明けが近いのだろうということだけは、察せられる。
(……朝になったら、今度は何をさせられるのかな……)
そう考えると、ひどく憂鬱な気分になり、重い溜息を吐く。そして膝を抱え、膝頭に顔を埋める。毛布をさらに引き寄せ、丸くなっていると、徐々に眠気が押し寄せてくる。
もう一度、意識が蕩けていくのに身を任せ、昨日の昼間の出来事をぼんやりと思い返した。
***
レナータが楽園に連行されてきた当日は、着いた時には既に夜が訪れていたため、もう休めと、昔の自室に押し込められた。
二日目は、朝から身体検査や知能検査、学力検査、それから何故か性格検査まで受けさせられた。
三つの検査を受けろと言われるのは、よく分かる。レナータをアードラー一族の人間として迎え入れるのであれば、健康体であるのか、精神疾患がないか、どの程度の学力を有しているのか、知りたくて仕方がないだろう。あわよくば、母親の頭脳か、人類の守り神の頭脳を引き継いでいればいいという、思惑だってあったに違いない。
でも、どうして性格検査まで受けなければならなかったのかは、皆目見当がつかない。レナータがどんな人間性の持ち主であろうとも、アードラー一族の方々には関係がないと思うのだが、そうではないのだろうか。
そう疑問に思いながらも、レナータは素直に全ての検査を受けた。そうやって、二日目もあっという間に幕を閉じたのだ。
そして、三日目の朝、昼になったら、レナータの母方の祖母に当たるアマーリエ=アードラーと会食があると聞かされ、生まれて初めて実の祖母と顔を合わせることになったのだ。
***
楽園に到着してからというもの、レナータは楽園側が用意した服を着用していた。曰く、レナータが身に着けていたワンピースは、アードラー一族の人間に相応しくない、安物なのだという。だから、それ相応の服を着ろと、一方的に言われたのだ。
その言い分を聞かされた時、正直腹立たしくてたまらなかった。
確かに、レナータの身を包んでいたワンピースは、有名なデザイナーのオーダーメイドの品でもないし、誰もが知っているブランド品でもない。所謂、プチプライスというものに該当するのだろう。
だが、これはアレスが選んでプレゼントしてくれたものだし、レナータも一目で気に入ったのだ。ショップで試着した際には、思わずはしゃいでしまったくらいだ。そんな思い出の品を、何も知らない人間に悪し様に言われるのは、気分のいいものではない。
しかし、反抗的な態度を見せたところで、何の意味もないと思ったから、何も言わずに大人しく従っただけだ。幸い、分不相応な安物だからと、問答無用で没収するような真似もされなかったから、それでよしとした。
レナータが祖母との初めての対面を果たすために用意されたのは、ロイヤルブルーの上品なワンピースだった。二日目に着せられた、ダークグリーンのタータンチェック模様が入った、ワインレッドのセットアップといい、楽園の人間はレナータに大人っぽい装いをさせたいらしい。
(ピンクも、可愛くていいのに)
レナータは落ち着いた色合いも好きだが、パステルカラーの方が好みだ。特に、ピンクは大好きだ。
そんなことを考えつつも、楽園側が用意したワンピースを身に纏うと、二日目とは異なり、アードラー家の侍女らしき女性たちに薄化粧を施され、髪型も軽くアレンジされた。とはいえ、レナータはそれほど髪が長くないから、一部を編み込みにした程度だが、それでも普段より華のある雰囲気になった。
(そういえば、お化粧するの、初めてだな)
アレスは化粧をあまり好まないから、今まで日焼け対策やスキンケアくらいしかしてこなかった。あとは、唇を保湿するために、せいぜいリップクリームを塗る程度だ。
だから、少し手を加えた程度とはいえ、化粧をすると、ここまで印象が変わるものなのかと、鏡に映る自分を見て、軽く驚きを覚えた。
どちらかといえば、レナータはベビーフェイスなのだが、いつもより少しだけ大人びて見える。肌も、普段より綺麗に見えるし、レナータの少しふっくらとした唇も、淡いピンクの口紅を乗せただけだから、唇だけが悪目立ちをすることもなく、どことなく上品だ。
身支度が済むと、塔から楽園の中でも一際豪奢な屋敷まで、黒塗りの高級車で移動した。お金というものは、あるところにはあるものなのだなと、妙なところで感心してしまった。
そうしている間にも屋敷に着き、すぐに応接間まで通された。
(ここが、お母さんが生まれ育った家……)
広くて、絢爛豪華で、誰もが一度は夢に見て憧れそうな屋敷だと、一目見ただけでも思う。
でも、何故だろう。広々とした屋敷の中は、やけに寒々しく感じられた。それは、案内された先である立派な応接間も、例外ではない。
革張りのソファに腰を下ろし、じっと屋敷の主の到着を待っていると、やがて応接間の扉が軽くノックされた。
「――失礼致します、レナータお嬢様。奥様がいらっしゃいました」
使用人の奥様という呼び名に、違和感を覚える。
もし、この屋敷に母がいれば、エリーゼが奥様、レナータから見て祖母であるアマーリエが大奥様と呼ばれるのが、妥当だ。だが、状況から鑑みるに、使用人は祖母を奥様と呼んだに違いない。
単純に、母がこの屋敷に住んでいないだけなのか。
(それとも――)
レナータはここに来て、未だに母が生きているのかどうか、聞かされていない。しかし、何となく嫌な予感を覚え、膝の上でぎゅっと拳を握る。
黙りこくっているレナータに構わず、応接間の扉がゆっくりと開かれていく。そして、扉が開かれた先から、楚々とした足取りで現れたのは、レナータの母であるエリーゼにそっくりの顔立ちをした、老女だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます