運命

「……確かに、私が動いたことで、レナータは楽園の旧体制派に連れていかれたのかもしれない。だが……逆に問おう。お前は一体、いつまでレナータに逃亡生活を強いるつもりだったんだ?」


 不意を突かれて声が喉の奥で絡まり、兄の問いにすぐには答えられなかった。


「逃亡生活を強いていることに、気づきもしなかったのか? ……お前は相変わらず、目先のことしか考えられない奴なんだな」


 返答に窮したアレスの手を兄は叩き落し、乱れた着衣を整えながら言葉を続ける。


「終わりの見えない逃亡は、心身ともに疲弊させる。今は大丈夫でも、数年後は? 十数年後は? ……いつか必ず、限界を迎える時が来る。だからこそ、私はリスクを冒してでもクーデターを起こした。それに……安心しろ。既に、レナータを奪還する手筈は整っている」


 兄があくまでも平然と告げた言葉に、もう一度絶句する。何も言えずにいるアレスに、兄は憐みの目を向けてきた。


「それに引き換え……お前はこの十八年間、一体何を為した? ただレナータを連れて、こそこそと逃げ回り……レナータを振り回していただけじゃないか。何の力もない、持とうともしなかったお前に何ができた? 何ができる?」


 ――あの子のためだけに、家族を、故郷を捨てることなんて、貴方にはできないでしょう?

 

 今再び、魔女の囁き声が耳の奥に蘇ってきた。

 もし、この世界に運命と呼ばれるものが存在するのならば、それはいつも、アレスにレナータのためにどこまでできるのかと、試してくる。今が、まさにその時だ。


 でも、これまでとは異なり、すぐには答えを出せなかった。口を開いても、躊躇いが声を喉の奥へと押し込めてしまう。

 それでも何か言わなければと、焦燥感に突き動かされるまま、喉の奥から声を絞り出そうとした寸前、透明感のある柔らかい声が、束の間訪れた静寂を打ち破った。


『――私は今、ラプンツェルになっている。……助けて、アレス』


 ――アレスの首元のチョーカーから流れてきた声に、咄嗟に息を呑む。同時に、幼き日にレナータと交わしたやり取りが、脳裏に色鮮やかに蘇ってきた。


 ――……レナータとラプンツェル、何だか似ているから、心配なんだ。

 ――えええ? そんなに、似ているかなあ……?

 ――レナータも、塔の上で暮らしているんだろ? ラプンツェルみたいに、変な男を部屋に入れたら、駄目だからな。


 あの時間を共に過ごしたアレスにしか分からないメッセージが、他ならぬレナータから届けられた。案の定、兄はレナータの言葉の意味を測りかねているみたいで、怪訝そうに眉間に皺を刻んでいる。


「……ああ、そうだ。てめえの言う通り、俺には何の力もねえよ。――リヒャルト」


 アレスには、兄のような力はない。


 ――ねえ、アレス。ここに来たばかりの時も言ったけど……アレスは私よりお兄ちゃんになったけど、まだ十五歳の子供でもあるんだよ。本当は、もっと自分のために時間もお金も使いたいよね。それなのに、生活のためにいつもお仕事頑張ってくれて、ありがとう。私の面倒を見てくれて、ありがとう。いつもおいしいごはんを作ってくれて、ありがとう。


 それでも、レナータはアレスの献身を理解し、肯定し、心の底から感謝してくれた。


 ――アレスは……いなく、ならないで……。


 アレスが傍にいることを、涙ながらに望んでくれた。


 ――だから私、生きるよ。まだ、本当に生きていていいのか、自信はないけど……好きな人からのお願いだもの。アレスの願いを叶えたいから、私もアレスとこれからも一緒にいたいから、生きる。


 生きることに対し、どれほどの罪悪感に苛まれようとも、アレスが一緒にいたいと、生きてくれと願えば、その想いに応えてくれた。


 ――この世界に産まれてきてくれて、ありがとう。


 そして何より、アレスがこの世界でただ生きているだけで、レナータは幸せそうに微笑んでくれたのだ。

 それは、ロボットの頃からも、人間に生まれ変わってからも、ずっと変わらない。だからこそ、誰にどれだけ否定されようとも、アレスは自分自身の選択を肯定できたのだ。

 だったら、迷わず動けと、己を鼓舞する。アレスの背中を押してくれた透明感のある柔らかい声に応えるべく、今は前だけを見て進もう。

 レナータが救いの手を求めているのならば、手を伸ばそう。離れ離れになってしまったのなら、またその手を掴み取ればいい。


「だが、レナータが楽園のどこにいるのか、今ので分かった。だから、てめえがしこたま蓄えた力を貸せ」


 レナータを助けるためならば、くだらない見栄も意地もかなぐり捨ててやる。厚顔無恥になってでも、使えるものは何でも利用してやる。今までだって、そうしてきたではないか。


(……ブレてんじゃねえぞ、俺)


 おそらく、敵の目を欺くために、あえてあの手紙をレナータは残したのだろう。危うく、アレスまで惑わされそうになってしまった。


(――待っていろ、レナータ)


 二人を繋ぐチョーカーを一撫でし、ここにはいない恋人に心の中で力強く宣言した。

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