暁の祈り
「……まるで、勧誘のお兄さんみたいだね?」
ルートヴィヒは、お兄さんと呼ぶよりもおじさんと呼んだ方が適切な年齢のはずなのだが、その外見はひどく若々しい。それに、この状況で面と向かっておじさんと呼ぶのは気が引ける。
(まあ、冗談言っている時点で、どういう神経をしているんだって、思われていそうだけど)
現に、ルートヴィヒは無表情を貫いているものの、背後に控えている軍人たちは、この状況下で柔らかく微笑んでいるレナータに、気味悪がるような目を向けている。
「どうぞ、上がって」
レナータがくるりと踵を返せば、後ろからぞろぞろと足音が続いた。監視の目に晒される中、迷いのない足取りでキッチンへと向かう。
キッチンの中に入っていくと、壁にホワイトボードがかけられている一角がある。それから、ホワイトボードのすぐ下には、筆立てやメモ帳が置かれている、小さな収納棚がある。
レナータはまっすぐに収納棚の元へと足を運ぶと、すっかり手に馴染んだペンと、菫の花が描かれた、可愛らしい大きめのメモ帳を取り、ダイニングへと進行方向を変える。そして、ダイニングテーブルの上にペンとメモ帳を置く。
レナータに手紙を送る相手はいないし、そもそも今は手紙を書くという手段が廃れてきた時代だ。レターセットなんて、買ったこともなかったが、こんなことなら一つくらい買っておけばよかった。
内心溜息を吐きつつ椅子を引き、その上に腰を下ろす。ペンを手に持ち、お気に入りのメモ帳からメモ用紙を一枚千切り取り、視線を落とす。手紙の内容を思案するふりをしながら、こっそりと周囲の様子を窺う。
(……圧迫感がすごい)
大の男が、レナータの周りをぐるりと取り囲んでいるのだから、当たり前だ。
肩の上で切り揃えられたダークブロンドを右耳にかけ、ペンを持ち直す。翡翠の瞳を何度か瞬かせ、少し間を置いてから、メモ用紙にペンを走らせた。
『愛するアレスへ。
なんて書こうかしばらく悩んだけど、まずは謝ろうと思う。
アレス、ごめんね。 この手紙を貴方が今読んでいるってことは、私はもうこの家にはいないんだと思う。
いつも私のことを心配してくれて、守ってくれていたのに、私、アレスに結局何も返すことができなかった。最後まで、アレスに心配ばかりかけて、守られるだけの私で、本当にごめん。
それから、ありがとう。
アレスとの生活は、本当に楽しくて幸せだったよ。苦労もいっぱいしてきたはずなのに、楽しかったことしか思い出せないや。それくらい、私にとってアレスとの生活は、かけがえのないものだったよ。だから、本当にありがとう。
これで、お別れ――は、嫌だけど、もしかしたらそうなっちゃうかもしれないから、少しだけ思い出話に付き合って欲しいな。
アレスも、覚えているよね。
まだアレスが小さくて、私がロボットだった、あの頃――』
この書き出しを見れば、大抵の人間が別れの手紙を書いていると思うだろう。密かに周囲の様子を窺い見てみたものの、特に不審がられてはいないらしい。
一旦ペンを動かし始めれば、あとは一度も思い悩んで止まることなく、淀みなく文字を書き綴っていく。メモ用紙を何枚も切り取っていき、次々と文字で空白を埋めていく。
アレスとの思い出を文字として書き起こしていくうちに、こんな状況だというのに、郷愁の念が胸の奥底から湧き上がってきた。
(……あんなに小さな男の子だったのに、今は私より年上の男の人なんだもんなあ……)
思えば、アレスとはずっと追いかけっこをしていた気がする。
アレスが幼い頃は、レナータが追いかけられる側だった。アレスが成長してからは、レナータが追いかける側に回っていた気がしていたが、実は追いかけられる側のままだったのではないかと、今ではそう思うのだ。
だが、ここぞという時にはいつも手を繋ぎ、アレスと二人並んで歩んできた。両親とは離れ離れになっても、アレスはいつもレナータの傍にいてくれた。
しかし今、レナータは自らの意志でアレスの手を放そうとしている。レナータがアレスから離れようとするのは、これで二度目だ。
(……アレスは、私の手を放さないでいてくれていたのにね)
レナータがこの世界から消えようとしていた時でさえ、アレスはこの手を放そうとはしてくれなかった。その手で、レナータをこの世界に繋ぎ止めてくれた。
『さようなら、アレス。ここではないどこかで、アレスの幸せをいつまでも願っているからね。
心より、愛を込めて。
レナータより』
そして今、レナータはあの時と同じ言葉をアレスに突きつけている。敵の目を欺くためとはいえ、残酷な仕打ちをしていると、我ながら思う。
(……でも、アレス。それでも、諦めないで。これが、私の本心だと思わないで)
ちゃんと痕跡を残していくから。レナータも諦めずに、道を切り開く術を見つけ出してみせるから。だから、どうか。
(私を――信じて)
――ああ、なんて自分勝手な願いなのだろう。
レナータはいつだって、アレスに対しては置いていく側に回っているのに、諦めずに追いかけ続けろと要求しているのだ。これを傲慢と言わずして、なんて言えばいいのか。
でも、それでも祈らずにはいられなかった。
「……書き終わったよ」
書き散らかしたメモ用紙を集め、丁寧に両端を揃える。顔を上げ、アレスへの手紙をルートヴィヒに差し出せば、これまでも監視していたはずなのに、中身を検めるためにレナータの手から手紙を取り上げる。それから、中身にざっと目を通したルートヴィヒは、すぐにレナータに突き返してきた。
「貴様の要求は叶えた。もう、この場に居続ける必要はない。――行くぞ」
ルートヴィヒの言葉に、レナータが素直に従ったからか、両手を拘束されるような真似はされなかった。その代わり、万が一にもレナータが隙を突いて逃げ出さぬよう、両脇を二人の屈強そうな軍人が固めてきた。身体の自由は奪われずに済んだが、これでは結局連行されているようなものだ。
玄関の外に一歩出ると、先程よりも辺りが薄暗くなっていた。だが、それでも黄昏の光は僅かに残り、先頭を歩くルートヴィヒのプラチナブロンドを淡く照らしていた。
(――アレス、私も絶対に諦めない。そして――アレスを信じる)
決意を新たに、気を引き締める。
本当は、波打つ心を落ち着かせるためにも、またチョーカーに触りたかったが、レナータが楽園に唯一持ち込める武器に、周りの注意をあまり引きたくはない。だから、拳を作ってぎゅっと握り締め、不安と緊張感を紛らわせる。そして、また一歩、前へと足を踏み出した。
――レナータとアレス、二人の始まりの地に向かうために。
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