誘惑
――再度、レナータの口の中に舌を差し入れると、驚くほどそこは熱かった。アレスとレナータの舌を絡み合わせれば、くちゅりと水音が生まれる。
貪るようにキスを交わしていると、夕食後に食べたチョコレートや、ボディーソープの桃の香り、それからレナータ自身から香る、ヴァーベナによく似た匂いが鼻孔をくすぐっていく。キスが深まるごとに、特にレナータ自身から発せられる香りが濃くなっていっている気がする。
「んっ……」
薄目を開け、レナータの様子を窺いながらキスをしていたら、少しふっくらとした柔らかい唇から、甘えるような声が零れ落ちた。そんな自分の声に恥じらっているのか、元々薔薇色に染まっているレナータの頬は、一際赤みが増していく。睫毛を震わせ、今にも瞼が落ちそうになる中、潤んだ翡翠の瞳がじっとアレスを見つめてくる。
その翡翠の眼差しが注がれた途端、背筋に悪寒にも似た震えが走った。レナータの唇に軽いキスを落としてから一度離し、少し距離を置く。突然、キスを中断したアレスを、レナータは不思議そうに見上げてくる。
「アレス……?」
透明感のある柔らかい声は、いつもよりずっと舌足らずにアレスの名を呼ぶ。本来ならば、幼さを感じさせる発声であるはずなのに、かえってその未成熟さが匂い立つような色気を感じさせる。少しふっくらとした柔らかい唇は、無防備にもうっすらと開いたままで、先刻までのキスの名残として、濡れて光っている。
徐々に腰に集まってくる熱に突き動かされるかのごとく、レナータに覆い被さったまま、その頬の輪郭を指先でなぞる。くすぐったさに微かに身じろぐレナータに構わず、頬から首筋、そして肩へと辿っていく。肩まで辿り着いた指先をさらに下まで移動させていき、布地越しに脇腹を撫でていく。それから、ウエストまで進め、柔らかい素材のショートパンツに覆われている腿に手を這わせていく。
今までも、アレスに触れられる度に、身体がぴくりと跳ねていたレナータだったが、今回はそれだけに留まらず、熱を孕んだ吐息を零す。悩ましげに眉間に皺を寄せ、何か訴えかけるような翡翠の眼差しが向けられた。
――レナータはあの秋の日に、暴漢に襲われて以来、どこまで自覚しているのか知らないが、大人の男に苦手意識を持つようになった。
本人曰く、アレスは例外らしいが、それでもレナータが十七歳になったばかりの頃、初めて衝動的に押し倒してしまった際、その顔にははっきりと怯えが滲んでいた。その姿勢は、間違いなくレナータにあの日の記憶を思い起こさせたのだろう。だから、その日はレナータに何もしないですぐに退き、何事もなかったかのように接した。
そんなアレスの態度に、レナータは申し訳なさそうに表情を曇らせていたものの、別に気に病む必要などないと諭した。あんな出来事があれば、誰だって恐怖を覚え、しばらくは引きずるに決まっている。むしろ、衝動に駆られるがまま、考えなしに行動してしまったアレスに非があると、落ち込むレナータに誠心誠意謝罪した。
だから、レナータから大人の男への恐怖心が消えてなくなり、尚且つ成人するまで、アレスは待つことにした。レナータは少なくとも、ハグやキスには一切の抵抗がないのだから、それほど苦ではなかった。
そして、大人の男に触れられることは、恐ろしいだけの行為ではないのだと教えるため、こうして服越しにそっと触れ、だんだんと慣れさせていくことにしたのだ。
一年近く、じっくりと時間をかけてこの行為を繰り返していった結果、もうレナータの身体が恐怖と緊張でがちがちに強張ることはなくなった。むしろ、物足りなさそうな顔をして、もっとと視線で強請るまでなっていた。
濡れた翡翠の眼差しから逃れるように、レナータの肩に顔を埋めれば、アレスが身に着けている黒いスウェットの袖が軽く引っ張られた。
「アレス。ここで止めたら、辛くない……?」
レナータはかつてロボットだったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、そういう経験は皆無だ。しかし、人工知能だったからこそなのか、やたらと知識だけは豊富だ。
(この、耳年増め……)
もうすぐ十八歳になるレナータの身体つきは、ロボットだった頃を彷彿とさせるほど、成熟している。胸は充分過ぎるほどに大きく膨らみ、形も非常に美しい上、張りもいい。足は長く、まっすぐにすらりと伸び、美脚と呼んで差し支えがない。
そんな極上の身体の持ち主が、幼い頃からずっと追いかけ続け、ようやく振り向いてくれた、惚れた女なのだ。辛いか辛くないかといえば、辛いに決まっている。男の性欲を舐めるなと言いたい。
でも、レナータが成人するまでは、この先まで進めるつもりは、アレスには毛頭ない。
「わ、私……もう、怖くない、よ? 嫌でも、ない。だから、その……アレスが、したいなら……」
途切れがちではあったものの、レナータは自分の意思を明確に主張してきた。恥じらっている割には、なかなか大胆な発言だ。
煽ってくるレナータが悪い。自ら望んで流されようとしているのだから、何をされても文句を言えない立場ではないかと、耳の奥で悪魔の囁きが木霊する。
だが、一度決めたことを、そう易々と曲げたくはない。頑固だと言われれば、それまでだが、それがアレスのポリシーだ。
深く嘆息すると、アレスの息が耳朶に触れてくすぐったかったのか、レナータの肩が大きく跳ね、全身に震えが広がっていった。いや、これはくすぐったがっているというより、感じているのかもしれない。レナータの緊張をほぐすために始めた行為だったが、アレスが想定していた以上の効果を発揮していたみたいだ。
「……なんだ、欲求不満か」
顔を上げ、自身の奥で燻っている熱を紛らわせようと、ダークブロンドを一房掴み、指先で弄びつつからかい交じりに声をかける。
「……アレスのせいだよ」
冗談のつもりだったのだが、レナータの顔を覗き込めば、より一層水分を含んだ翡翠の瞳に見据えられた。何だか、今にも泣き出しそうな顔にも見える。
「だから、アレス……責任取って」
囁くように告げられた言葉が鼓膜を貫いた瞬間、強固に保っていたはずのアレスの理性がぐらりと揺らいだ。
確かに、こういった行為に対する恐怖を取り払えるよう、努力を重ねてきたのは、アレスの意志だ。しかし、まさか自ら強請るようになるとは、予想外だ。かなりいい具合に仕上がってきたとは思っていたものの、アレスの思惑を遥かに上回る完成度に達しているといっても、過言ではない。
でも、早まるなと自分に言い聞かせ、誘惑に傾きかけていた理性を立て直して総動員し、ぐっと堪える。そして、突っ伏すようにして、もう一度レナータの華奢な肩に顔を埋めた。
「……レナータが、十八になったらな」
レナータの肩に顔を埋めたまま、どうにか喉の奥から声を絞り出す。
「……本当?」
「ああ」
「じゃあ、私が十八になったら、私にアレスをちょうだい」
アレスのくぐもった声に対し、レナータは弾んだ声でさらに強請ってきた。
レナータは自分が口にした言葉の意味を、どこまで理解しているのか。レナータは鈍くも疎くもないから、全て理解した上で頼んでいるのだろうが、そうだとしたら、何だか空恐ろしい。そんなアレスの心情を余所に、鼻歌交じりに濡れ羽色の髪を手で優しく梳いてくるレナータが、同時に憎たらしくもなってきた。
だが、ここで口を開こうが、行動を起こそうが、再びレナータに理性を容赦なくぐらぐらと揺さぶられそうな予感がする。また踏み止まれればいいが、今度こそ木っ端微塵に打ち砕かれたらと思うと、何もできない。
しかし、全く何もしないままなのは癪だったから、目の前にある肩に布地越しに柔く噛みつく。これならば、レナータは痛くないだろうし、痕にも残らない。
「アレス、何やってるの?」
すぐ傍から、くすくすと耳に心地よい笑い声が聞こえてくる。
レナータは攻められると、とことん弱いくせに、自分が攻めの姿勢に入ると、一気に強かになる。
でも、それはアレスにも言えることなのかもしれない。そう考えると、アレスとレナータは似た者同士なのだろう。
そんなことを考えながら、しばし無言のままレナータの肩に噛みついていた。
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