AIモードの妹
「……どうした?」
ちらりと見遣れば、レナータはアレスの手元を覗き込んでいた。そうかと思えば、翡翠の眼差しがすっと持ち上がり、アレスをじっと見つめてきた。
「……絶対に邪魔はしないから、見ていてもいい?」
たまに、レナータはこうしてアレスが仕事をしている様子を熱心に観察してくる。そういった姿勢は、かつてアレスが自らの身体を鍛えていた際、レナータが少し離れたところから見学していた思い出を、脳裏に蘇らせる。
小首を傾げてアレスの反応を窺うレナータの頭からキャスケットを取り、ダークブロンドに覆われた小さな頭をくしゃりと撫でる。
「いいぞ。ただ、触ると危ねえパーツもあるから、絶対に触るな。約束できるか?」
「イエッサー!」
アレスからの許可を得たレナータは、意気揚々と返事をした。
乱れたダークブロンドをアレスの手で整え直したところで、仕事に取りかかった瞬間、レナータの視線が再度手元に集中した。
(……なんか、だりいな)
アレスに任されたパーツの修理を始めてから、ものの数分で、唐突に違和感を覚えた。何となく、普段に比べると、全身が倦怠感に包まれている気がする。
元々、アレスはそんなに朝には強くないから、この時間帯は毎日何となく気怠いのだが、さすがに仕事が始まれば、いつもならばその感覚はだんだんと消えていく。しかし、今日に限っては、どうしてか倦怠感をなかなか拭い去れない。
(まあ、そのうちいつも通りに戻るだろ)
そんなことを考えながらも、作業の手は止めない。黙々と、配線の組み換えを進めていく。
でも、レナータの視線はアレスの手元ではなく、いつの間にか横顔に注がれているのが、気配で分かった。
***
「――アレス。今日、ちょっと具合が悪そうだけど、大丈夫?」
昼休憩の時間に差し掛かり、レナータと一緒に自作のサンドイッチを頬張っていたら、突然そう訊ねられた。
やはり、レナータは恐ろしく勘が鋭い。アレスはレナータに対し、そんなことは一言も言っていないというのに、何故気づいたのか。もしかして、そんなに顔色が悪いのか。
「アレス、家を出る時はそうでもなかったけど、ここに着いて少ししてから、何だかだるそうにしていたよね? 顔色も、いつもよりちょっと悪いし……。念のため、今日は早退させてもらって、家でゆっくり休んだ方がいいんじゃないかなあ?」
だから、どうしてそんなに鋭いのか。そこまで詳細に見抜かれていたと知り、空恐ろしくなってくる。レナータの場合、観察力にも洞察力にも優れているから、時折こういう心境に立たされる。
自分の分の昼食を片付けたレナータは、不安そうに表情を曇らせ、尚も言い募ってきた。
「ほら。いつもは、私の方が食べ終わるのが遅いのに、今日はアレスの方が遅いよ。アレスが私より食べるのが遅いなんて、具合が悪いとまではいかなくても、疲れているんじゃないかな」
確かに、普段はレナータよりもアレスの方が食事を終えるのが早い。アレスが特段早食いしているわけではなく、レナータはよく味わって食事をするから、その分、時間がかかるのだ。
だが、レナータの指摘通り、今日はアレスの方が遅い。レナータなんて、もうランチボックスを片付けてしまったのに、アレスはまだ半分近く昼食が残っていた。
食欲が湧かないから、必然的に食が進まず、このような事態を引き起こしているのだと、頭では理解している。しかし、正直に打ち明ければ、レナータが余計に早退を勧めてくるのは明白だ。
咀嚼していたサンドイッチをどうにか飲み込むと、溜息と共に言葉を零す。
「……まだ、今日の分の業務が終わってねえ」
「その調子で仕事をして、捗るの? 無理をしても、いい仕事なんてできないよ。休める時に休んだ方が、効率よく仕事を進められるんだから。変に意地を張って、体調不良が長引いてもいいの? それに、もし風邪だったら、みんなにうつしちゃうでしょ。そうしたら、余計に迷惑かけちゃうよ」
矢継ぎ早に正論で論破され、ぐうの音も出ない。元人工知能だからか、こういう時のレナータは、非常に合理的な判断を下す。とてもではないが、八歳の少女の発言だとは、露ほどにも思えない。
(今のレナータは、間違いなく A I モードだな……)
レナータが人工知能だった頃みたいな物言いをする時は、アレスはこっそりとこう呼んでいる。普段は天真爛漫で、ただひたすらに愛くるしいというのに、ここぞという時は、理性的な大人の一面を垣間見せる。その上、そういう時は必ずといっていいほど、反論の余地が微塵もないから、何も言い返せない。
お世辞にも弁が立つわけではないアレスは溜息を吐き、早々に白旗を上げた。
「……分かった。爺さんに事情を説明して、今日は早く帰らせてもらう」
爺さんとは、この工場の最高責任者である老人だ。正直、いつ引退してもおかしくない風貌なのだが、未だに現役で働き続けており、今日も出勤している。というよりも、アレスの勤務日には必ずその老人――アダムは姿を見せているため、一体いつ休んでいるのか、皆目見当がつかない。だから、もしかしたら毎日この工場に顔を出しているのかもしれないと、アレスは密かに思っているのだ。
アレスが溜息交じりに、レナータの意見に従うと伝えるや否や、心配そうにこちらの様子を窺っていた翡翠の瞳が、安堵にほっと和らいだ。
「……うん! じゃあ私、先に帰る支度始めておくね」
浅く頷いてみせたものの、レナータは既に昼食の片付けを済ませている上、そもそも特にバッグから荷物を出していない。だから、帰り支度とはいっても、せいぜいキャスケットを被るくらいだ。
案の定、立ち上がったレナータが、今朝被ってきたキャスケットを手に持った刹那、空気を切り裂く音が鼓膜を貫いた。その物体を視覚で捉えるよりも先に、自然と身体が動く。
素早く腰を上げたアレスは、左手で咄嗟にレナータの頭を抱え込むように引き寄せ、どこからか飛来してきた物体を右手で掴み取った。手のひらには硬質で、冷たくも熱くもなく、ざらりとした感触が伝わってくる。
「ア……アレス……?」
突然のことで、レナータはまだ状況についていけていないのだろう。透明感のある柔らかい声は、明らかな戸惑いを含んでいる。
でも、困惑するレナータを意に介さず、抱き寄せたまま右手を開く。
アレスの手のひらには、小石が乗っていた。大きさはそれほどではないものの、あちこちが鋭く尖っている。もし、あの時アレスがすぐに動かなければ、位置から考えるに、きっとレナータのこめかみに命中していたに違いない。
手のひらの上に鎮座している小石を、適当な場所に放り投げ、レナータをゆっくりと解放しつつ、小石が飛んできた、工場の出入り口付近 を睨み据える。
「――おい、出てこい。そこにいるんだろ」
アレスの唇から零れ落ちてきた声は、我ながら驚くほど、険を孕んでいた。さながら、地底から這い上がってきた、亡者のごとく低い声だ。
だからだろう。当然といえば当然なのだが、レナータに向かって小石を投げつけてきた主は、姿を見せようとしない。それどころか、その場から逃げ出そうとしている気配が伝わってきた。だが、逃がす気などさらさらなかったアレスは、すぐさま件の人物との距離を詰め、その首根っこを掴んだ。
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