小悪魔

「わあ……可愛いバッグ! お父さん、ありがとう! 今度、街に買い出しにいく時、これ持っていくね!」


 レナータが愛くるしい笑顔を振りまきながら礼を告げれば、オリヴァーの目元が分かりやすく笑み崩れていく。溺愛している愛娘に笑いかけられると、オリヴァーの表情はいつもだらしないくらいに緩んでしまうのだ。


(それにしても……)


 エリーゼからのプレゼントは洒落っ気のあるもので、オリヴァーからのプレゼントは可愛らしくありつつも、実用性の高いものだった。アレスが用意した、レナータへのプレゼントは、そのどちらにも当てはまらない。


 相手は子供なのだから、それ相応のものを用意したつもりなのだが、両親からのプレゼントをもらった後では、アレスからのプレゼントは見劣りする可能性が高い。

 でも、それでもレナータは、きっと喜んでくれるに違いないと、予想がつく。レナータは、そんなことを気にする性格ではないと、長い間一緒にいたのだから、分かっているつもりだ。


 だが、そう頭では理解していても、何となく渡しにくいと思っていたら、好奇心に輝かせた翡翠の瞳が、ふとアレスを捉えた。


「アレスは? プレゼント、見てのお楽しみだって、言っていたよね?」


 見るからに期待を滲ませた眼差しをアレスに注ぎ、レナータが再び軽やかな動作で椅子から降り立つ。それから、こちらへとぱたぱたと駆け寄ってきた直後、椅子に座ったままのアレスの膝の上に、ひらりと飛び乗ってきた。


「私、アレスからのプレゼント、早く見たいなあ」


 レナータは天真爛漫な笑みを浮かべ、そっと小首を傾げた。きらきらと輝く翡翠の瞳は、早く、早くと、暗ににせがんでいる。

 にこにこと笑っているというのに、やんわりと押しの強いレナータに、こっそりと溜息を零してから、エリーゼやオリヴァー同様、隠し持っていたプレゼントを差し出す。


「……エリーゼさんやオリヴァーさんみたいに、大したやつじゃねえぞ」

「でも、アレスのプレゼントが一番大きいよ!」


 それはそうだろうと、既にプレゼントの正体を知っているアレスは、内心呟く。


「中身は、何かなあ」


 レナータはアレスの膝の上に乗ったまま、心の底から楽しそうに鼻歌を歌いながら、ラッピングを剥がしていく。すると、アレスが用意したプレゼントの全貌が明らかになった。


「わあ、くまさんだ!」


 そう、アレスがレナータの誕生日プレゼントにと用意したのは、少し大きめのテディベアだ。キャメル色のもこもことしたテディベアの首には、ロイヤルブルーのリボンが可愛らしく結ばれている。


 小さな女の子には、ぬいぐるみでもプレゼントしておけば、大きな間違いはないだろうと踏んで、このテディベアを選んだのだが、もう少し普段使いできるものを用意しておいた方がよかっただろうか。


 テディベアのつぶらな黒い瞳をじっと見つめていたレナータの視線が、アレスへと移る。アレスにまっすぐに注がれる翡翠の眼差しには、これ以上ないほどの感謝の気持ちが乗っており、喜色満面になったレナータは、テディベアをぎゅっと抱きしめた。


「――アレス、ありがとう! すっごく嬉しい! 今日から私、この子と一緒に寝るね!」


 蕩けそうなほど柔らかくて甘い笑みを浮かべたレナータは、嬉しそうにテディベアにすりすりと頬擦りをした。その様子から察するに、今の言葉には嘘や偽りはなさそうだ。

 やはり、レナータは相手からどんなプレゼントを贈られようとも、心から喜んでくれるのだと再確認し、密かに安堵する。


 はしゃぐレナータを、微笑ましい気持ちで眺めていたら、不意に翡翠の眼差しと琥珀の眼差しが交錯した。


「ねえ、アレス。私がこのくまさんにしているみたいに、私のこと、ぎゅーってして!」


 ――レナータが無邪気にそうせがんだ瞬間、場の空気が瞬く間に凍り付いた気がした。


 ちらりと横目で周囲の様子を窺えば、エリーゼは水のごとく鋭く冷ややかな視線を、アレスに浴びせていた。レナータと同じ色の瞳からは温度というものが感じられず、小さな女の子とそこまで仲良くしているなんて、どうかしているのではないかと、やれるものならやってみろと、物語っているかのようだ。


 そして、オリヴァーはといえば、完全に血走った目でアレスを凝視していた。嫉妬に駆られたヘーゼルの瞳は、エリーゼの瞳とは対照的に、憎悪にも近い感情を炎みたいに孕んでいる。


 今こそ空気を読めと、レナータに視線を戻して目で訴えかけたのだが、無情にも目の前の笑顔は崩れない。


「アレス、今日は私の誕生日だから、特別だって言っていたよね? 私、もっと特別が欲しいなあ」


 レナータは物分かりがいいから、ここでアレスが否と言えば、渋々とではあっても、素直に引き下がるに違いない。それに、レナータは恐ろしく勘が鋭いから、今ダイニングに流れている空気に気づいていないはずがない。

 しかし、それでもアレスに強請ってくるということは、それが余程叶えて欲しい願い事だからなのだろう。


 しばし、レナータとじっと見つめ合う。レナータもアレスも、目を逸らす気配は互いに欠片もない。


(ああ、もう……どうにでもなれ)


 エリーゼの冷たい目も、オリヴァーの絶対に許さないと言わんばかりの眼差しも、強引に意識の外へと追いやり、レナータの望み通り、その小さな身体をぎゅっと抱き寄せる。ただし、レナータが両手で抱えているテディベアを万が一にも抱き潰さぬよう、いつもよりは力を加減した。


「……ありがとう。アレス、だーいすき」


 アレスに抱き寄せられたレナータが、耳元に唇を近づけて小さな囁きを落とした。そっと横目で見遣れば、レナータは赤く色づいた頬を隠すように、アレスの肩に顔を埋めた。


(……何だか、昔の俺を見ているみたいだな)


 幼さを武器に、相手の懐にするりと入り込んでいくレナータを、あざといとは思うものの、かつての自分も似たような手口を使っていたため、あまり強く言う気にはなれない。それに、あのレナータにそこまで懐かれているという証拠でもあるから、悪い気もしない。


 首元をダークブロンドにくすぐられたアレスは、誰にも気づかれないように嘆息した。それから、先刻よりもほんの少しだけ、レナータを抱く腕に力を込めた。



 ***



 バースデーケーキである苺のシャルロットケーキを食べ終えたレナータは、リビングへと移動し、ちょこんとソファに腰を下ろしている。そして、ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌いつつ、膝に乗せたテディベアの両手をちょこちょこと動かしている。


「――気に入ったか?」


 今は、エリーゼとオリヴァーの三人でいるのは気が進まなかったから、レナータと一緒にリビングにやって来たアレスは隣に座り、自分がプレゼントしたテディベアを覗き込む。


「うん! すっごく!」


 テディベアで遊んでいたレナータは、アレスへと振り向くと、笑顔で大きく首を縦に振った。


 エリーゼがプレゼントしたバレッタと、オリヴァーがプレゼントしたポシェットは、ローテーブルの上に置かれたまま、先程から放っておかれている。両親からのプレゼントには見向きもせず、アレスからのプレゼントに夢中になっているレナータの姿を目の当たりにしたら、さすがにエリーゼとオリヴァーへの同情が禁じ得なかったが、それでもやはり喜んでもらえてよかったという気持ちの方が、遥かに強い。


 にこにことアレスを見上げてくるレナータが可愛らしく、ついダークブロンドに覆われた小さな頭を撫でていたら、翡翠の眼差しが再度テディベアへと注がれた。

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