無条件の肯定
「レナータ?」
「……誕生日プレゼントの話をしていたら、今度は今年のケーキはどんなケーキかなって、気になってきちゃって」
アレスの呼びかけに視線を戻したレナータは、照れ臭そうにはにかんだ。どうやら、今年の誕生日プレゼントを当てようにも、アレスからろくな情報を引き出せなかったから、バースデーケーキに興味が移ったようだ。
「さあ、それは俺も知らねえな。今年も、オリヴァーさんの手作りなんだろうけど」
オリヴァーは料理だけではなく、お菓子作りも得意としている。だから、誰かの誕生日には、必ず手作りのケーキを焼いてくれるのだ。
「去年は、私の大好きな苺のタルトだったから、今年もそれかなあ? それとも、別のケーキかなあ?」
先刻までの不満たらたらの眼差しはどこに行ったのか、今のレナータはにこにこと楽しそうに笑っている。本当に、レナータは見ているこちらが驚くほど、負の感情を引きずらない上、気持ちの切り替えが早い。
「今年のアレスの誕生日の時に食べた、ガトーショコラもおいしかったよね!」
「ああ、あれは美味かった」
レナータの弾んだ声をきっかけに、今年の自分の誕生日を振り返る。
アレスの誕生日にも、オリヴァーはもちろんケーキを焼いてくれるのだが、今年は生クリームがたっぷりと添えられた、ガトーショコラを作ってくれたのだ。レナータもエリーゼも、甘いものには目がなく、当のアレスよりも余程喜んでいた。
レナータなんて、口の周りがチョコレートや生クリームで汚れようとも構わず、夢中で頬張っていたから、食べ終わる頃にはひどい有様になっていた。だから、アレスがレナータの口の周りを拭いてあげたのだ。そうしたら、昔と立場が逆転してしまったと、レナータが恥ずかしそうにはにかんだものだから、アレスも何だか懐かしい気持ちになってしまったのだ。
「そういえば、アレスの六歳の誕生日の時も、一緒にチョコケーキ食べたよね。何だか、懐かしいなあ」
翡翠の眼差しが再度アレスから逸れると、レナータは遠くを眺めるような目つきになった。アレスの胸元で頬杖をつき、ぼんやりと過去を回想しているみたいだ。
しばらくそうしていたかと思えば、陽だまりみたいな笑顔と共に、レナータの視線がまたアレスへと向けられた。
「ねえ、アレス。来年も再来年も、その次の年も、一緒に誕生日のお祝いをしようね! 私、アレスがこの世界に産まれてきてくれて、本当に嬉しいの!」
――少しふっくらとした柔らかそうな唇から、突如として零れ落ちた言葉に、一瞬息が止まるかと思った。同時に、かつてのレナータの、透明感のある柔らかい声が耳の奥に蘇ってくる。愛しさを滲ませた、可愛らしい微笑みが、瞼の裏にちらつく。
――ねえ、アレス――この世界に産まれてきてくれて、ありがとう。
どうしてレナータは、今も昔も、アレスの心を震わせる言葉を、当たり前のように惜しみなく与えてくれるのか。何の見返りも求めず、心の底からの笑顔を向けてくれるのか。何故――いつも無条件に、アレスの存在を肯定してくれるのか。
(……もし今、俺がそう訊いたら、お前は答えてくれるのか? レナータ)
そんな疑問を抱きつつも、昔のアレスは一度として訊ねたことはなかった。当時のアレスは、胸の奥底から湧き上がってきた疑問を言語化できるほど、成長していなかったからだ。
でも、今度はレナータが答えられないかもしれない。それとも、人工知能だった時の記憶の影響を受けているレナータならば、アレスが納得のいく答えを返してくれるのだろうか。
「……レナータ」
「ん? なあに?」
レナータは頬杖をついたまま、小首を傾げた。不思議そうにアレスを見つめてくるレナータに手を伸ばし、すっかり乱れてしまったダークブロンドを手櫛で梳く。すると、案の定、指通りのいい艶やかな感触がアレスの指に纏わりついてきた。
問いを声に乗せようとした寸前、ぐっと言葉を呑み込んだ。
別に、質問することに臆したわけではない。ただ、レナータの笑顔を見つめ返しているうちに、理由なんて何でもいいと思えたから、言葉を引っ込めただけだ。
「アレス?」
レナータの名を呼んだのに、その後、一向に言葉を発する気配がなかったからだろう。レナータがますます不思議そうな面持ちになり、アレスの名を呼ぶ。
ダークブロンドから指を引き抜き、レナータの薔薇色に染まっている頬に触れる。そのまま、柔らかくて滑らかな肌の感触を楽しむかのように、するりと撫でれば、レナータは気持ちよさそうに目を細めた。
「……俺も、この世界に産まれてきてくれて、ありがとうって、思っている。レナータ」
理由を問い質す代わりに、かつてのレナータに生を祝福された際に返した言葉を、もう一度伝える。
すると、レナータの大きな翡翠の瞳が、零れんばかりに見開かれた。だが、それもほんの束の間で、レナータはいつものようにふわりと微笑んだ。
「本当に……ありがとう、アレス」
レナータが返した言葉も、あの時とそっくりそのまま、同じだった。
(そうだ、理由なんて何でもいい)
ただ、レナータと一緒にいられれば、それでよかった。その気持ちは、今も昔も変わらない。そして、そう思っているのが、アレスだけではなく、レナータもならば、尚更いい。
いつの間にか陽が沈んできたのか、アレスの私室に射し込む光が、だんだんと弱まってきた。しかし、それでも尚、レナータのダークブロンドも、翡翠の瞳も、淡い光沢を放っているように見えた。
***
「――レナータ、誕生日おめでとう!」
普段よりほんの少し豪勢な夕食を済ませた食卓には今、苺のシャルロットケーキが鎮座している。両親が楽しそうに歌っていたバースデーソングが終わりを迎え、改めて誕生日を祝う言葉を贈られたレナータは、ケーキに立てられている八本の蝋燭に点されている火に、勢いよく息を吹きかけた。蝋燭の火が消えた直後、拍手の音がダイニングの空気を震わせた。
「お父さん、お母さん、アレス、ありがとう」
温かな拍手に迎えられたレナータは、照れ臭そうにはにかんでいる。
「はい、レナータ。ケーキを食べ始める前に、お母さんからのプレゼントよ」
レナータがフォークに手を伸ばそうとした直前、エリーゼがこれまで隠し持っていたプレゼントを差し出した。すると、レナータは目に見えて嬉しそうに、口元を綻ばせた。
「わあ……! お母さん、ありがとう! 開けてもいい?」
「ええ、もちろん」
母親から許可を得るや否や、レナータは丁寧にプレゼントのラッピングを解き始めた。もっと乱暴に剥がしても、誰も文句は言わないだろうに、見ているこちら側がじれったくなるくらい、レナータはゆっくりと包みを解いていく。
「可愛い……!」
レナータの手のひらに乗っているのは、二つのバレッタだった。一つは、今日のレナータが身に纏っているワンピースと同じ色の、大きなリボンの飾りがついているバレッタだ。そして、もう一つは、淡い紫色の花の飾りが施されているバレッタだった。もしかして、あの花は菫を模しているのだろうか。何となく、形が似ている気がする。
「レナータは髪が短いから、あまり弄りようがないけれど、バレッタだったら、今の長さでもつけられるでしょう? レナータも、小さくても女の子だものね。たまには、お洒落したいわよね」
「ありがとう、お母さん。大切に使うね!」
レナータはにっこりと微笑んでそう宣言すると、突然椅子からぴょんと飛び降りた。何をするつもりなのかと、その場にいた皆がその動向を見守っている間にも、レナータは素早くリビングに駆け込んでいった。そうかと思えば、またすぐにダイニングに戻ってきた。
「せっかくのプレゼントだから、ケーキで汚さないように、リビングのテーブルの上に置いてきたー」
「レナータは今日の主役なんだから、大人しく座っていていいんだよ? 次からは、お父さんが置いてきてあげよう」
レナータがにこにこと微笑み、間延びした声で自分が何をしてきたのか伝えると、オリヴァーが微かに苦い笑みを零す。
「ありがとう、お父さん。それじゃあ、お願いしちゃおっかな」
「はい、任されました。――それじゃあ、リビングに持っていく前に、お父さんからのプレゼントをご覧いただけますか? お姫様」
レナータがちょこんと椅子に座り直したところで、次はオリヴァーがおどけた様子でプレゼントを手渡した。先程、エリーゼから許可をもらったばかりだからか、オリヴァーには何も訊かず、レナータはラッピングに手をかけた。
レナータが包みを解くと、今度は淡いブルーの花のコサージュが飾られている、オフホワイトのポシェットが姿を現した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます