女神の誕生日
「んー……誕生日っていっていいのか分からないけど、私が完成したのは、西暦二二二〇年の三月六日だから、三月六日が私の誕生日ってこ とになるのかな?」
レナータの誕生日がまだ先だと知り、ほっと安心するのと同時に、たった今耳にしたばかりの西暦に驚かされる。
今年は、西暦五一一九年だ。人間の年齢に換算すると、レナータはいくつなのだろうと必死に計算しようとした矢先、隣から感慨深そうな声が聞こえてきた。
「私、今年で二九九九歳になるのかあ。本当、長生きしたなあ」
レナータが約三千歳と知らされ、愕然と目を見開く。長生きとか、そういう次元の話ではないのに、レナータはどこまでものんきに構えている。
(まあ、レナータがいくつでも、いいや)
今、アレスの目の前にいるレナータは、どこからどう見ても、お姫様みたいに可愛い女の子だ。アレスにとっては、それだけで充分だ。
それよりも、レナータの誕生日に何をプレゼントしようかと考える。
クリスマスには、母と一緒にクリスマスの買い出しに出かけた時に、お小遣いでこっそりと購入した、マカロンをプレゼントした。
一緒に過ごすうちに、レナータは甘いものが好きだと知り、元々お菓子をあげようと思っていたのだ。それで、お菓子売り場を回っていたら、お姉さんたちが楽しそうにマカロンを買っているのを見て、ああいうものをあげれば、レナータも喜ぶかと思ったのだ。
ただ、アレスのお小遣いで買うには、少々高級なマカロンを取り扱っている店だったから、クランベリー味とレモン味、それからチョコレート味の三個入りのマカロンを買うので精一杯だった。
でも、マカロンを目にしたレナータは、マリンブルーの瞳をきらきらと輝かせて喜び、大事に噛み締めるように食べていたから、やはり女性客の様子を観察してから買ってよかったと、しみじみと思った。
(でも、またお菓子っていうのもなあ……)
レナータは、クリスマスにイヤーマフを、誕生日に記憶媒体を、アレスにプレゼントしてくれたのだ。アレスも、もう少し趣向を凝らしたい。
「アレス、どうしたの? 急に黙り込んじゃって」
レナータに不思議そうに問われ、はっと正気を取り戻したアレスの目の前に、既に切り分けられたチョコレートケーキを載せた皿が、ことりと置かれた。
「せっかくだからケーキ、一緒に食べよう?」
確かに、せっかくレナータと一緒に誕生日を過ごしているのだ。いつまでも考え事に没頭していたら、時間が勿体無い。
レナータの言葉にこくりと頷き、フォークに手を伸ばそうとした寸前、どうしてか白くて華奢な手に奪われた。そして、レナータはフォークでケーキを一口分に切り分けて先端に刺し、笑顔でアレスに差し出してきた。
「はい、アレス。あーん」
どうやら、レナータの手ずからケーキを食べさせてくれるみたいだ。
素直に差し出されたケーキを口に含むと、レナータの薔薇色の頬がさらに幸せそうに緩んだ。その表情を記念に撮っておきたくて、口をもごもごと動かしながら記憶媒体を操作し、再度シャッターを切る。
「あ、こら! アレス! また、勝手に写真撮ったー! どうして、写真を撮る前に一言声をかけてくれないの?」
そうしたら、自然体のレナータを写真に収められないではないか。
珍しくアレスに振り回されるレナータが何だか可愛らしくて、また写真を撮る。レナータは、膨れっ面でも可愛い。
「あー、もう! だーかーらー! 私の変な写真ばっかり撮らないでよー!」
「変な写真なんか、一枚も撮っていない」
「撮っているじゃな……って、また撮ったー! もう! ケーキが食べ終わるまでは、それ弄るの禁止!」
アレスから記憶媒体を取り上げようと、躍起になっているレナータの姿を見ていたら、自然と口元が緩んでしまった。
***
――ついに、レナータの誕生日である三月六日を迎えた。
結局、アレス一人では、自分のお小遣いで女の子が喜ぶものを買えるのかどうか、分からなかった。
だから、恥を忍んで母に「女の子へのプレゼントには、何をあげたらいい?」と訊ねたら、からかうような微笑みを見せつけられつつも、アドバイスをくれたのだ。そのアドバイスを元に、プレゼントを買いにいったら、店員に微笑ましそうな目で見られてしまった。店員から手渡されたプレゼントを抱えて走っている今も、すれ違う人に驚かれたり、妙に温かい目を向けられたりして、ひどく恥ずかしい。
だが、これでレナータが喜んでくれるのならと、懸命に自分に言い聞かせ、古城へと続く橋を渡る。
「あ! アレス、こんにち――」
いつものように、橋の先でアレスを待っていてくれたレナータの声が、不自然に途切れる。マリンブルーの瞳が驚きに大きく見開かれ、アレスが両手に抱えているものを凝視する。
「――レナータ! 誕生日、おめでとう!」
恥ずかしさを紛らわせたくて、走ってきた勢いのまま、両手に抱えていた、白い薔薇と菫のブーケをレナータに差し出す。
――男の子からお花をもらって、喜ばない女の子はいませんよ。お花なら、アレスのお小遣いでも充分買えますから、プレゼントにぴったりだと思います。
どこかアレスをからかうような母の声が、耳の奥に蘇ってくる。
確かに、母の言う通り、花はそこまで値が張るものではなかった。それこそ、見栄えのいい綺麗なブーケにしてもらっても、アレスのお小遣いで払えたほどだ。
しかし、女の子へのプレゼントにブーケを買うことが、あんなに恥ずかしいものだとは、知らなかった。あんなにも、周りからにやにやとした笑みを向けられるものだとは、思わなかった。
その上、レナータは驚愕に目を見張ったままで、ちっとも喜んでくれていない。母が言っていたことは、実は嘘だったのではないかと、じわじわと苛立ちが込み上げてくる。
「これ……アレスが選んでくれたの?」
白い薔薇に注がれていたマリンブルーの眼差しが、不意にアレスを捉える。何故か分からないが、レナータの顔は今にも泣き出しそうになっていた。
「う、うん……」
もしかして、泣き出しそうになってしまうほど、この花が気に入らなかったのだろうか。
白い薔薇を一目見た途端、まるでレナータそのものみたいだと思った。可愛らしくて、上品で、華やかで、自然と視線が吸い寄せられるところなど、レナータそっくりだと思ったのだ。でも、薔薇の花だけでは何だか味気なかったから、清楚で可憐な菫の花も添えてもらったのだ。菫の花も、どことなくレナータと雰囲気が似ていたから、きっと似合うだろうと、その時は信じて疑わなかった。
だが、レナータが喜んでくれないのならば、どれだけアレスが似合うと思っていても、意味がない。あっという間に気恥ずかしさが萎んでいき、代わりに落胆を覚える。同時に、ブーケを引っ込めようとした直前、透明感のある柔らかい声が、ぽつりと耳朶を打つ。
「……白い薔薇の花はね、私のお父さんが大好きな花だったの。大好きだった奥さんが好きな花で、それで好きになったんだって。その話を聞いて、お父さんを喜ばせたくて、私、お父さんが生きている間は白い薔薇を育てていたの。そうやって、一生懸命薔薇の世話をしているうちに……私も、大好きになっていた」
レナータの父親の話は、何度か聞いたことがある。レナータを創った人で、とっくの昔に亡くなっているものの、今でも大切に想っている人なのだと、幸せそうでありながら、どこか寂しそうに微笑んで教えてくれた。
徐々にマリンブルーの瞳が潤んできたかと思えば、レナータの目の縁からぽろぽろと涙が零れ落ちてきた。どうしようと焦るものの、ブーケを両手に抱えた状態では、レナータの涙を拭うこともできない。
どうせ喜んでもらえなかったのだから、その辺に投げ捨ててでもレナータの涙を拭おうと、ブーケを手放そうとした矢先、何の前触れもなく足が地面から離れた。僅かに浮遊感を味わった直後、柔らかくていい匂いのするぬくもりに全身を包み込まれ、レナータにブーケごと抱き上げられたのだと理解する。
「……レナータ?」
ブーケを抱き潰してしまわぬように気をつけつつ、おずおずとレナータの名を呼ぶ。
「……ありがとう、アレス」
暦の上では春になったとはいえ、まだ肌寒い日が続いている。しかし、今日は暖かく柔らかな風が頬を撫でていく。
「――誕生日プレゼントをもらって、こんなに嬉しいって思ったのは、生まれて初めてだよ!」
涙を流しながらも満面の笑みを浮かべたレナータに、思わず息を呑む。
レナータを可愛いと思ったことは、幾度もある。でも、レナータの笑顔を見て綺麗だと思ったのは、今日が初めてだ。
「このお花、大事にするね。私の部屋に飾って、毎日見るよ」
ブーケに顔を近づけたレナータは、やはり幸せそうに微笑む。そして、その微笑みをアレスにも向けてくれる。マリンブルーの眼差しと琥珀の眼差しが絡み合うと、自然とアレスの表情も和らいだ。
「……レナータに喜んでもらえて、よかった」
相変わらず、レナータの目尻からは涙が流れ落ちているが、嬉し涙だと判明した瞬間、慌てるのではなく、綺麗だと見入ってしまうのだから、我ながら単純だと思う。
だが、そう思ってしまうのも仕方がないくらい、春の柔らかな日差しを浴びてきらきらと輝くレナータの涙は、本当に美しかった。
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