少年の誕生日
「――アレス、六歳のお誕生日おめでとう!」
――季節は廻り、あの輝かしい夏は去り、秋が過ぎ、冬を迎えていた。
一月七日は、アレスの誕生日だ。しかし、母とアレスの誕生日はクリスマスに近いため、ヴォルフ家では毎年、二人の誕生日とクリスマスをまとめて祝っている。だから、大聖堂に足を踏み入れた瞬間、レナータに誕生日を祝われるとは、夢にも思っていなかった。
「あ、ありがとう……」
眼前で鳴らされたクラッカーに目を白黒させつつも礼を告げると、レナータは楽しそうに笑い声を上げた。それから、あの夏の日にデートをした時みたいにアレスを抱き上げ、その場でくるくると回り出す。その動きに合わせ、白銀の髪がふわり、ふわりと踊り、ドレスの裾も柔らかく膨らむ。
「……レナータ、本当にこれ、好きだな」
あの日以来、レナータが街まで下りてきて、二人で出かけることは度々あった。そして、毎回ではないものの、アレスが待ち合わせ場所にやって来ると、レナータははしゃぎ声を上げながら、こういう行動に出たことが幾度もある。
「だって、アレスが可愛くて可愛くて、仕方がないんだもの」
薔薇色に染まった頬を緩め、満面の笑みを見せつけられてしまえば、それ以上は何も言えない。可愛いという形容詞が腑に落ちないものの、とりあえず納得したふりをして、小さく頷く。
「アレス、今日も私がクリスマスプレゼントにあげたイヤーマフ、つけてくれているんだね。嬉しいなあ」
「これつけていると、あったかいから」
ヴォルフ家では、誕生日祝いも兼ねているため、クリスマスは家族と過ごす日と決まっている。だから、アレスがレナータからプレゼントを受け取れたのは、クリスマスの次の日だった。
クリスマス当日は過ぎてしまったし、長い時を生きるレナータが、そういう記念日を気に留めているとは思っていなかったから、これまでで一番嬉しいクリスマスプレゼントになった。
しかも、アレスがプレゼントにもらったイヤーマフを装着していると、歓声を上げて喜ぶレナータに、欠かさず抱きしめてもらえる。だから、レナータに会いにいく時は、忘れずにイヤーマフで耳を覆うようにしている。
「喜んでもらえて、よかった。今日もね、アレスにプレゼントを用意したんだよー。あとね、ケーキもあるよ!」
「ありがとう、レナータ」
クリスマスと一緒くたに祝われてしまうため、アレスは自分の誕生日にケーキを食べたことがない。ただでさえ、誕生日当日にレナータに祝ってもらえて嬉しいのに、さらに追い打ちをかけられ、胸がいっぱいになってしまい、それ以上の言葉が出てこなくなってしまった。
大聖堂の外観も内部の様子も、どこか冷ややかな印象を受けるのに、中は暖かかった。夏は涼しく、冬は暖かいのだから、もしかしたら目に見えないところに冷暖房設備が備え付けられているのかもしれない。
レナータがアレスを抱き上げたまま、大聖堂の奥に進んでいくと、長椅子の前にいつもは見かけないテーブルが置かれ、その上に小さなホールケーキが鎮座していた。もしかしなくとも、レナータがわざわざテーブルをここまで持ってきてくれたに違いない。
レナータはそっとアレスを床の上に下ろすと、手際よくイヤーマフやマフラー、手袋などの防寒具を外し、ダウンジャケットまで脱がせてくれた。
「あのね、アレスとクリスマスのお祝いをした時は、一緒に苺のショートケーキを食べたでしょ? だから、今回はチョコケーキを買ってきたんだ。アレス、チョコは平気?」
「うん、好き」
基本的に、アレスには食べ物の好き嫌いはない。母に好き嫌いしないで、出されたものはなるべく食べなさいと言われてきたし、実際に食べてみて苦手だと思った食材には、今のところ遭遇したことがない。
レナータはアレスを長椅子の上に座らせ、いそいそと六本の細くて小さな蝋燭を差し出してきた。
「はい、アレス。これを好きなところに立ててね」
レナータの言葉にこくりと頷き、ケーキのデコレーションを崩さないように細心の注意を払いつつ、受け取った蝋燭を立てていく。すると、どこから取り出したのか、レナータがライターで蝋燭の先端に火を点けていく。
六本の蝋燭全てに火が点れば、透明感のある柔らかい声がバースデーソングを口ずさみ始めた。そして、歌が終わりを迎えた直後、アレスは勢いよく蝋燭の火を吹き消した。
「――アレス、改めて……六歳のお誕生日おめでとう!」
バースデーケーキの蝋燭の火が消えるや否や、拍手の音が鼓膜を揺さぶる。再び感謝の言葉を口にしようとした直前、目の前に綺麗にラッピングされたプレゼントが現れた。
「クリスマスの時は、最近アレスの耳が赤くて寒そうだなあって思っていたから、すぐに何をあげようか決まったんだけど、今回は結構悩んじゃった。だから、喜んでもらえると、嬉しいな」
照れ臭そうにはにかむレナータから包みを受け取り、まじまじと見つめる。
誕生日プレゼントの包みは、クリスマスプレゼントの時と比べると、ずっと小さい。この大きさだと、何が入っているのだろうと、しばらく考えてみたものの、やはり開けてみないことには分からない。
「一生懸命選んでくれて、ありがとう。……開けてみてもいい?」
「もちろんだよ!」
レナータはアレスの隣に腰を下ろすと、一緒になってプレゼントを覗き込んだ。レナータの視線を感じながら、ゆっくりとリボンを外し、包装紙を剥がしていけば、縦長の白い箱が姿を現した。箱の蓋を持ち上げれば、そこには携帯端末によく似た、シルバーの光沢を放つ小型の機械が納まっていた。
「それね、記憶媒体っていうの。写真とか動画とか……あと、音声も記録できるんだ。操作方法は携帯と一緒で、ホームボタンを押すと、ホーム画面を呼び出せるから、そうしたら好きなアプリをタップしてね。それで、写真でも動画でも音声でも、好きなのを記録できるから」
アレスの片手にすっぽりと納まってしまうほどの小型の機械を、じっくりと観察していたら、レナータが横から丁寧に説明をしてくれた。
レナータに教えてもらった通り、ホームボタンを押すと、ホーム画面が現れる前に指紋認証システムが起動し、使用者の指紋の登録を求められる。システムの指示に従い、アレスの指紋を読み込めば、認証完了となり、今度こそホーム画面が呼び出された。その間も、レナータは何か分からないところはないかと訊いてくれたが、ここまでは携帯端末と操作方法が同じだったから、特に困ることもなかった。
ホーム画面に切り替わると、三つのアプリが表示された。写真を撮る機能を備えたアプリをタップし、隣に振り向いた直後、間髪入れずにシャッターボタンの表示を指先で軽く触れる。すると、軽快なシャッター音が記憶媒体から聞こえてきた。
「……え?」
状況がよく呑み込めていないレナータが、笑顔のまま固まっている。そんなレナータを意に介さず、撮ったばかりの写真を確認すると、そこにはアレスの大好きな笑顔がアップで写っていた。若干、画面が暗くなってしまっていたものの、写真を微調整すれば、すぐに綺麗に修正できた。
「レナータ、見て。よく撮れた」
アレスが記憶媒体の画面を見せた刹那、どうしてかレナータは急に慌て出した。
「え、えええええええ! 言ってくれれば、ちゃんとポーズ取ったのに! アレスってば、何も言わないで勝手に人の写真撮らないでよー」
アレスとしては、写真の出来栄えに満足していたのだが、レナータはそうではなかったらしい。頬を赤らめ、恥ずかしそうに視線を彷徨わせている。
「レナータはポーズ取らなくても、可愛い」
実際、今現在、記憶媒体の画面に表示されている写真の中のレナータは、いつも通り可愛い。
だから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのにと思っていたら、レナータが拗ねたように頬を膨らませた。
「……アレスが大人になったら、本当にどうなっちゃうのか、ある意味心配だよ」
「なんで?」
「なんでも何も、心配なものは心配なのっ!」
その説明だけでは、何故そんな心配をされているのか、結局分からなかったが、とりあえず話題を変えた方がよさそうだ。
「そういえば、レナータの誕生日って、いつ?」
もし可能ならば、アレスもレナータの誕生日を祝いたい。どうか、レナータの誕生日が実はつい最近で、過ぎたばかりとか言わないで欲しいと祈りつつ、返事を待っていると、透明感のある柔らかい声が、少し迷うように答えた。
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