優しいわけじゃない
「アレス、考えてもみてよ。私はロボットで、その人は人間なんだよ? その人がどんどん年を取っていっても、私はこの姿のまま。……きっと、自分だけが若さを失っていくことに耐えられなくなる。いつまでも若いままの私を見るのが、辛くなっていくはず。自分のことが惨めに思えて、一緒にいたいなんて思えなくなるに決まっている」
レナータの部屋に招待された日、確かにアレスも似たようなことを考えた。だが、アレスは置いていく側の人間よりも、世界に取り残され 続けるレナータの方が、余程苦しいのではないかと思ったのだが、そうではないのだろうか。
「そうしたらね、私がその人のプロポーズを断った次の日……その人は、死んじゃったの。自分から川に飛び込んで、そのまま溺れて死んじゃったんだって」
感情が読み取れない淡々とした声が続けた言葉に、咄嗟に息を呑む。
たかがプロポーズに失敗したからといって、死を選ぶなんて、アレスからしてみれば、信じられない。失恋ごときで、なにも死ぬことはないではないか。それに、そんなやり方で死んだら、まるでレナータのせいだと言っているみたいではないか。レナータを傷つけることになるかもしれないとは、砂粒ほどにも考えなかったというのか。
そこまで思考を巡らせた刹那、会ったこともない、三百年前の時代に生きていたという男に、言いようのない憤りを覚える。
「そんなことがあったから……なるべく人と会わないようにしていたんだ。また同じようなことがあったらって思ったら、怖くなっちゃって」
レナータは寂しそうな微笑みを唇に象ったまま、言葉を締めくくった。
やはり、その馬鹿な男のせいで、レナータは傷ついたではないか。三百年も城の中に引き籠ってしまうほどの、恐怖を味わわせたではないか。なんて自分勝手な男なのだろうと、眉間に刻まれた皺がますます深まっていく。
「……そんな男のために、レナータが傷ついてやる必要なんてなかったのに。そんな男、さっさと忘れた方がいい」
ついぼそりと言葉を吐き捨てると、レナータが驚いたように目を丸くした。それから、ふわりと微笑んだかと思えば、アレスの眉間に手を伸ばし、その華奢な指先で皺を解してくれた。
「うん。アレスが私に会いにきてくれたおかげで、一緒に街に遊びにいこうって言えるくらい、その人のこと、忘れてきているよ。心配してくれて、ありがとう。アレスは優しいね」
「……別に、優しいわけじゃないけど」
アレスが優しいから、レナータのために怒ったわけではない。レナータを悲しませた馬鹿な男が許せなくて、心のままに怒っただけだ。
むくれて反論した直後、ふとある不安が込み上げてきた。
「……じゃあ、俺が大きくなったら、レナータをお嫁さんにもらうって言った時、レナータ、その時のことを思い出して、嫌な気持ちになった?」
レナータにとって、プロポーズの言葉は嫌な記憶と直結していたと判明した今、いくら知らなかったとはいえ、自分の軽率な発言に、罪悪感が湧き上がってくる。
レナータの顔色を窺いつつ、そう問いかければ、レナータは再度瞠目した。そして、またすぐに笑顔に戻る。
「アレス。あの時は、私から言い出したんだよ? 嫌な気持ちになるわけないじゃない。あの人のことなんて、あの時はすっかり忘れていたよ」
アレスがほっと安堵したのも束の間、唐突にレナータに抱き寄せられた。そのままレナータの膝の上に乗せられたかと思えば、頬ずりまでされた。白銀の髪に頬をくすぐられ、咄嗟に身じろいだものの、レナータがアレスの身体から離れてくれる気配は露ほどにもなく、ぎゅうぎゅうと抱き竦められる。
「……どうしよう。私、本当にアレスのお嫁さんになっちゃおうかな」
「レナータなら、いつでも嫁に来ていい」
レナータの花嫁姿を想像してみるが、いつもドレスを身に纏っているから、あまり普段のイメージと変わらない。しかし、レナータはそのままでも充分可愛いから、それでいいかと心の中で呟く。
そこで、はっとあることを思い出す。
「……レナータ」
「ん?」
頬ずりをやめ、アレスから僅かに距離を取ったレナータが、不思議そうに小首を傾げる。
「まさか、その格好で街に下りてくるのか?」
それだけは絶対にやめた方がいいと、断言できる。ただでさえ、レナータは人間離れした美貌の持ち主なのに、ドレス姿で街中を歩き回ったりしたら、良くも悪くも目立ってしまう。
アレスが神妙な面持ちで質問した直後、レナータはきょとんと目を瞬かせた。そして、次の瞬間には、くすりと笑みを零した。
「いやいや、さすがにそれはないよ。大丈夫、ちゃんと普通の格好をしてくるから」
レナータは胸を張ってそう主張するものの、どうしてか不安が消えない。アレスには、普通の格好をしているレナータの姿が、全くといっていいほど想像できない。
(レナータの普通って、本当に普通なのか……?)
レナータが持っているドレスは、スカート丈の短いものも多い。中には、ワンピースと呼んでも差し支えのないデザインのものもある。
だから、まさかワンピースに近いデザインのドレスを着てくるのではないかと、内心戦々恐々としているアレスに、気づいているのか、いないのか、レナータは微笑みを絶やさない。
「それでね、アレスさえよければ、明日街に行きたいなあって思っているんだけど、アレス、何か予定とかある?」
「……ない、明日で大丈夫」
約束の日は明日で大丈夫なのだが、レナータの服装が大丈夫なのかどうかが心配だ。
「よかったあ。じゃあ明日、お昼前に広場の天文時計の前で待ち合わせするのは、どうかな?」
「うん、大丈夫」
広場にある天文時計は非常に目立つから、アレスでもよく分かる。
アレスがこくりと頷くと、レナータは場が華やぐような笑みを浮かべた。
「明日が、楽しみだなあ。明日も、いい天気になるといいね」
レナータの服装を心配していたアレスだったが、その笑顔を見ているうちに、次第にあまり気にならなくなってきた。どんな格好をしていても、レナータはレナータなのだから、それでいいと思えてきた。
三百年ぶりの街歩きが、レナータにとっていい思い出になって欲しい。だからアレスも、明日も今日みたいないい天気になりますようにと、レナータに倣って願った。
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