初めてのデート
翌日の昼前、約束通り、広場の天文時計の前へとやって来ると、既にレナータが待っていた。でも、レナータはぼんやりと天文時計を眺めており、まだアレスが来たことに気づいていないみたいだ。
(……本当に、普通だ)
天文時計の前に立っているレナータは、ふんわりとした半袖の白いブラウスに、ジーンズのハーフパンツ、シルバーのパンプスという出で立ちだ。それに、茶色い房飾りがついている、クリーム色のショルダーバッグを肩から下げ、デニムのキャスケットを被っている姿は、一見どこにでもいそうな女の子だ。似たような格好をしている女の子なんて、アレスの周りだけでも何人もいる。
(普通なのに、目立っている)
だが、背中に流れている、夏の陽光を反射して淡く煌めいているように見える長い銀髪は、やはり異彩を放っている。その上、キャスケットを被った程度では、お姫様みたいに可愛い顔は隠しきれていない。
おかげで先刻から、何度も男の人からちらちらと視線を向けられているのに、レナータは気づいていないのか、興味がないのか、相変わらず天文時計を見上げている。
何だか、レナータをこのまま放っておけなくなり、急いで駆け寄っていく。すると、ようやくレナータがこちらへと振り返り、ぱっと笑顔を花咲かせた。
「アレス、こんにちは! 今日も、いい天気になってよかったね」
レナータの前で立ち止まった途端、いきなり抱き上げられて目を見開く。レナータは驚くアレスを余所に、その場でくるくると回り出した。慌ててレナータの肩にしがみつけば、軽やかな笑い声が鼓膜を震わせる。
「レナータ、浮かれ過ぎ」
こんなにはしゃいでいるレナータを見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。いつもにこにこと笑っているレナータだが、こんな風にアレスを抱えて回るなんてことは、今までされたことがない。
ひとしきりくるくると回って気が済んだのか、ようやくレナータの動きが止まる。そして、アレスを抱え上げたまま、頬を紅潮させて口を開く。
「だって今日は、アレスとの初めてのデートだもの。浮かれちゃうよ」
「……デート?」
デートとは、一体何なのか。母にも兄にも教えてもらったことがない単語を耳にし、首を傾げる。
アレスの様子から、デートの意味を知らないと察したらしいレナータは、楽しそうに笑みを零した。
「仲良しの男の子と女の子が、一緒にお出かけすることだよ」
「ふーん……」
それなら、確かにこれはデートだろう。しかし、浮かれるほどのことなのだろうか。
「あれ、アレス。結構、反応薄いね?」
レナータが意外そうに目を見張ったが、アレスとしては、ならばどんな反応をすればいいのかと、逆に問い詰めたい。
「レナータ、あんまり人前に出たくないって言っていたから、ここまではしゃぐとは思っていなかったんだ。だから、まだびっくりしている」
「そうだったんだ。びっくりさせちゃって、ごめんね」
「ううん。レナータが嬉しそうで、よかった」
「私こそ、そう言ってもらえて、よかった。今日一日、多分この調子だと思うけど、よろしくね。アレス」
「うん、よろしく」
アレスが小さく頷くと、レナータの笑顔がより一層幸せそうなものになった。やはり、レナータは可愛いなと思っていたら、ゆっくりと地面に下ろされた。
「さて、アレス。まずは、腹ごしらえをしちゃおうか。その後、街の案内をしてもらえると、嬉しいなあ」
「……レナータに街の案内、今さらする必要ある?」
以前、楽園のことは大体把握していると言っていたし、レナータは三千年も生きている人工知能だ。アレスに案内してもらわなくても、全く困らないだろう。
「でも、最近の街の様子はよく知らないもの。多分、普段ここで生活しているアレスの方が、ずっと詳しいんじゃないかなあ。――というわけで」
レナータは周囲をさっと見回した後、アレスへと手を差し出してきた。
「エスコートをお願いできますか? アレス」
差し伸べられた手を、ぱちぱちと忙しなく瞬きしながら見つめ、やがてそっと掴む。
「……分かった、頑張る」
エスコートならば、何となく知っている。母がよく、男の子は女の子に優しくしておくと、後々得をすると言っていた。おそらく、そういうことだろうと、深々と頷く。
それに、相手がレナータならば、たとえアレスが得をしなくても、優しくしたいし、喜ばせたい。
「うん! 今日一日、頑張って!」
レナータの声援に応えるように、きゅっと手を握ると、まずは何か食べようと、屋台がある通りへと向かった。
***
屋台で買い食いをするならば、パールキと呼ばれている、二本一組のソーセージがいいだろうと思い、レナータに屋台を指し示しつつ提案したら、笑顔で賛成してくれた。
これくらいならば、アレスのお小遣いでも二人分買えるだろうと思っていたのだが、実際はレナータにあっさりと二人分を支払われてしまったのだ。
「……エスコートよろしくって、言っていたのに」
せめて、自分の分だけでも払おうと、レナータに渡そうとしたら、首を左右に振って拒絶されてしまった。
「年上に奢ってもらうのも、お勉強だよ。はい、アレス。熱そうだから、気をつけて食べようね」
不承不承に頷き、レナータからパールキを受け取ると、手を引っ張られて噴水のところまで連れていかれた。
「ほら、アレス。ここに座って食べよう?」
噴水の縁にハンカチを敷き、手招きしてくるレナータに、驚いて目を丸くする。
アレスが買い食いをする時は、いつもそのまま立って食べているというのに、レナータは随分と行儀がいいのだなと、感心して見つめる。
(あれ? でも、いつもは噴水のところに座る時、ハンカチなんて敷かないのに、どうしたんだろ?)
今日の服よりも、普段の格好の方が汚したら困りそうなのに、急にどうしたというのか。 思わずまじまじとハンカチを眺めていたら、レナータは不安そうに表情を曇らせた。
「……人間の女性は、こういうところに座る時、ハンカチを敷くものだって聞いたんだけど、もしかして私、間違っていた?」
レナータの不安交じりの言葉を聞き、なるほどと納得する。レナータなりに、周囲に溶け込もうと、人間らしい振る舞いをいつも以上に心がけていたらしい。
「別に、間違っていないけど、ハンカチを敷くのも敷かないのも、人それぞれ」
アレスの母は、こういう時はハンカチを敷いてから座るタイプだが、そんなものは人それぞれだろう。レナータが直接噴水の縁に腰かけたところで、アレスは何とも思わない。
「だから、レナータはいつも通りにしていればいいと思う」
レナータが常識外れな行動に出たところなど、見たことがない。先程の浮かれようには驚かされたものの、あのくらいならば、非常識とまではいかないはずだ。
アレスが思ったままに告げると、レナータはほっと表情を緩めた。
「……そっか。うん、そうだよね」
「でも、せっかくレナータが敷いてくれたから、今日はここの上に座る」
レナータは自分が座る分だけではなく、何故かアレスの分までハンカチを敷いてくれたのだ。一体、今日のレナータはハンカチを何枚持ってきたのだろう。
アレスが噴水の縁に腰を下ろし、パールキにかぶりつくと、レナータも隣に腰かけ、こちらの様子を観察してくる。もしかすると、パールキを食べるのは今回が初めてで、アレスの食べ方を見てから、食事をしようとしているのかもしれない。
アレスの食事風景を真剣に見つめた後、レナータはおずおずとパールキに齧りついた。肉汁が零れないようにと配慮しているのか、パールキの真下に左手を添えている。
小さな口で一生懸命パールキを頬張っているレナータを横目に捉え、味の感想を訊ねようと口を開きかけた直前、周りから視線を感じた。どうしたのだろうと周囲の様子を窺えば、複数人の大人の男性が、パールキを食べることに集中しているレナータを凝視していた。
その姿を目の当たりにした瞬間、どうしてかその人たちからよからぬものを感じ取る。
(人がものを食べているところを、じろじろ見るなんて、最低……)
大人なのに、最低限のマナーも知らないのか。
アレスが軽蔑の眼差しを向けると、邪念みたいなものを滲ませた目でレナータをじろじろと眺め回していた男たちが、そそくさと視線を外した。
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