言質
「……レナータ」
「ん? なあに?」
「さっきの言葉は、本当?」
「さっきの言葉って、どれ?」
「俺がもっと大きかったら、俺のお嫁さんにしてって、お願いしたかもってやつ」
「ああ、それね。うん! 本当だよ」
レナータは満面の笑みを浮かべ、首を大きく縦に振ってくれたが、マリンブルーの瞳はどこまでも穏やかだ。やはり、どことなく母がアレスに向ける眼差しに似ている。
「……そっか。その言葉、忘れないから。俺が大きくなったら、レナータのこと、お嫁さんにもらうから」
「えへへ。アレスに、プロポーズされちゃった」
あくまで能天気に笑うレナータを睨みつけたくてたまらなかったが、溜息を吐くだけで我慢する。
レナータは、子供は純真無垢な生き物だと思っているに違いない。でも、子供だって、気に入らない人がいれば、意地悪なことをしたりするし、時には大人よりもずっと残酷なことをすると、アレスは思っている。実際、アレスは同年代の子供から、悪気のない悪意を向けられたことが、度々ある。
そして、その気になれば、子供だって知恵を働かせることくらいあるのだ。
(言質、取った)
言葉を口に出す時には気をつけなさいと、母に幾度も言い聞かせられてきた。一度口から出た言葉は、決して取り消せないから、充分注意するようにと、教えてくれた。
だから、この約束は必ず守ってもらおうと、心に誓っていた最中、ふと疑問が湧いてきた。
(そういえば、人間とロボットって、結婚できるのか?)
レナータはロボットだから、アレスが大人になっても、この姿のままだろう。アレスがこの先、どれだけ歳を取っても、それこそこの世界からいなくなってしまっても――レナータは、永遠に変わらない。
(それは、すごく寂しいことのような気がする)
三千年の時を生きてきたのだと、レナータは言っていた。今、目の前にいるレナータは、にこにこと嬉しそうに笑っているが、たった一人、常に世界に取り残されていたら、辛くて悲しくて、苦しいに決まっている。それとも、あまりにも長い時を変わらぬ姿で生き続けていたから、感覚が麻痺してしまったのだろうか。
「……レナータ」
そんなことを考えていたら、自然とレナータの名を呼んでいた。
「ん?」
「ずっと、一緒にいよう」
この際、結婚しようがしまいが、どうでもいいと思えてきた。ただ、レナータの傍にいられるなら、それで構わない。
アレスがそう告げた途端、先刻は笑顔で応じてくれたレナータが、どうしてか一瞬だけ表情を強張らせた。
「……うん、ずっと一緒にいられたらいいね」
レナータは即座にまた笑みを浮かべてくれたものの、どこか苦しそうだ。それに、レナータの答えは、約束してくれるものではなかった。
レナータは時折、こういう顔をする。本当は苦しくてたまらなさそうなのに、必死に笑顔で隠そうとする。そして、そういう時は決まって、嘘は吐かないが、何か隠し事をしている。
――レナータは、何を隠しているのだろう。
今まで大して気にならなかった、朝から降り続いている雨の音が、妙に耳障りだった。
***
レナータの私室を見せてもらった後、いつも通り大聖堂へと移動した。
レナータと並んで長椅子に腰かけると、持ってきた荷物の中からランチボックスと水筒を取り出す。
「はい、こっちがレナータの分」
「いつもありがとう、アレス」
アレスが少し小さめのランチボックスを差し出せば、レナータは嬉しそうに表情を緩ませ、受け取ってくれた。
今日みたいに午前中からレナータに会いにいく時は、アレスはアンドロイドが作ってくれた昼食を持ってくる。
だが、初めて昼食を持ってきた日、レナータはアレスが食事をしている様子を眺めているだけで、自分は何も食べようとしなかった。そもそも、レナータは何も用意していなかったのだ。
何故、食べないのかと訊ねれば、別に食事をする必要がないからだと、当然のごとく答えが返ってきた。食べられないのかと、質問を変えれば、人間の生活を模倣して学習する機能が備わっているため、食事ができないわけではないと、教えてくれた。
だから、レナータの分も昼食を用意してもらい、持ってきたら、ひどく驚かれたものの、こうして嬉しそうに食べてくれる。
ただ、レナータはどうしても栄養の摂取が必要というわけではない上、万が一故障してしまったら怖いから、五歳児のアレスよりも量を少なくしている。
「今日は、ベーグルサンドなんだね。おいしそう」
ランチボックスの蓋を開けたレナータは、ますます笑みを深めていく。
今日の昼食は、ハッシュドポテトとベーコンが挟んである、ベーグルサンドがメインで、その脇にミニトマトやカリフラワーが添えられている。ちなみに、水筒の中身は甘くない紅茶だ。
「レナータは、辛いものと苦いもの以外は、食べられるんだよな」
「うん、そうだよ。アレス、私の好み、覚えてくれたんだ」
「……だって、嫌いなもの出されたら、レナータ、困るだろ」
「そうだね。アレスの言う通り、そうなっていたら、困っちゃったかも。気を遣ってくれて、ありがとう」
レナータは相変わらずにこにこと微笑んだまま、ベーグルサンドを手に取り、そっと齧りつく。
「うん、おいしい!」
先程とは明らかに異なる、心からの笑顔を目の当たりにし、こっそり安堵する。それから、アレスもレナータに倣い、ベーグルサンドを頬張る。
しばらく黙々と昼食を摂り、ランチボックスや水筒の中身が空になると、レナータが再び口を開いた。
「アレス、ごちそうさま。今日のお昼も、とってもおいしかったよ」
レナータはそう告げると、素早くアレスのリュックサックに二人分のランチボックスと水筒を仕舞い込んだ。それと同時に、トランプケースを取り出した。
「アレス、今日はトランプを持ってきてくれたんだね。今日は、何で遊ぶ? ババ抜き? 七並べ?」
「じゃあ、ババ抜き」
「了解!」
レナータは笑顔と共に頷き、手早くトランプの束をシャッフルしていく。
アレスとしては、レナータとただ話すだけでも楽しい。しかし、それだけではさすがにレナータが飽きてしまうかもしれないと思い、時々玩具や絵本を持参するようになった。そうしたら、想像以上に楽しかったし、レナータも喜んでくれたから、未だに続けているのだ。
でも、兄と自分の分の携帯ゲーム機を持ち込んだ時は、散々だった。どれだけ対戦を持ちかけても、ゲームの種類を変えても、レナータの一人勝ちで終わったのだ。レナータが一生懸命、手加減してくれているのが分かっただけに、余計に惨めな気持ちにさせられた。
(ロボットだから、ゲームの中のキャラクターがどう動くのか、俺がどう動かそうとするのか予想できちゃうって、言っていたな……)
レナータは、味方として共闘する場合は、この上なく心強いプレイヤーだが、敵に回すと一方的にこちらを叩きのめしてくる、理不尽なプレイヤーだ。だから、携帯ゲーム機は自然とあまり持ち込まなくなってしまった。
母や兄はチェスを嗜んでいるが、アレスにはまだルールも理解できない。人生ゲームはアレスでも楽しめるが、ここまで持ってくるのが大変だ。
だから、レナータに会う時に持ってくる玩具は、トランプかジェンガくらいになってしまった。その上、トランプで遊ぶ際は、運が大きく左右する、ババ抜きと七並べの二択だ。大富豪は、やはりアレスがよくルールを理解できないし、神経衰弱ではレナータの記憶力に歯が立たない。アクションゲーム同様、レナータはきちんと手を抜いてくれているのだが、それでも今のアレスでは全く敵わないのだ。
レナータはカードをシャッフルし終えると、てきぱきと交互に手札を配っていく。そして、最後の一枚を配り終えれば、自身の手札の数字 を確認していく。アレスもレナータと同じように、自分の手札に目を通し、ペアとなったカードを手札から引き抜き、二人の間に放る。
そうやって、互いに不要なカードを整理し終えたところで、レナータがにっこりと微笑み、自分が持っている手札をアレスに近づけてきた。
「はい、アレスが先攻ね」
レナータが両手で持っている、裏返しになっている手札の数は、アレスのものよりも多い。別に、意図的に自らの手札を多くし、アレスを有利な状態にさせてから、ゲームをスタートさせようとしたわけではないだろう。レナータはしっかりとカードをシャッフルし、無作為に配っていたのだから、細工のしようがない。
だから、素直に自分の幸運に感謝し、レナータの手札から一枚カードを引き抜いた。
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