黄昏の思い出

「――アレス、私の部屋にようこそ!」


 ――その日は、約束通り、レナータの私室である塔の一室へと案内された。


 レナータの部屋に辿り着くまでの間には、長い螺旋階段があり、途中で何度も足が疲れていないかと、心配そうに確認された。

 でも、アレスはまだ幼くとも、グラディウス族だからか、長い螺旋階段を上っても、苦にはならない。


 そんなことよりも、アレスの心は目の前の光景に奪われていた。


 レナータの私室には、机とクローゼット、それからドレッサーと、何だかよく分からない大きな箱が一つずつ置かれている。それから、長方形の大きい窓が一つだけある。


 だが、机の上にもドレッサーの上にも、何も置かれていない。単純に、収納が得意なだけかもしれないが、アレスの母や兄の机には、本やノートが並んでいたり、ノートパソコンやタブレットが置かれている。母のドレッサーの上も、綺麗に片付けられているものの、確か香水瓶くらいは置いてあった気がする。


 しかも、レナータの部屋にはベッドがない。まさか、あの大きな箱の上で寝ているのだろうか。


 あまりにも生活臭が感じられない、殺風景なレナータの私室に呆気に取られていたら、不意に声をかけられた。


「ごめんね。女の子らしい、可愛いお部屋じゃなくて」

「別に、それはいいんだけど……レナータは、どこで寝ているんだ? あの箱の上?」


 アレスが巨大な白い箱を指差すと、レナータはそちらへと近づいていく。何をするのだろうと見守っていたら、レナータはガラスが嵌め込まれている箱の蓋を開いた。


「ここで、寝ているんだよ」


 レナータがこちらへと振り向き、手招きをしてきたから、おずおずと箱に近づく。そして、蓋が開けられた箱の中を覗き込めば、柔らかそうな白い布が敷き詰められ、色とりどりの大小様々なコードが伸びていた。ただし、コードの先はプラグやコンセントではなく、パッチみたいなものがついている。


「……何これ」

「私に必要な、メンテナンス機器。私が寝る時に、このパッチを決められた場所につけると、寝ている間に勝手にメンテナンスしてくれるの」

「レナータ、何だかパソコンみたいだな」

「まあ、機械って点では、パソコンもロボットも同じだからね」


 レナータはなんてことはないとでも言いたげに、にっこりと微笑んだ。


 本人曰く、レナータは完全自立型人工知能を搭載した、バイオノイドなのだという。正直、そんな説明を聞かされても、アレスからしてみれば、魔法の呪文を唱えられたに等しい。

 レナータの説明に混乱していたら、「つまり、人間よりずっと頭がよくて、人間とほとんど同じ身体を持っている、ロボットのことだよ」と、すぐに言い直してくれた。


 そう言い換えてもらったら、アレスでも何とか理解できたが、それでもレナータはあまりロボットらしくない。アレスの家は、家事代行アンドロイドを何体か所有しているものの、見た目はともかく、言動や振る舞いはロボットそのものだ。


「レナータ、俺より人間っぽいのに、やっぱりロボットなんだ」


 アレスは人間なのに、何故か表情が希薄だ。心の中では、ちゃんと怒ったり、喜んだり、悲しんだり、楽しいと思っても、周りからまるで ロボットみたいだと言われるほど、それらの感情が顔に出ない。唯一、少しは相手に感情が伝わるのは、怒りを覚えた時くらいだ。


(母さんやリックは、ちゃんと思ったことが顔に出るのに……)


 ロボットなのに、喜怒哀楽がはっきりしており、表情豊かなレナータを見ていたら、本当にどちらがロボットなのか、分からなくなってくる。


「うん、そうだよ。私は、正真正銘ロボット」


 レナータは箱の蓋を静かに閉じると、アレスへと改めて向き直った。


「それに、私の目には、アレスはとっても人間らしく見えるよ」


 腰を屈め、アレスの頭を撫でてきたレナータは、優しく微笑む。

 慰めてくれているのだろうかと思っていたら、レナータが変わらず穏やかな口調で言葉を継いだ。


「もしかして、アレスは自分の気持ちがあんまり顔に出ないことを、気にしているのかな?」


 いきなり図星を突かれ、ぐっと押し黙るアレスに構わず、レナータは言葉を繋ぐ。


「確かに、アレスはあんまり表情が変わらないけど……その分、言葉や行動で自分の気持ちを伝えてくれているでしょ? そういう時ね、ああ、アレスはとっても愛情深くて優しい子だなあって、私は思うんだ」

「……レナータも、そうだと思うけど」

「私は、人間に優しくできるように、できるだけ人間に近づけて創られたから、それらしく振る舞えるだけだよ。アレスと話していると、やっぱり本物の人間には敵わないなあって、思うもの」


 アレスの頭を撫でていたレナータの手が頬へと移動し、その華奢な指先が触れてきた。


「だから、アレスと向き合おうとしてくれる人には、ちゃんとアレスの気持ちが伝わっているはずだよ。それでね、アレスのこと、素敵な男の子だって、きっと思っちゃうよ」

「えー……」


 さすがにそれはないと思ったら、自然と冷めた声が出てきた。すると、レナータはぷくっと頬を膨らませた。


「本当だよ! 少なくとも私は、そう思っているもの。アレスがもっと大きかったら、私をアレスのお嫁さんにしてって、お願いしていたかも」

「え」


 レナータの言葉を耳にした刹那、頭の中が真っ白になる。


(レナータが……俺のお嫁さん?)


 レナータの突拍子もない発言に、心の底から驚いた。だって相手は、お姫様みたいだと自然と思えてしまうほど、とびきり可愛い女の子だ。動揺するなという方が、無理だ。


 しかし同時に、別に本気で言っているわけではないだろうとも、分かってしまう。レナータはアレスのことを可愛がってくれるが、それだけだ。レナータのアレスに向けた愛情は、どこか母からもらっているものに似ている。


 そこまで思考が至ると、アレスこそ頬を膨らませたくなってきた。


(……レナータの馬鹿)


 いつだって、レナータはアレスのことを子供だからと甘く見ている。時には、アレスを人間の子供ではなく、犬か猫か何かと勘違いしているのではないかと、疑ってしまうこともある。

 だからこそ、こんなにも可愛がってもらえているのだと理解していたから、甘んじて受け入れていたが、今はそんなレナータの態度が、かなり腹立たしい。


 頬を膨らませるのをやめ、慈しみに満ちたマリンブルーの眼差しを注いでくるレナータを、じっと睨みつけるように見つめ返す。

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