二章 黄昏の思い出
二十年後の二人
(最悪だ)
現状を表現するのに、これほど適した言葉はないだろう。
アレスは現在、第五エリアの空港にいる。飛行船の発着時刻を確認するため、何度も電光掲示板を仰ぎ見るものの、未だにどの便も出発しそうにない。
(なんで、今日に限って事故なんか起きるんだよ……)
アレスは昨日、レナータへの誕生日プレゼントを買い求めるため、仕事帰りにそのまま飛行船に乗り、わざわざ遠い街までやって来た。そして、昨夜は安いビジネスホテルで一泊し、今日帰る予定だったのだ。
本当は、近場で買いたかったのだが、アレスが見て納得できるほど良質のものは見つからず、店の人間に聞いたところ、世界最大の観光都市として有名な第五エリアでなら、手に入るかもしれないと、アドバイスを受けた。
普段ならば、そこまでしないのだが、今年のレナータの誕生日に用意しようと考えていたプレゼントは、アレスにとって特別なものだ。だから妥協せず、店員に紹介された店をいくつも見て回り、ようやくこれぞと思えるものを購入できたのだ。
それなのに、いざレナータが待つ家に帰ろうと思った矢先に、この仕打ちだ。つい数時間前までアレスの胸を満たしていた充足感を、返せと言いたい。
思わず舌打ちを零し、周囲に視線を走らせると、アレスと同じように苛立っている利用客の姿が視界に映る。
「――おい! 一体いつになったら、飛行船は動くんだ!」
「申し訳ございません。只今、空港のシステムがダウンしており、飛行船を出せる状況ではないのです。只今、復旧作業に当たっておりますので、今しばらくお待ちください」
もう幾度目になるのか分からない、利用客と受付のスタッフのやり取りが耳に届く。
空港のシステムエラーが原因で、しばらく飛行船を利用できないとアナウンスが流れてきた時、それくらいの事故ならば、すぐに飛行船が 出るだろうと、最初は悠長に構えていた。周りの利用客も、それほど待たされないだろうと思っていたみたいで、多少苛立っている人がいても、比較的落ち着いた空気が流れていた。
だが、アレスたちの予想とは裏腹に、何時間も待っていても、飛行船は動きそうにない。
溜息を吐きながらパーカーのポケットに手を突っ込み、携帯端末を取り出す。指紋認証でホーム画面を呼び出し、液晶画面に指を滑らせ、メッセージアプリを表示する。
『悪い。今、空港で足止め食らっていて、予定より帰るの遅くなる』
『了解。焦らなくて大丈夫だから、気をつけて帰ってきてね。あ、でも飛行船に乗ったら、連絡ちょうだい』
『了解』
アレスもレナータも、長々と文章を送るタイプではない。必要最低限の言葉しか交わしていないが、レナータが送ってきたメッセージを読むと、自然とあの能天気な笑顔が目に浮かぶようだ。
(せっかくの自分の誕生日だっていうのに、あいつ、多分俺の心配しかしてねえな……)
わざわざ休みを合わせ、今日は二人で一緒に過ごす予定だったにも関わらず、レナータのメッセージには恨み言の一つも書かれていない。画面を下へとスクロールさせれば、それから二時間後のやり取りが現れた。
『まだ動かねえ。ふざけんな』
『そんなこと言ったって、仕方ないでしょ。空港なら、カフェとか入っているんじゃない? そこで、お茶でもしてきたら?』
レナータの返事は、あくまでも冷静だ。かつて気が遠くなるほどの長い時を生きた人工知能だったからなのか、レナータは時間に関して非常に寛容だ。
そこから、さらに指を滑らせると、一時間後のアレスのレナータへのメッセージが、画面に表示された。
『今、電話してもいいか?』
『うん、いいよ。その代わり、ちゃんと人の迷惑にならない場所でかけてね』
レナータのメッセージを目にした直後、一時間前の通話の内容を思い返した。
***
事前に、メッセージアプリで電話をかけると伝えておいたからか、三コールで通話が繋がった。
「――もしもし」
『もしもし。アレス、どうしたの? 飛行船に乗ったの?』
レナータの、透明感のある柔らかい声を耳にした途端、先程まで胸の奥底で燻っていた苛立ちが、少しだけ和らいでいくのが分かる。
アレスが飛行船に乗船したら、連絡するように頼んでいたから、その件で電話をかけてきたのだと、レナータは思ったらしい。ただ、レナータの声が聞きたくて電話をかけたのだと口にしたら、どんな顔をするのだろうと思いつつも、返事をする。
「いや、まだ動かねえんだ。あと一時間待って、それでも船が出ないようなら、汽車を乗り継ぎして帰るから」
『汽車を乗り継ぎって……結構、時間がかかるんじゃない? アレス昨日、仕事帰りにそっちに直行したでしょ。疲れているんじゃない? あと一泊くらいしても、大丈夫だよ』
「ばーか。プレゼント、今日渡せなかったから、意味ねえだろうが。普段、苦労ばっかりかけているんだから、誕生日くらいちゃんと祝わせ ろ」
『……その誕生日プレゼントを買いに遠出して、未だに帰ってこられずにいるのは、どこの誰でしょう?』
アレスをからかうような笑みを含んだ声が、鼓膜を震わせ、つい舌打ちをする。
ここのところ、レナータへの誕生日プレゼントに相応しいと思える品がなかなか見つからず、アレスがあちこち出かけていることに、気づいていながら何も口を挟まずにいてくれたことくらい、長年一緒に暮らしていたのだから、分かっている。ようやく納得がいくプレゼントを手に入れられたかと思えば、思わぬ足止めを受け、まだレナータの顔を見ることすらできていないなんて、つくづく格好がつかない。
(いや、今さらレナータ相手に格好つけようと思っていたわけじゃねえけど……)
居心地の悪さを誤魔化すように、やや早口で話を逸らす。
「……それに、そこまで持ち合わせがねえよ。今日泊まったら、それこそ帰れなくなる」
運賃を持ってきてもらうために、レナータにここまで迎えにきてもらうなんて、それこそ格好悪い。
『……私へのプレゼントを買うのに、そんなにお金を使ってくれたの?』
携帯端末越しに、驚きに滲んだ声が聞こえてくる。まさか、金の使い方に関して抗議するつもりだろうか。
別に、アレスが稼いだ金で買ったのだから、レナータにどうこう言われる筋合いはないと言い返そうとした寸前、今度は喜びに弾んだ声が鼓膜を揺さぶった。
『アレス、ありがとう! 今年の誕生日プレゼントは、いつもの年より豪華になりそうだね! 楽しみだなあ』
口から飛び出しそうになっていた言葉を、咄嗟に呑み込む。
(なんで、お前は――)
――いつも、アレスが求める以上のものを、当たり前のように与えてくれるのだろう。
「……今年で、お前も成人したからな。成人祝いも兼ねている」
レナータは、今日で十八歳になった。現代では、世界中のどこでも十八歳が成人年齢だ。
『私のこと、大人の女扱いしてくれるの?』
またからかうような声が、耳朶を打つ。からかわれっぱなしも癪だったから、にやりと唇を笑みの形に歪めて答える。
「ああ、そうだ。帰ったら、たっぷり可愛がってやるから、覚悟しておけ」
アレスがそう宣言した瞬間、微かに息を呑む音が聞こえてきた。そして、しばらく沈黙が続く。
レナータが動揺し、頬を赤らめて恥ずかしがっている様が目に浮かぶようで、これでおあいこだと、内心ほくそ笑む。
「まあ、そういうわけだから、お前は余計な心配してないで、大人しく家で待っていろ。時間かかるっつっても、一時間後の汽車に乗れば、夜にはそっちに着くと思う」
『そう……だね。じゃあ、予約しておいたケーキは、私が取りにいっておくよ。お夕飯は、どうする? アレスが作ってくれるって言っていたけど、どこかで買っておこうか?』
「ああ。そうしてくれると、助かる。今日は奮発して、値段を気にしないで、お前が食いたいもんを買っていいぞ」
『やったあ! 誕生日様様だね!』
「そういやお前、昼飯はどうした?」
今は、ちょうど昼時だ。本当は、昼は二人でどこかに食べにいく予定だったのだが、レナータはどうしているのか。
『電話が終わったら、その辺で食べてくるつもりー』
レナータのあっけらかんとした声音は、アレスの帰宅が予定よりも遅くなっていることを、本当に気にしていなさそうだ。レナータは、素直で物分かりがいいから、相応の理由がある場合は、一切文句を言わないと、重々承知している。しかし、ここまで気にされていないと、若干複雑な心地になる。
(俺ばっかり、気合いが入っているみてえじゃねえか……)
実際、その通りなのだろう。レナータが成人年齢を迎えることは、本人だけではなく、アレスにとっても特別な意味合いを帯びているのだと、向こうは知らないはずだ。
「……そうか。なら、気をつけて行ってこいよ」
『うん。アレスこそ、本当に気をつけて帰ってきてね』
「ああ、それじゃあ」
『うん、またね。アレスが帰ってくるの、楽しみに待っているよ』
レナータがそう告げた直後、通話が切れた。
***
――そして、現在に至る。
レナータと通話してから、そろそろ一時間が経とうとしている。それでも、空港のロビーは未だに膠着状態が続いているため、汽車に乗るために移動を開始した。
空港の切符売り場で乗船券を払い戻し、目的の駅に向かうバスの切符を購入する。アレスと同じことを考え、行動を起こしている人はそれなりにいて、バス乗り場は混雑していた。
それでも、アレスはたった今到着したばかりのバスへの乗車に運よく成功しただけではなく、席にも座れた。ちょうど、窓側の席に腰を下ろすことができたため、車窓の外を眺めつつバスが発車するのを待つ。
そこで、ふと一応レナータに連絡を入れておくかと思いつき、携帯端末を弄る。すると、すぐに返事が来て、届いた簡潔なメッセージに目を通すと、パーカーのポケットに仕舞い込み、もう一度窓の外に視線を投げる。
ここにレナータがいれば、バスや汽車を乗り継いでの、時間がかかる移動も、楽しめたに違いない。レナータとならば、どんなに些細な会話でも楽しく、時間があっという間に過ぎてしまう。
(昔から、そうだったな……)
動き出したバスの揺れに身を任せながら、アレスがまだ幼く、レナータがまだ人工知能だった頃の記憶を、ぼんやりと振り返った。
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