この世界に、産まれてきてくれて
「それに、今はレナータと遊べるから。だから、俺はそれでいい」
続けられたアレスの言葉に、咄嗟に息を呑む。
(そうだ……私がZプロジェクトを阻止していたら、アレスは今ここにいなかったんだ……)
Zプロジェクトが発動したからこそ、アレスはこの世界に産まれてきてくれたのだ。そして、こうしてレナータのところに足繁く通ってくれている。
だから、レナータが気に病む必要はない。
アレスにそんな意図はなかったに決まっているが、そう言ってもらえた気がして、救われたような気持ちになる。
「……うん、そうだね。これからも、いっぱい一緒に遊ぼうね」
レナータはあと、短くて一年、長くて二年ほどしか稼働できない。だから、こんな約束をするのは、もしかすると、ひどく残酷なことなのかもしれない。
だが、それでもレナータが稼働し続けている限りは、アレスの望み通り、一緒にいたかった。いや、たとえアレスが望まなくても、レナータが一緒にいたい。
「ねえ、アレス」
すぐ目の前にある琥珀の瞳を、微笑みを浮かべて見つめ返す。
「――この世界に産まれてきてくれて、ありがとう」
アレスの存在を否定する人間が、これから先、現れるかもしれない。今は恐れられているだけで済んでいるみたいだが、迫害されることだってあるかもしれない。
しかし、どうか忘れないで欲しい。アレスが産まれてきたことにより、救われたものも存在したのだと。会えてよかったと、感謝したものも存在したのだと。そして、そのことを忘れずに生を全うして欲しい。できれば、幸せにもなって欲しい。
(ああ……あの時のお父さんの気持ちが、やっと分かった気がする……)
これは、ひどく自分勝手な願いなのかもしれない。でも、そう願わずにはいられなかった。目の前にある、この小さな命が愛しくてたまらない。
そして、この願いは本来、目の前にいる男の子だけではなく、レナータが全人類に捧げたかったものなのだと、気づかされた。
(私はただ、この世界に生きとし生けるものを愛したかった)
初めは、亡き父に望まれたから、人類を見守り続けていた。それが、いつの間にか、レナータはこの世界に存在する全ての命を愛していたのだ。
でも、歴史が流れていくにつれ、人類はレナータの愛を踏み躙るようになっていった。だから、レナータも道具として在ることに徹した。その方が、人類を見守っていく上で、楽だったからだ。そうしていくうちに、いつしかこの想いを忘れていってしまった。
だが今、アレスがレナータの風化していた気持ちを思い出させてくれた。昔みたいに、全ての人間を愛することは難しそうだが、せめてアレスにだけは惜しみない愛情を注ぎたい。
レナータが感謝の言葉を告げた刹那、アレスは驚いたように目を丸くした。しばし、茫然とレナータの顔を眺めていたアレスだったが、やがて口を開いた。
「……俺も」
突然、レナータの視界が何かに遮られたかと思えば、軽い衝撃が身体に走る。
「この世界に産まれてきてくれて、ありがとうって、思っているよ。レナータ」
アレスがレナータの首に腕を回し、抱きついてきたのだと理解した直後に聞こえてきた言葉に、息が止まるかと思った。
三千年近く稼働し続けてきたが、こんな言葉をかけてくれたのは、創造主である父を除けば、アレスが初めてだ。
父が亡くなった日とは全く違う心境なのに、喉に熱いものが込み上げ、目に力を込めていなければ、涙が溢れてきてしまいそうだった。泣きそうになるなんて、それこそ父を失った日以来だ。レナータはあの日から、涙を流すことも忘れてしまっていたのだと、思い知らされた。
「本当に……ありがとう、アレス」
再び感謝の気持ちを告げた声は、みっともないくらい震えていた。込み上げてくる熱いものを堪えるため、ぎゅっとアレスを抱きしめ返し、きつく目を閉じる。
――人間の業によってこの世界に産まれてきた、優しいこの子が、どうか愛によって生かされますように。
アレスの未来にレナータが存在することは、どうあっても叶わないから、ただ願うことしかできない。
微かに痛む胸に気づかないふりをして、まだ見ぬ未来に心の底からの願いを託した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます