グラディウス族
「……この王子、女の子の扱いがなってないと思う。俺だったら絶対、女の子の髪を掴んで塔の上に登ったりしない」
先刻は随分とメルヘンチックな発言をしていたのに、今度の感想はなかなかに現実的な上、やはりレディファースト精神を感じさせる。
「うんうん、アレスは本当に女の子に優しいね」
本当に、アレスの将来が楽しみだ。
微笑ましい気持ちでアレスのつむじを眺めていたら、唐突に琥珀の瞳がレナータを捉えてきた。そうかと思えば、アレスの小さな手がレナータの白銀の髪を一房掴む。
「……アレス?」
急にどうしたのだろうと思い、その動向を見守っていると、アレスはレナータの髪の感触を確かめるように触りつつ、ぽつりと言葉を零した。
「……こんなに綺麗な髪なのに、あんな風に引っ張ったりしたら、可哀想だ」
別に、レナータとラプンツェルは同一人物ではないのだから、そんなに感情移入しなくてもいいと思うのだが、長い髪が絵本の中のお姫様を連想させるのだろうか。
何やら考え込み始めたらしいアレスを安心させたくて、レナータは濡れ羽色の髪に覆われた小さな頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ、アレス。私の髪を引っ張ったりする人なんて、ここにはいないから」
すると、レナータに頭を撫でられていたアレスが、勢いよく顔を上げたものだから、驚いて咄嗟に手を放す。
「……レナータとラプンツェル、何だか似ているから、心配なんだ」
「えええ? そんなに、似ているかなあ……?」
髪が長くてドレスを着ているお姫様なんて、お伽噺の世界では掃いて捨てるほどいる。レナータとしては、そんなに類似点はないはずだと思っているのだが、アレスの目にはそうは見えないのだろうか。
「レナータも、塔の上で暮らしているんだろ? ラプンツェルみたいに、変な男を部屋に入れたら、駄目だからな」
「ああ、そういうこと……」
確かに、大聖堂の南側に位置している塔の上で、レナータは生活している。そして、そのことを以前アレスに教えたことがある。
だから、アレスはレナータのことをラプンツェルみたいだと思い、こうして心配してくれているのだろう。
そう思ったら、つい笑みが零れてしまった。
「アレス。私が住んでいる塔にはね、ちゃんと階段があるから、私の髪を掴んで上る必要なんてないし、私以外の人は基本的に出入り禁止だ から、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ね?」
塔の上にあるレナータの部屋に入る人など、部屋の主と清掃員くらいだ。科学者が訪れることもあるが、最近では滅多にない。
幼いなりに、一生懸命レナータの身を案じるアレスがいじらしくて、再度その頭を撫でる。
「……分かった」
「でも、心配してくれて、ありがとう。あとね、アレスなら私の部屋に招待しても大丈夫かなあ?」
レナータがそう問いかければ、何やら複雑そうな面持ちをしていたアレスが、ぱっと目を輝かせた。
「うん! 行く、行きたい!」
「じゃあ、今度私の部屋に招待するね」
「うん!」
珍しく声を弾ませたアレスに、くすりと笑みを漏らす。
(それにしても、アレス、王子様を変な男扱いするなんて、すごいなあ……)
レナータの視点では、確かに不審者以外の何者でもないのだが、このくらいの年頃の子供ならば、絵本に王子様と表記されていれば、そんなものかと受け入れるものではないのか。アレスは子供らしい視点も持ち合わせているが、案外、現実的な見方をするところもあるのだなと、再確認させられた。
レナータがアレスの頭を撫でていた手を放すのとほぼ同時に、小さな手がもう一度絵本を閉じた。
「私とラプンツェルが似ているって思ったから、今日この絵本を持ってきてくれたの?」
「うん。レナータに、ちゃんとちゅーこくしておこうと思って」
幼児に心配された挙句に忠告されてしまう人工知能とは、どうなのかと思いながらも、とりあえず神妙な面持ちで頷いておく。
「はい、肝に銘じておきます」
「よろしい」
ほぼ確実に、肝に銘じるとはどういうことなのか、アレスは分かっていないだろうが、レナータの様子から自分の忠告を聞き入れてもらえたことは、理解できたに違いない。アレスもレナータと同じように、神妙な面持ちで頷き返してきた。
そんなやり取りをしていたら、また笑みが零れてきてしまった。
「アレス、今からその調子じゃあ、女の子にモテモテでしょ」
「俺、レナータ以外の女の子と話したことない」
「アレスは、男の子と遊ぶ方が好き?」
このくらいの年齢の男児だと、同性の友達と一緒に遊ぶ方が楽しくて、当たり前なのかもしれない。
そう思いつつも問うと、アレスは緩く首を横に振った。
「――俺、友達いないから。グラディウス族だから、歳が近い奴はみんな怖がって、近づくと逃げられちゃうんだ」
その時、何の前触れもなく、一陣の風が中庭を通り抜けていった。風に煽られた草花がさわさわと揺れる音が、耳朶を打つ。
――グラディウス族。
エリーゼの研究室で聞いた単語を、まさかここでも聞かされるとは思ってもみなかった。
(そっか……アレスは、自分がグラディウス族だって自覚があるんだ……)
グラディウス族とは、人類強化プロジェクト・Z――通称、Zプロジェクトの産物だ。
Zプロジェクトとは、人類がより頑強な肉体を有することで、より豊かな人生を送れるようにするという名目の元、楽園で行われたプロジェクトだ。だが、その実態は、戦争への抑止力としての兵士育成計画だ。
レナータの警告を無視して実行されたプロジェクトなのだが、開始当初は順調に進んでいた。健康体で、元々身体能力が高い、選ばれた人間に投薬を行い、肉体の強化を図った。その結果、科学者たちが思い描いた通りの理想の戦士が、次々と生み出されていった。
だからこそ、科学者たちはさらなる欲を出してしまったのだろう。もっと、もっとと望み、幾度も投薬実験を行った。さらには、被験体の遺伝子と相性が良好だと判定が出た優秀な科学者との間に、子供も設けさせた。そして、このプロジェクトの被験体は、いつしかグラディウス族と名付けられるようになったのだ。
しかし、第一世代のグラディウス族は、度重なる投薬実験により、全滅してしまった。そのため、このプロジェクトは凍結された。
ただし、人間の母胎を通し、第一世代の強化された細胞を先天的に授かった、アレスを含めた第二世代は、少数ではあるものの生存しており、成功例と呼べる遺伝子情報を持っている。実際に、個人差はあれども皆、高い知能や身体能力を有している。
そんな彼らは、楽園政府が派遣した教官によるエリート教育を受けているため、 Zプロジェクトが凍結したというのは、表向きの話だ。アレスも六歳の秋になったら、高度な教育を受ける予定だ。
そして、グラディウス族の子供たちは、近い将来、軍の特殊部隊にでも配属されるに違いない。
だから、現在も生存しているグラディウス族の子供たちは、科学者たちにとって、偉大なる研究の成果なのだろうが、一般市民からすれば、自分たちとは大きく異なる遺伝子情報を持つ、得体の知れない存在なのだろう。
その上、グラディウス族と一般人の間には、通常、子供は一人しか産まれないという研究結果が出たにも関わらず、アレスはミナーヴァの第二子としてこの世に生を授かったのだから、より特異な存在として扱われているだろうことは、容易く想像がつく。
(……今回も私、結局何もできなかったな……)
戦争の時同様、Zプロジェクトが表向き凍結されるまで、レナータは地下牢で拘束されていた。しかも、今回は手足の自由まで奪われてしまい、冷たい床の上にただ転がっていることしかできなかった。
レナータは自身のボディを破壊されそうになった時は、人間への攻撃を許可されている。でも、身体の自由を奪われた程度では、破壊とまでは見なされないため、抗う術がない。レナータに組み込まれているプログラムの仕組みを利用した、実に嫌なやり方を思い出し、思わず眉間に皺を刻む。
「でも俺、一人で遊ぶの嫌いじゃないから、気にしてない。リックも、たまには遊んでくれるし」
アレスが奇異の目を向けられているのだと知り、何もできなかった自分に憤りを覚えていたら、幼いながらに美しい声が、気負った様子もなく言葉を紡ぐ。
リックとは、おそらくアレスの兄であるリヒャルト=ヴォルフの愛称なのだろう。
はっと我に返ると、いつの間にかアレスに顔を覗き込まれていた。
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