歴史

 でも、歴史は繰り返された。

 科学技術がある一定の水準に達したところで、限られた領土と資源の奪い合い、さらには人口抑制のための戦争が、二度も起きたのだ。


 レナータが幾度警告を発したところで、無駄だった。人類は、戦争を行うことによって生じるデメリットよりも、メリットを優先し、レナータの言葉に耳を貸そうとはしてくれなかった。それどころか、レナータが人間の命令には逆らえないという仕組みを逆手に取り、戦時中は発言の自由を奪われ、監禁されていた。


 人間に不都合な情報だけを提示していれば、戦争を抑制できたのかもしれない。だが、レナータは人工知能で、何事も正確さを求められるため、情報を提示する際には、公正にメリットとデメリット、両方を教えなければならない義務がある。だから、今思えば、レナータが人工知能である以上、人間の戦争を止めることは非常に困難を極めて当然だ。


 そして、戦争によってどうしようもない状況に追い込まれると、人間は都合よくレナータに助力を求めたのだ。

 人口抑制の影響で、働き手が確保できない。環境破壊と環境汚染の影響で、人間が住める土地が減ってしまった。食糧の確保も難しい。


 ――どうすればいい? レナータ。


 戦争終結間際、あるいは戦後、どれだけこの問いを投げかけられたことか。戦争によるデメリットを提示し、戦争がいかに愚かな行いか、必死に説明するレナータを嘲笑した人間が手のひらを返し、何度縋りついてきたことか。


 しかし、レナータは「人類の守り神」だ。内心どう思おうとも、助けを求める手を振り払うことはできない。人類が自分たちの行いで、滅びに向かったとしても、人間という種が完全に絶えるまでは、レナータは人々のために尽くさなければならない。


(……それももう、終わりだけど)


 黙りこくってしまったレナータの目の前に、もう一度マグカップが差し出された。驚いて目を瞬くレナータに、いつの間にか立ち上がり、カップを手にしたエリーゼが、ふわりと微笑みかけてきた。


「紅茶のお代わり、いる?」

「……もらいます」


 本当に、いつからエリーゼは紅茶のお代わりを淹れてくれていたのだろう。レナータのすぐ目の前で作業をしていたはずなのに、全く気づかなかった。


 自分の不甲斐なさを恥ずかしく思う気持ちを誤魔化すように、受け取ったマグカップの縁に即座に唇を寄せ、口の中に温かな紅茶を流し込む。


「私たち人類って、本当に馬鹿よねえ。戦争のせいで、結局たくさんのものを失ってしまったんだもの。 健康に然り、住む土地に然り。昔は、今よりは人が住める土地があったんでしょ?」

「うん。今は、ここ楽園と、第一から第五エリアしかないけど、戦争が起きる前はもう少しあったよ」


 単純に戦争による環境破壊や環境汚染で住める土地が減っただけではなく、戦争によっていくつかのエリアが合併したため、現在、人類が居住できるエリアは六つしかない。おかげで、近年はスラム街みたいなものまで勝手にできている始末だ。


「特に、楽園の住人は救いようがないわよね。人類は皆平等とか謳っておきながら、自分たちが富と知識、それに技術を独占しているんだもの。貴女が疑問を持つのも、無理はないわ」


 確かに、パンデミックが起きてから百年くらいは、格差のない世界が実現していた。でも、それ以降は、徐々に格差社会へと変貌していった。


 居住権なんてものも作られ、才能とそれぞれのエリアの特色が適合したと判断された場合、生まれ育ったエリア以外にも移住できる制度が成立した。だが、裏を返せば、才能がなければ、生まれ育ったエリアの外で暮らすことは、個人の意思では叶わなくなってしまったのだ。


「……エリーゼも、楽園の住人だと思うけど」

「そうよ。しかも、あのアードラー一族の人間。もう、腐りきっているって感じ?」


 エリーゼの言う通り、楽園には多方面でのエリートが集まっており、楽園の居住権を持つ者は「選ばれし者」と認定されるほどだ。そして、 実質上、楽園が他のエリアを支配している。

 その中でも、カミルの子孫たちである、アードラー一族は代々、有能な科学者を輩出しており、楽園における最高権力者の一族でもある。


「……エリーゼこそ、人間……というよりも、自分の家が嫌いなんだね」

「ええ。あんな家、大っ嫌い。いっそ、お家騒動でも起きて、一族郎党根絶やしになってしまえばいいのに」


 笑い飛ばしつつ告げられた、あまりにも物騒な発言に、微かに眉間に皺を寄せたレナータに構わず、エリーゼは言葉を続ける。


「それにしても、レナータ。貴女、Zプロジェクトの時も、相当お怒りだったって聞いているけど、本当によく人間を嫌わずにいられるわね。私が貴女だったら、楽園の住人を殲滅していたかもしれないわ」

「……私は一応ロボットだから、人間に攻撃なんてできないし、する気もないよ」


 どうせ楽園の住人がいなくなったところで、また別の人間たちが最高権力者になろうと、血で血を洗う争いが起きるだけだ。だから、そんなことをするだけ、労力の無駄だ。


「そんなことより、エリーゼ。言葉には気をつけて。誰かが聞いたら、たちまち噂になっちゃうよ。そうしたら、貴女だって困るでしょ?」


 しかし、レナータの言葉にエリーゼが気にした様子もなく、軽く肩を竦めただけだ。


「別に、構わないわ。私が自分の家を嫌っていることなんて、周知の事実だし。さっきの楽園殲滅の件だって、もし私が貴女の立場だったらっていう、あくまで仮定の話よ。本気にする人なんて、いるはずないわ」


 そこまで口にしたところで、ふとエリーゼから笑顔が消えた。


「……でも、現状を放置していたら、本当にそうなる可能性だってあるのよね。もし、グラディウス族が、その気になったら――」


 その時、エリーゼの声を遮るかのごとく、研究室の扉をノックする音が聞こえてきた。エリーゼは、デスクの上にあるモニターで来訪者が誰なのか確認するなり、扉のロックを解除した。


「――エリーゼ、レナータの言う通りだよ。君の声は、よく通るからね。どこで誰が聞き耳を立てているか、分かったものじゃない」


 扉が開かれると、温和な顔立ちをした男性の科学者が、困ったとでも言わんばかりに眉をひそめ、研究室内に足を踏み入れていく。すると、エリーゼは幼子みたいに頬を膨らませた。


「なによ、オリヴァー。自分の研究室で何を話していようが、私の自由でしょう?」

「確かに、その通りなんだけど……君の声は、本当によく通るんだよ。あんな家、大っ嫌いって、廊下まで筒抜けだったよ?」


 オリヴァーと呼ばれた男性は、エリーゼのすぐ傍まで歩み寄ると、ダークブロンドに覆われた頭を軽く撫でた。


「人に聞かれて困るような話は、もう少し小さな声でするように。いいね?」

「……人に聞かれて困るような話なんて、したつもりはないもの」

「いくらカミル=アードラーの再来と言われている君でも、あまりにも家の悪口を言いふらしていると、一族から勘当されてしまうかもしれ ないよ?」

「あ! それ、いいわね!」

「いやいや、全然よくないからね?」

「オリヴァーだって、あんな家のお婿さんになって、嫌じゃない? 色々しがらみがあって、大変でしょう?」

「うーん……僕は、そう思ったことないなあ。お義父さんともお義母さんとも、仲良くさせてもらっているし」

「どうして、実の娘の私よりも、お婿さんの貴方の方が両親と仲がいいのよ!」

「君のその、反抗的な態度をやめたら、エリーゼだってお義父さんたちと仲良くやれるさ。お義父さんたちは、君のことを心配しているだけなんだから」

「……私のことを心配しているんじゃないわ。あの人たちが気にしているのは、世間体よ」

「エリーゼの反抗期は、本当にいつになったら終わるんだろうねえ……」


 眼前で繰り広げられている、テンポのいい夫婦の会話に、思わず笑いを噛み殺していたら、オリヴァーのヘーゼルの瞳がレナータを捉えた。


「ああ、レナータ。ごめんね、お恥ずかしいところをお見せしちゃって」

「ううん。気にしないで、オリヴァー。貴方たちの会話に、とっても楽しませてもらったから」

「えええ……それはそれで、余計に恥ずかしいなあ……」


 言葉通り、オリヴァーは気恥ずかしそうに、あちこち毛先が跳ねているストロベリーブロンドに覆われた自分の頭を、空いている方の手で掻いている。

 レナータは微笑みを浮かべたまま椅子から腰を上げ、エリーゼのデスクの上にカップを置く。


「エリーゼ。紅茶、ご馳走様。すごくおいしかったよ。それじゃあ、私はこれで失礼させてもらうね」


 夫婦の話をするのか、同じ科学者として仕事の話をするのかは知らないが、レナータがここにいたら邪魔になるかもしれない。


 だから、急いでお暇しようとしたのだが、オリヴァーはエリーゼの頭からも自分の頭からも手を放し、慌てたように口を開いた。

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