第17話
「…………ギルバートさんと、婚約ですか?」
いつも通りの仏頂面なギルバートと、にっこにこと笑うジェフリーからとんでもない提案をされ、アンは目を丸くした。
(せっかくコロネが完成したのに。)
今はこんなこと考えるべきではないと分かっているのに、つい口を尖らせたくなり、慌てて堪える。
アンの前世の記憶は、やはりパンのレシピしか思い出せない。最近思い出した、コロネがとても美味しそうで、再現に取り組んでいた。配合に苦戦したり、金型を新しく作って貰ったり、手間は掛かっているが漸くお客さんに出せるレベルになり、アンは達成感でいっぱいになった。
中のクリームは、当初カスタードクリームだけだったが、甘いものを好まないギルバートの顔がチラつき、ビターなチョコレートクリームも追加した。ギルバートに試作品を食べて貰おうと思って、今日はご機嫌で監察庁に来たと言うのに。
監察庁に到着すると、いつものギルバート達がいる部屋ではなく、応接室に通された。そこで、アンの安全を守る為に第一王子の婚約者になる、という話が挙がっていると聞き、流石のアンも顔を青くした。…………ギルバートが頑張って阻止してくれたようだが。
「アンがパン屋を続けられなくなるのは、何としても阻止したいと思っている。」
ギルバートの表情からは、緊張が伝わり、それはアンにも伝染した。
「聖女という立場があるから、第一王子との婚約自体は許されると思うよ。だけど、そうなれば王子妃教育や社交で一時も休む暇は無くなるんだ。パン屋には行けなくなると思う。」
「そんな…………。」
「だけど先輩の家なら、侯爵家とは言え、かなり緩い方だよ。先輩も社交場には全く行かないし。」
ジェフリーは、変わらず笑顔で付け加えた。
「だけど、ギルバートさんに迷惑が…………。」
「迷惑なんて思っていない。俺との婚約になれば、社交も、マナー教育も最低限でいい。毎日パン屋で働けるようにする。」
ギルバートはキッパリとそう言った。アンの目には、ギルバートは婚約を嫌がっているようには見えなかった。
「でも、ギルバートさんのご家族が嫌がるんじゃ…………。」
「いや、俺の家族は、俺の縁談が全く纏まらず業を煮やしている。正直誰でも良いから結婚して欲しいと言っている。」
アンはギルバートをチラリと見て、こんなに信頼出来る人なのに、他の女性は見る目が無いなぁと、不思議に思った。そして、見知らぬ女性がギルバートの隣に立っているのを想像し、何故だか気持ちが重くなった。
「アンちゃんは、平民だと気にしているかもしれないけど、聖女という立場があるから心配しないで大丈夫だよ。それに、第一王子との話が無かったとしても先輩と婚約しておいた方がいいと思う。」
「どうしてですか?」
「貴族の中で、アンちゃんと繋がりを持とうと裏で動いている人間が沢山いるんだ。変な所からパン屋に圧力掛けられて、悪意を持った奴と婚約するより先輩が良いんじゃない?」
アンはゾッとした。両親に恐ろしい要求をする人間がいるかもしれないのだ。そんな人間に嫁ぐより、公正で信頼できるギルバートの方が、よっぽど…………。
「アン…………?やはり俺との婚約は嫌だろうか?」
いつも堂々としているギルバートが、初めて見せる悲しげな瞳に、アンの鼓動は高鳴った。この人に悲しい思いをさせたくない、という思いが湧いていく。
「…………私のパン、食べてくれるなら。」
「いくらでも作ってくれ。」
頓珍漢なことを言ってしまったと焦るアンに対して、ギルバートは優しい笑顔を浮かべた。それを見て胸がいっぱいになった理由は分からないまま、アンとギルバートの婚約は決まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます