第8話



「全く、出張販売をお願いするなんて。」


 あの王宮でギルバートに会ってから一ヶ月も経つというのに、トーマスは未だにアンへ呆れた眼差しを向ける。


「だって、とっても良いアイディアだと思ったのよ。それに皆さん喜んでくれているわ。」


 週三回という、決して少なくない頻度で監察庁へ来るように言われたあの日。アンは、監察庁での出張販売のついでであれば、監察官面接を受けても良い、と条件をつけた。正直アンの家の貯蓄は、母親スーザンの治療費が膨大だったために、すっからかんだった。今までは、トーマスとアンしか働けないので仕事の幅を広げることなんてとても出来なかった。だが、これからは護衛兼パン屋のアシスタントをしてくれる人が派遣されるという。これは、チャンスだと商売魂が叫び、監察官へ自信満々に提案したのだ。・・・そのせいで、トーマスは気を失ってしまったのだが。


 アンの提案にジェフリーすらギョッとしていた。落ち着いているのはギルバートだけだった。これまで監察庁の中で出張販売が行われたことはないが、禁止しているという決まりは無いので申請はできる、と淡々と告げた。ギルバートが申請や出張販売する仕組みを早急に整えてくれ、あっという間に監察庁での出張販売は始まった。



「大体、聖女の仕事で報酬があるんだろう。そんな無理に仕事を増やす必要はないじゃないか。」


 聖女の仕事は誰もが出来るものではない。そのため、契約書に書かれていたのは、町のパン屋が決して手にすることの無い、破格の報酬だった。


「あれは畏れ多くて使えないわよ。しばらくは銀行に眠らせておくわ。」


 あの報酬を生活費に回してしまうと、自分の金銭感覚が可笑しくなりそうで恐ろしかった。ある程度貯金したら、どこかの孤児院にでも寄付しよう、と決めていた。聖女の報酬は無かったことにして、今までと変わらずに生活することが望みだった。



(これも、分かってくれたのはギルバートさんだけだったなぁ)


 前回の監察官面接の時、報酬をどこかに寄付したい、と相談した。ジェフリーも他の補佐官たちも、信じられないという目でアンを見ていた。これまでの聖女たちは、よっぽど裕福な実家でない限り、報酬を好きなように遣っていたし、それが彼女たちの権利だった。アンは平民で、彼女たちよりずっと質素な暮らしをしているというのに寄付するのは、余程奇妙に見えたらしい。そんな中。



「このリストを使うといい。」


 ギルバートに渡されたのは、孤児院のリストだった。ギルバートによって善良な孤児院がピックアップされている、という。どうしても寄付金で私腹を肥やす悪徳な孤児院もある。ギルバートたちによって、監察対象となってはいるが、全ての孤児院をチェックしていくのは膨大な時間がかかる。


 そして、ギルバートから寄付する方法や、一ヶ所だけではなく出来るだけ多くの場所に少しずつ寄付した方が恨みを買いにくいことなど、事務的に説明された。




(どこが冷たいんだろう)


 ギルバートの悪評は、至るところで散々聞かされるが、アンからすると真面目で公正な監察官だとしか思えない。ギルバートはアンが損をしないように、いつも様々なことを教えてくれる。そして、アンの最初に伝えた望み「パン屋でありたい」というものを、ずっと律儀に守り、優先してくれている。




(優しい人。だけど不器用な人。)


 また二日後に彼に会えることを楽しみにしている自分がいた。

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