映像化と緻密な描写
近年はスティーブン・キング作品が
続々を映像化されて
嬉しい限り。
「セイラムズ・ロット」に至っては
何度目かの映像化なのだが。
これから公開になるようで
静かに深く狂喜乱舞している。
いつ鑑賞できるか
判らないので、せめて原作を。
そう思い、
本棚のスティーブン・キングのコーナーへ。
何度も読み返しているので、
本自体も随分と傷んできていた。
スティーブン・キングの、
特に文庫は時々
買い直しているものがある。
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思うに。
スティーブン・キングの作中の描写。
とにかく登場人物の描写がとても緻密。
人物の描写や趣味、持ち物だけではなく
風景や建物、
街の様子や歴史・・・
物語の世界に存在する全てを克明に
描き出す。
全てが呼吸し生きているのだと。
読者の前にさらけ出し、
そして読者を物語世界へと取り込んでいく。
時々
「コレ、ストーリー的には、どーでもよくないか?」
と思う部分や、
物の描写が細やかで緻密。
それは物語の中の「恐怖」に対する
ミスリードにもなっていたりする。
読んでいて、後々
それが染みてくるのだ。
ストーリーと全く関係のない
目の前のマッチのラベルまで懇切丁寧に書きだし、
近年、特にそれが顕著になっている。
人は日常、たくさんの物が視界に入ってくる。
日々の流れの中で、
その時々に
一瞬やたら目に留まる何かがある。
通りすがりに見かけた看板だったり、
気に留めるでもなく流れたCMだったり。
本編のストーリー、
人間でいえば生まれてから死ぬまでの「人生」
全体からみると「どうでもいい話」だが
それが幾重にも積まれ詰まったものが人間だ。
息子のジョー・ヒル氏も気になったようで。
苦言を呈していたような。
確かにジョー・ヒルの小説は
スティーブン・キングよりも
描写に関しては
あっさりとしている気はする。
当たり前なのだが
読者は物語を読むときに
主に登場人物と
「物語世界」を歩んでいくものだからだ。
情報量過多では混乱してしまう。
ジョー・ヒルが言いたいことは
よく判る。
例に出した
「マッチの描写」の作品を指して言うのなら
「それ主人公はヒトじゃない」
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「セイラムズ・ロット」は1975年出版。
いきいきとした人物描写は当時から
ただ登場人物に関しては
視界に入った
マッチの果てまで書くような、
今ほどには
冷静に読み返すと
描写に関しては「あっさり」した印象だ。
最初に読んだ時。
描写がどうのと考える余裕はなかったのだ。
あまりに怖すぎて
次ページを捲ると死ぬんじゃないか?と、
にもかかわらず。
ページを
スティーブン・キング作品の楽しみの1つに
作品同士のリンクがある。
映像化の新作「セイラムズ・ロット」にも
そんな楽しみがあることを期待してしまう。
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「セイラムズ・ロット」自体に関しては
語り尽きない程に語り倒ししたい。
スティーブン・キングの「文章」に乗せて。
ー「深淵の異形の神」の声ならざる声を
小説という形で世に送り出す技ー
その時々の「物語世界」へ
読者を送り出す魔法陣なのだろう。
魔法陣に見えない魔法陣。
嬉々として乗っていくー
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