予期せぬ展開 8 *

 コリントスの総司令官到着の声に、会話が止まる。


 主賓しゅひん天幕の大きな入り口に、皆が一斉に視線を向けた。


 その大きな入り口の幅一杯に、ぶよよょょん! と丸い、巨大な物体が入ってきた。


 ペロピダスが唖然として、あんぐりと口を開けた。


 フレイウスがぎょっとして、目を見張った。


 ギルフィは、食べていたソーセージを喉につめそうになった。


 マイアンは声を上げそうになった口を、両手でおさえた。


 波打ち震える巨大な肉の玉が、そこにあった。


 豪華な服らしい布を巻きつけた、ぶるぶるした脂肪が口をきいた。


「やあぁぁ、どうもすみません。遅れてしまいましてー」


 コリントス軍総司令官プロクテーテスは、大柄で山のように太りまくった中年男だったのだ。


 まさに脂肪の塊。巨大なる肉団子。人間肉風船。


 主賓天幕しゅひんてんまくの全員がびっくり仰天し、言葉を失う肥満度だった。


 コリントスは、地理的条件の良さを生かした商業の盛んな都市国家だが、まさに富み肥え太り過ぎた商人、といった様相である。


 暑苦しいその姿に、もともと高かった天幕内の温度が、また一気に上昇したようだった。


 呆然として見る皆の前で、巨大脂肪肉団子プロクテーテスがにこにこと言う。


「乗って来た馬が、途中で倒れてしまいましてねぇー。


 それで遅れてしまったのですよ。


 やっぱりこの暑さのせいでしょうなぁ。


 そろそろ夏も終わりだというのに、馬をも殺すこの暑さ。たまったものではありませんなぁー。


 あ、馬肉のお好きな方にはお分けしますよ。お値段、交渉に応じます。


 死んだばかりなので、まだ新鮮ですぞ。試食されますかな? うおっほっほっほっほっ」


 巨大に膨れた腹に手を置き、脂肪を震わせて大きく笑うプロクテーテス。


 思わずペロピダスは、どうやったらこの巨大脂肪肉団子が馬に乗れたのだろう、と考えていた。


 フレイウスは、これほど重量級の人物を乗せられる馬はどんな馬だろう、と考えていた。


 ソーセージを何とか飲み込んだギルフィは、あの尻で押し潰された馬の試食は遠慮しよう、と考えていた。


 マイアンは医師として、馬の直接の死因は暑さのせい、という所見しょけんには同意できないよ、と考えていた。


 いわく言いがたい、気まずい沈黙。


 皆の沈黙に笑いを止めたプロクテーテスが、きまり悪そうに弁解した。


「そのう、遅れましたのは、馬が倒れただけでなく、途中で腹が減ってしまって。


 ちょっと止まっておやつを食べてたってことも、あるにはあるんですが……」


 やっとペロピダスがわれを取り戻して、立ち上がり、両手を広げた。


「よ、よくいらしてくださった、プロクテーテス総司令。歓迎しますぞ!


 私が、テバイ軍総司令官のペロピダスです」


 プロクテーテスのおかげで、フレイウスの舌鋒ぜっぽう鋭い追及から逃れることができ、巨大脂肪肉団子のその姿に唖然としたことで、少しは酔いもさめていた。


 ペロピダスの言葉に、プロクテーテスが再び、ぶ厚い脂肪の頬を緩ませて笑む。


「おう! あなたが噂の、テバイの豪傑ごうけつペロピダスどのですか。


 どうも、どうも。お会いできて嬉しいですぞ!」


 嬉々とした声を上げると、太りまくった巨体をゆさゆさ左右に揺らして意外に早く進み、単に外交辞令で両手を広げただけだったペロピダスに突進した。


 そして、べちゃっ、むぎゅううっ! と強烈にハグした。


 中年男の汗ばんだべとべと脂肪肉の中に、体を埋没まいぼつさせられたペロピダスが、


「ぶおぉぉっ!」


 と、変な悲鳴をあげる。


 気持ち悪さと暑苦しさに、早く体を離そうとするペロピダス。


 けれどもプロクテーテスは、指輪を一杯はめた汗ばんだバナナの房のような手で、ペロピダスをしっかり抱きしめて離さず、その背中をバンバン叩いた。


「うほほっ、うほほっ。お若いっ、お若いですなぁっ。


 ふぅむ、ふむふむ、いやぁ、立派な体をしておられる。


 がっしり逞しくて、頼れそうだ。


 男はこうでなくては!」


 巨大脂肪肉の熱い抱擁ほうようからやっと解放されたとき、ペロピダスは、自分のものだか相手のものだかわからない汗に、全身ぐちょぐちょのぬるぬるになって、ゼェゼェと肩で息をしていた。


 この災難を自分ひとりだけが受けてなるものか! と思った彼は、手のひらを出して、立ち上がっていたフレイウスを示した。


「そしてこちらが、アテナイ軍総司令フレイウスどのですっ!」



――――――――――――――――――*



 ギリシャの都市国家ポリス紹介


● アテナイ……民主制国家。学問と芸術が盛ん。エーゲ海に面するピレウス港を持つ、海運国。


● テバイ……民主制国家。農耕が盛ん。『レウクトラの戦い』で、エパミノンダスの「神聖隊」「斜線陣」によって、スパルタに勝利した。


● コリントス……複数僭主制国家ふくすうせんしゅせいこっか。地理的条件の良さを生かし、商業が盛ん。


● スパルタ……二王制軍事国家。スパルタ教育で有名。国民皆兵で、鍛えられたスパルタ戦士による強力な軍隊を持っていたが、『レウクトラの戦い』で敗北。


● デルポイ……神託特殊国家。予言の神アポロンの神殿があり「大地のへそ(世界の中心)」とも呼ばれた。

 神託しんたくを受ける、という特殊な機能ゆえに、特別な高い地位にある。

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