予期せぬ展開 7 *

 テバイ本陣の主賓しゅひん天幕で、ペロピダスはいらだち、焦っていた。


 いくら飲ませてもフレイウスは、一向に酔うような気配をちらとも見せないのだ。


 (こいつの正体は、だったのか?!)


 天幕内の暑さをすら全く感じていないような、涼しげな顔をしているフレイウス。


 端然たんぜんと座った姿勢はみじんも崩れず、氷の瞳は冷たく冴え、その胸中を全くうかがわせなかった。


 (畜生っ、いっそ本当に毒でも盛ってやればよかった!)


 自分の体にそろそろ酒のほてりを感じてきているペロピダスは、心中で激しく舌打ちし、大声で言った。


「おいっ、そこの女っ、フレイウス司令にもっとお注ぎしろっ。


 杯が空なのに、遠慮しておられるぞ!」


 給仕の女が、急いでフレイウスの酒杯を満たす。


「どうも」


 平然として軽く会釈えしゃくする、フレイウス。


 ペロピダスが、ストックの少なくなってきた自分の語彙ごいから、懸命に乾杯の言葉を探す。


「えと、えと、えーと……ポリスの繁栄に」


 事もなげに、フレイウスが返す。


豊穣ほうじょうの大地に」


 二つの酒杯が干される。


 こんな調子だったので、ペロピダスは飲み比べで勝つことすら危うくなってきていた。


 会話は一方的に、フレイウスのペースで勝手な方向に進んでいた。


 飲み干して空になった酒杯を置いたフレイウスが、いちはやく言い始める。


「さきほど、レウクトラ戦線同盟規約の規約文は、エパミノンダスどのが作成された、とおっしゃいましたな」


「え、え、ああ、そうです」


「我々アテナイがいただいた規約文書は、エパミノンダスどのの自筆でしょうか?」


「えーと、多分、そうだったんじゃないかと……」


「はっきりしていただきたい。規約文書は、エパミノンダスどのの自筆なのですね?」


「えっ、まあ、ああいう大事な文書は、たいていあいつが自分で書きますから」


「ほう」


 レウクトラ戦線同盟規約文書がエパミノンダスの自筆だ、と確認をとったフレイウスは、一拍置いてから、低く凄みのある声を出した。


「ご存じでしょうが、我々アテナイはデルポイ・ボリスとは懇意こんいにさせていただいています。


 そして、スパルタでの平和会議の開催直前に、デルポイ使節団長に送られてきたデルポイ占拠の脅迫状。


 テバイ国内の平和会議反対分子から送られてきた、というあの脅迫状ですよ。


 平和会議決裂のあと、調査のためにあの脅迫状を、我らアテナイがデルポイ使節団長からお預かりしたのです。


 すると脅迫状の筆跡が、今回の、レウクトラ戦線同盟規約文書の筆跡と同じだ、ということがわかりました。


 つまり、平和会議直前に送られてきたデルポイへの脅迫状は、エパミノンダスどのがお書きになった、ということですか?」


 これを聞いたペロピダスは、口に入れようとしていたぶどうの粒を、ぽろり、と落としてしまった。


 ぶどうの粒はテーブルをコロコロと転がって、フレイウスの前まできた。


 フレイウスがそれを指先で、ピンとはじく。


 ぶどうの粒はペロピダスの酒杯に飛んでいき、ころりん、と見事に中に入った。


 口を半開きにしてそれを見ていたペロピダスを追い詰めるように、フレイウスが言う。


「デルポイへの脅迫状も、レウクトラ戦線同盟規約文書も、どちらもエパミノンダスどのがお書きになった、ということでよろしいか?」


 激しく狼狽しつつ、酒の酔いのため回転の鈍くなってきた頭で考え、答えようとするペロピダス。


「いや、それは、その、それは、規約文書はエパミノンダスが書いたのではないかも……」


 辛辣しんらつに細められる、あおの目。


「では、誰がレウクトラ戦線同盟規約文書をお書きになったのですか?」


「それは、それは……」


「デルポイへの脅迫状の筆跡と、レウクトラ戦線同盟規約文書の筆跡は、同じ。


 するとあなたがたに反抗し、デルポイ占拠の誤報ごほうを発したテバイ国内の犯罪者が、レウクトラ戦線同盟規約文書をも書いた、とおっしゃるのか?」


「いや、いや、その……」


「もし、犯罪者が書いたような規約文書であるならば、我らアテナイは、その内容と効力に大いに疑義を持たざるを得ませんが」


「いや、いやそれは、そういうわけでは……」


 答えにきゅうし、しどろもどろのペロピダス。


 その時、主賓しゅひん天幕の入り口の幕が引き開けられ、少しろれつの怪しい衛兵が大声で告げた。


「コロリントス……しつれい、コリントス軍総司令、プロクテーテスさぁま、おちゅきでございましゅう!」



――――――――――――――――――*



 【※うわばみ……蛇の呼び名の総称で大きな蛇のことを指します。 蛇が獲物を丸呑みするようにお酒をがぶがぶと飲むさまから、大酒飲み、酒豪という意味にも使われます】

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