予期せぬ展開 9 *

 プロクテーテスのぐちょぬる脂肪ハグの、次の生贄にされてしまった形の、フレイウス。


 それでも顔色ひとつ変えず、胸に片手をあてて一礼した。


「はじめまして、プロクテーテス総司令。お会いできて光栄です。


 フレイウスと申します。


 まだ若輩者じゃくはいものですが、どうぞよろしく」


 プロクテーテスはフレイウスを見て、脂肪がこぼれ落ちんばかりの笑顔を浮かべた。


「おおおう、おうおう! こちらはさらに一段とお若い。


 それに凛々しく、見目良みめよいおかたですなぁー。


 アテナイの氷の剣士フレイウスどのの噂も、このプロクテーテス、耳にしておりますぞ。


 剣にかけてはアテナイいちの、頭脳鋭く切れる氷の男とな!」


 プロクテーテスは両腕を大きく広げ、フレイウスがハグしに来てくれるのを待った。


 だが当然ながら来てくれなかったので、またもやゆさゆさ進んでテーブルを回り、脂肪による熱い抱擁ほうようを与えようとした。


 太い腕が伸びてきて抱きしめようとしたその瞬間、フレイウスがすっ、と一歩さがって、それをかわす。


 空振からぶりして、体の前で交差したプロクテーテスの両手を、素早く自分の両手ではさんでつかみ取り、胸の高さに持ち上げた。


 コリントスとアテナイの総司令官は、ハグのかわりに、胸の前で仲良く両手を取り合うような形になった。


 しかも、フレイウスが外側からはさんで握っているため、一見友好的なこの形を維持するかしないかは、フレイウスに決定権があった。


 プロクテーテスはフレイウスに手を取られたまま、脂肪の中の黒く丸い目をむきだした。


 凄まじく突き出た腹の許すかぎり、顔を近づける。


「おおおおおおおおおお!!


 いや――っ、はっはっはっはっ。 素晴らしい、実に素晴らしい!


 フレイウス司令、私はあんたの事がものすごーく気に入りました。


 たいした男だ。れするような、いい男だ!


 まだおひとりですかな?


 どうでしょう、うちの娘と一緒になりませんかな?」


 途端、巨大脂肪肉団子プロクテーテスの娘、を想像した天幕中の者が、ゔっ! と呻いた。


 立派にこらえて、表情を変えずにいるフレイウスを、全員が気の毒そうに見る。


 ペロピダスでさえ、脂肪ハグとは比べものにならない災難が降りかかりそうな男に、同情を含んだ視線を投げていた。


 まわりの反応にはお構いなしで、興奮した口調でまくし立てるプロクテーテス。


「フレイウス司令ならば、うちの娘とお似合いですぞ!


 きっといい夫婦になる。わしの目に狂いはない。


 ああ嬉しや! ついにうちのかわいい娘にぴったりの、良い婿むこどのを見つけた!」


 フレイウスは、心中でため息をつきながらも表面には出さず、とりあえずべたべたの脂肪ハグは回避できたようだ、と判断して手を離した。


 そして改めて、「婿むこどの」の件に丁寧なお断りの言葉を口にしようとしたが、その前に、鈴を振るような澄んだ声が響き渡った。


「おやめください、お父さま。


 みなさん、あきれ返ってらっしゃいます」


 そう言って、開けられたままだった主賓天幕しゅひんてんまく入口から、プロクテーテスの随行ずいこう士官らしい、すんなりと細い魅力的な少年上級士官が歩み入ってきた。


 前に、アルヴィがコリントス陣に行って偵察したときに、チラと見かけた少年上級士官がこの人物である。


 コリントスの上級士官革鎧と紐章を身につけた、きりりとした姿。


 短く切った黒髪に、聡明そうな美しい顔だち。


 濃い眉と黒い大きな目。意思の強さをあらわす引き締まった口許。


 プロクテーテスの存在感が圧倒的すぎ、天幕の入り口では巨大な脂肪の後ろに完全に隠れる形になっていたため、この少年随行しょうねんずいこう士官に誰も気づかなかったのだ。


 いや、少年ではなく……


 美しい随行ずいこう士官の入場に、プロクテーテスが誇らしげに告げ知らせた。


「紹介させていただきますぞ!


 我が副官にして、我が愛娘まなむすめ、ペイレネです!!」



――――――――――――――――*



人物紹介


● ペロピダス(32歳)……レウクトラ戦線、テバイ軍総司令官。

 女好き。威勢のいい女が好み。

 スパルタのアフロディア姫に熱を上げている。


● フレイウス(26歳)……レウクトラ戦線、アテナイ軍総司令官。

 『アテナイの氷の剣士』と異名をとる剣の達人。

 ティリオンの『第一の近臣』


● ギルフィとアルヴィ(19歳)……双子でフレイウスの部下。アテナイ軍士官。

 アテナイでは、ティリオンの近臣だった。


● マイアン(27歳)……アテナイ軍の軍医。心配性で気が弱い。

 アテナイでは、ティリオンの近臣だった。


● プロクテーテス(40代後半?)……レウクトラ戦線、コリントス軍総司令官。

 恐ろしく太っている。食べることと、ハグが大好き。


● ペイレネ(21歳)……レウクトラ戦線、コリントス軍副司令官。

 プロクテーテスの娘。

 かつてスパルタで人質時代を過ごしたことがあり、クレオンブロトス王と恋仲だった。

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