酒宴の始まり 7 *

 急にデルポイに話が飛んだので、アテナイから来たという青年兵は少しとまどった様子だったが、すぐに機嫌よく話してくれた。


「神託都市デルポイの街は、パルナッソス山のふもとにある。


 芸術の神々ミューズが住まわれるという、パルナッソス山さ。


 そのパルナッソス山の中腹に、太陽・医術・音楽・詩歌・予言・弓術などをつかさどられる、アポロン神さまの神殿があるんだ。


 アポロン神さまの神殿まで続く、聖なる道。


 各地から来る大勢の巡礼者たちが、神殿を目指して聖なる道を登っていく。


 そして聖なる道に沿って、財宝の蔵が並んでるんだよ。


 色々な都市国家が、アポロン神さまの神託に感謝して奉納した財宝の蔵なんだ。


 財宝の蔵の並びを見ながらもっと上にあがって行くと、円形神殿トロスがある。


 円形神殿トロスのあるあたりは、アテナ・プロナイアの神域だ。


 あ、プロナイアというのは「前に位置する神殿」という意味だよ。


 アポロン神さまの神域の手前にあるから、そう呼ばれてる。


 ここにはアテナ女神さまの神殿があるんだ。ここにも財宝の蔵が並んでる。


 アテナ・プロナイアの神域の北にはカスタリアの泉があって、巫女や巡礼者たちはここで沐浴もくよくをして体を清めてから、西のアポロン神さまの神域へのぼっていくんだよ。


 するといよいよ、美しい柱廊や立像テラスに並んだ大きな彫像が見えてきて、アポロン神さまの神殿に到着だ。


 そびえ立つドーリア式エンタシスの柱に支えられた、荘厳な神殿。


 デルポイの雄大な自然にかこまれた神殿の中は、高級な大理石づくりさ。


 大祭壇や、神殿各所にある装飾彫刻は、本当に見事な芸術品だよ。


 アポロン神さまの神像はもちろん、神々こうごうしいしね。


 豪華な貢物みつぎものもたくさん置いてある。


 神殿には、綺麗な巫女さんがいっぱいいるんだ」


「綺麗な巫女さん! 綺麗な巫女さん!


 あたしの母ちゃん……」


「え?」


「いえ、いえ、何でもないんです。


 ただ、デルポイって、アポロン神さまの神殿って、本当にすごいな――っ! って思って。


 はぁぁぁぁ――っ、行ってみたい。いつか絶対に行ってみたい!」


「う、うん、そうだね」


「あ、ごめんなさい……あの、次はアテナイの話を聞かせてください。


 アテナイは海も綺麗なんでしょう?」


「うん、アテナイの海はとても綺麗だよ。


 沖はサファイアブルー、浅瀬は澄んだエメラルドグリーンに輝いていて、白い石灰岩の岸や砂浜とのコントラストが、それはそれは素晴らしく美しいんだ。


 澄んだエメラルドグリーンと清らかな白のコントラスト……


 まるであのかたのように、素晴らしく美しい……早くアテナイにお戻りいただかないと」


「え?」


「い、いや、何でもないよ。


 まあとにかく、アテナイは海の奇麗な国だよ。


 以前はよくみんなで泳ぎにいって、すっごく楽しかったなぁ。


 フフッ、僕の兄貴は、小さい頃は泳げなくてね。


 石っころ、ってあだ名をつけられたりしたんだ。


 今では泳ぎはできるけど、頭はやっぱりおかたい石頭なんだ、ハハハハッ」


「お兄さんがいるんですか?」


「うん、見た目はよーく似てるけど、僕と違ってひどくおかたい奴でね。


 好きながいても、ただ見てるだけで声もかけられないんだ。


 でもそんなんじゃ、気持ちは伝わらないよね?


 だからじれったくなって、僕がかわりに声をかけて、デートの約束までしておいてやったんだよ。


 へへッ、僕たち兄弟はそっくりだからさ。


 ところが、声をかけてデートの約束までした女の子が、人違いだったんだ。


 まさかあの目立つかわいこちゃんの隣にいた、地味じみぃなの方が好きだったなんてなぁ。


 いや、地味娘じみこちゃんも可愛かったんだよ。


 でも、陽気で明るいのそばでひっそりしてたからさぁ、間違っちゃって……


 うはっ、この話はちょっとヤバイからもうよそう。


 他に、アテナイについて聞きたい事ある?」


「えーと、大きな港があって、船が沢山、水鳥の翼のように白い帆を広げて、遠くの海からどんどんやってくる、という話を聞いた事があります」


「そうそう。アテナイは水上貿易が盛んなんだ。


 いろんな国の船がいつもピレウス港に出入りしていて、ピレウスの港町はとっても賑やかなのさっ。


 港の市場には、遠い国の珍しい品物がどっさり降ろされる。


 その品物を眺めてるだけでもすごく面白いんだぜ。


 たとえばねえ……」


 人なつこい性格らしいアテナイ青年兵の話に、いつしかレジナは、菫色すみれいろの目を輝かせて聞き入っていた。



―――――――――――――――――――*



【※ドーリア式……古代ギリシア建築における建築様式のひとつで、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要な様式に位置づけられます。ドリス式、ドリス様式とも呼ばれています】


【※エンタシス……建築において円柱下部もしくは中間部から、上部にかけて徐々に細くした形状の柱です。中央部が一番太い場合もあります。


 エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐな円柱よりも安定して見える錯覚を生むため、巨大建築物の柱に用いられ、現代の建築でも使用されています】

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