酒宴の始まり 5 *

「だめじゃないか、あんたはあんな目立つことしちゃ!」


 厨房ちゅうぼうになっている天幕の隅で、レジナは、青いヴェールのティリオンを叱った。


「せっかくうまく厨房係になれたんだから、ここで大人しく芋の皮をむいてるんだよ、って言ったのに」


「でも、レジナ……」


「こらっ、喋ってもダメだろ! 声で男ってばれちまうじゃないか。


 足も両膝をこう、ぐっと寄せて内股にしておきな。


 脇はしめてひじを体につける、そうそう。


 自分で意識して、なよなよっとした動きにすんだよ。


 男っぽい動きは絶対だめだからね。ばれるよ。


 体の輪郭は変えられないんだから、女らしい動きでごまかすんだ。


 それから、そんなに焦んなくても、もっとみんなに酒が回って酔っぱらってきたら、色々と調べる機会はくるからさ。まだ外へ出ちゃだめだよ」


「……ん……んんん」


 喋ることができないので、ティリオンは手振りで、水を汲みに行った理由を説明しようとした。


 首をかしげるレジナ。


「え? なんだい? 何が言いたいかわかんないよ。


 ああ、胸がずれて左右段違いになっちまってるね。直してやるよ」 


 丸いパンをふたつ、布で巻きつけてふくらませているティリオンの胸を、レジナはごそごそ整えてやった。


 意思疎通ができていないレジナとティリオンの所へ、太った女がやって来た。


 だみ声で言う。


「おーや、もう大樽の水くみは済んだのかい?」


 振り返ったレジナの前には、それこそ大樽に手足がついたような女が、下唇を意地悪そうに突き出して両手を腰にあてて立っていた。


 隣村の、レジナの大嫌いな女だ。


 大樽女は言った。


「やけに早いねぇ。ちゃんと大樽に一杯にしたんだろうね」


 レジナの目がきりりとつり上がる。


「あんたかい、このに水くみを言いつけたのは。


 勝手なことをしないでおくれ! このはね、体があんまり丈夫じゃないんだよ」


 大樽女は、レジナの後ろで、できるだけ小さくなってうつむくティリオンを、わざとらしく上から下まで眺め回した。


「そんなでかい図体してて、体が弱いなんてはず、あるもんかい!


 こんな背の高い女、ここいらじゃ見た事ない。いったいどこの誰なんだい?!


 妙ちくりんな恰好して顔まで隠してさ、気取ってんじゃないよっ」


 ティリオンの顔を隠すことにしたのは、レジナが化粧をしてやった彼が、あまりにも美しくなりすぎたためである。


 化粧、とはいっても、奴隷村にたいした物があるわけではなく、植物を原料にした口紅と、煤や炭を原料にしたアイラインとアイシャドーをつけてやっただけだ。


 けれどそれだけでも、生来の美貌に妖艶ようえんさまで加わった彼は、ただならぬ魅惑の美女になってしまった。


 男である、と見破られるのもまずいが、本人も言っていたようにこれは「災難にあう。悪いことが起きる」とレジナも危険を感じた。


 出かける時間になってしまったので、とりあえず紫の巫女服の衣装箱にあった青いヴェールをかぶせて、隠して行くことにしたのだった。


 レジナは懸命に考えて、言い訳した。


「えっと、このは……


 あ、あたしの、母方のいとこで、こないだデルポイ近くの村から来たばかりなんだ。


 デルポイじゃこうするのが今、流行りなんだよ」


「デルポイだってぇ? こうするのが流行りだってぇ?」


 改めて、うさんくさそうに大樽女がティリオンを見る。


 ばれるのではないか、と心配して、ふたりの間に立つレジナが背伸びをして睨みつけ、大樽女の注意を自分に引きつけた。



―――――――――――――――――――*



人物紹介


● レジナ(16歳)……テバイポリスの奴隷村に住む、赤毛の少女。

 ティリオンに一目惚れをして、危険を冒してかくまっている。

 自分の母が、デルポイのアポロン神の巫女みこ だと知って、大きな誇りと活力を持った。


● ティリオン(19歳)……かつて、自分の父親の将軍長アテナイ・ストラデゴスを斬る、という大事件を起こし、アテナイ軍を振り切るため、スパルタに逃げ込んだ美貌の青年。


 命をとりとめた父親とアテナイ側の意志で事件はもみ消されているが、本人は知らない。


 スパルタ王女アフロディア姫と恋に落ち、『レウクトラの戦い』でスパルタが敗戦したため、姫を連れて逃げている。

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