隠れ家(かくれが) 3 *

 えて 本領を発揮した軍事国家スパルタ王女の迫力に、がたがた震えているソリムをそのままにして、アフロディアは子供部屋に駆け戻った。


 次に出てきた時は、髪をポニーテールにきりりと結い、この家にあった木工用の小刀こがたなを腰につけていた。


 ソリムに向かって命じる。


「急げ、テバイ陣まで案内しろ!」


「えっ、ええっ?」


「心配するな、案内だけだ。


 陣へは私ひとりで潜入する。早くしろ!」


「えっ、でも僕……僕……」


 どうしていいか分からず、おろおろするばかりの怖がりのソリム。


 アフロディアはせわしげに舌打ちして、言った。


「チッ、おまえでは所詮しょせんその程度か」


 そして早足でひとり、暗い戸外へ向かった。


 黄金の髪の王女に「おまえでは所詮しょせんその程度か」と言われたソリムは、自分でも思いがけぬほど強いショックを受けていた。


 危ないことは避ける、怖いものには近寄らないようにする、が信条だった臆病な少年ソリム。


 ところが今、自分のなかに、いままで感じたことのなかった熱く強い気持ちが湧き上がってくるのを感じた。


 負けん気と勇気が。


 金色のお姫さまをひとりで行かせてはいけない、という気持になった。


「待ってっ、姫さま、僕も行きます!」


 夢中で叫んで立ち上がり、後を追おうとしたソリムだったが、それもつか、すぐに驚愕して立ちすくむことになる。


 背の高い男がひとり、戸口に立っていた。


 長い漆黒の髪。冷たいあおの目。


 身に着けているのは、明らかに高級そうな肩布と革鎧だ。


 男は腕に、ぐにゃりとなったアフロディアの体を抱えていたが、自分でもそれに驚いているように見えた。


「フレイウスさま、台所には誰もいません!」


「台所の横の小部屋にも、誰もいませんでした!」


 急に後ろでふたつの声が上がり、ソリムは飛び上がった。


 振り向くと、短い栗色の髪の青年兵がふたり、台所から出てくるところだった。


 ふたりの青年兵は鏡にうつしたようにそっくりで、ソリムは、怖いやら仰天するやらで、目玉をぐるぐるきょろきょろさせた。


 長い黒髪のあおの目の男が、姫をかかえたまま顎で、居間の横の姉弟きょうだいの寝室を示す。


 命令を受けた青年兵のうちひとりが、緊張感を全身にまとわせながら、すっと入っていく。


 しばしのち、出てきた青年兵は、残念そうに首を振った。


「だめです。ここも、誰もいません」

 

 と、台所の入り口を固めるように立っていた青年兵が、アフロディア姫を指さし、困惑した声で言った。


「えっと、あのぅー、フレイウスさま?


 ひょっとしてひょっとすると、そのかたは……」


 アフロディアをかかえている男が、頷く。


「ああ、アフロディア姫だ。


 家に接近していたら急に外に出てきたので、とっさに気絶させてしまった」


 姉弟きょうだいの寝室前にいる青年兵も、戸惑った声を出す。


「どうしてアフロディア姫がここに?


 これは一体、どうなっているのでしょうか?」


 あおい目の男は、苦々しい表情になった。


「姫のことはわからん……いや、大体の想像はついてきたぞ。


 これまでたりにしてきた、あのかたの女に対する恐るべき影響力。


 それとスパルタであのかたが、このアフロディア姫や赤いバンダナの士官と共謀し、我々を騙した事実をつきあわせて考えてみれば、こういう場合も十分ありうる、と予想しておくべきだったかもしれん。


 なるほど、これまで姫が見つからなかったのは、あのかたが隠したからだったか」


 眉間に皺を刻む、あおい目の男。 


「すると、まさかクレオンブロトス王もあのかたが隠しているのか?!


 肝心のあのかたご本人はどこだ。 まだここに戻っていないのか?


 あの赤毛の娘とはどんな関係なんだ? ふたりでどこへ走っていってしまったんだ?」


 そして男は、その冷たい目をじろりとソリムに向けた。


 ソリムは、背筋がピキーンと凍りついてしまった。


 男が低く言う。


「どうやらここで、しばらく帰りを待たねばならなくなったようだな。


 その間、この少年に詳しく事情を教えてもらうことにしよう。


 我々には、知りたいことがたくさんある」


 湧き上がった負けん気も勇気もすっかりえて、ソリムはへなへなと床に座り込んでしまった。



――――――――――――――――*



人物紹介


● ソリム(10歳)……テバイポリスの奴隷村に住む、赤毛の少年。

 レジナの弟。大人しくて気が弱いが、頭はいい。


● アフロディア姫(15歳)……ふたつの王家のある、スパルタ王国のアギス王家の王女。

 ティリオンの恋人。

 『レウクトラの戦い』でスパルタは敗戦。ティリオンに連れられて逃亡中だった。


【※二王制軍事国家スパルタには、アギス王家とエウリュポン王家のふたつがあります】


● フレイウス(26歳)……レウクトラ戦線、アテナイ軍総司令官。

 『アテナイの氷の剣士』と異名をとる剣の達人。ティリオンの『第一の近臣』


 ティリオンを保護するために追っているが、ティリオンのほうは、フレイウスが処刑をするために追ってきている、と誤解している。


● ギルフィとアルヴィ(19歳)……双子でフレイウスの部下。アテナイ軍士官。

 アテナイでは、ティリオンの近臣だった。

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