第十八章 隠れ陣

隠れ陣(かくれじん) 1

 外から聞こえてきたかすかなざわめきに、スパルタ・アギス王家の近衛隊長カーギルは、目を覚ました。


 まず、常にそばに置いている剣をつかむ。


 スパルタ人らしく鍛え上げた筋肉によって、肉食獣のように滑らかな一挙動いっきょどうで身を起こした。


 まだ包帯のとれぬ体ではあったが、『レウクトラの戦い』の戦場で、ティリオンに受けた治療が早く、また非常に良いものであったので、彼の傷は急速に癒えてきていた。


 主君クレオンブロトス王から「おまえが、最後のアギスを守るのだ」という王命を受けたものの、負傷してほとんど動けなくなり、王命をティリオンに託してアフロディア姫のもとへ走らせた、カーギル。


 自らは動けないまでも、接近してくる敵を迎え撃ち、足止めしようとその場で待ち構えていたところ、やって来たのはコリントスのペイレネと、彼女の率いる『なんちゃって部隊』だった。


 クレオンブロトス王と恋仲だったペイレネは、のろくさい父親が率いるコリントス本隊は放って、さきんじてレウクトラに到着したのだ。


 そして、内輪もめしはじめたテバイ軍とアテナイ軍の間隙をうまくぬって、クレオンブロトス王を救出するために突っ込んできていた。


 ちなみにこの内輪もめは、フレイウスが、スパルタに処刑される予定だったティリオンを捜すために、テバイ軍の追撃隊の前にアテナイ軍を横入よこはいりさせた、例の一件である。


 カーギルは、ペイレネとなんちゃって部隊に助けられた。


 そしてペイレネらに力をかりて、共にクレオンブロトス王を残してきた林に向かった。


 林の中、クレオンブロトス王の遺体を発見したペイレネは、悲鳴をあげ半狂乱になった。


 恋人の遺体にとりすがって泣き叫び、指揮をするどころではなくなった。


 かわりにパシオンが指揮をとり、悲しみのあまり自失状態のペイレネ、王の遺体はじめ、カーギルの弟クラディウスの遺体と他数体の遺体、生き残っていた負傷兵を回収して、退却して隠れた。


 『レウクトラの戦い』から5日後になる現在、カーギルは、ペイレネとペイレネを信奉するコリントス兵たちの助力によって、このかくじんにかくまわれている。


 行方不明のアフロディア姫を捜しつつ、スパルタの生き残った兵たちを集めている状態だった。


 ペイレネも、恋人を喪った心の傷は癒えてはいないものの、表面上は平静を保てるようになってきている。


 カーギルは枕の下から、弟クラディウスの形見かたみの赤いバンダナを取り出し、きりっと額に巻いた。


 簡易テントの外へ出る。


 すかさず、影のようにそばに寄ってきたスパルタ人の部下に、歩きながら小声で問う。


「どうした?」


「はっ、パシオンどのの部下の『なんちゃって部隊』の連中が、怪我人を運んできました」


「スパルタの生き残り……我らの仲間か?」


「いえ、違うようです。


 あの連中『女ふたりと思ったら、ひとりは男だったなんちゃって、信じられないよー』

などと言いながら、いつもの調子でおちゃらけて騒いでおります」


「何だそれは」


「事情はよくわかりません。


 運んできたのは部下だけで、パシオンどのもペイレネさまも、ご一緒ではないのです」


「……医師のヒッポナス先生は?」


「今、呼びにやっています」


 カーギルは、密集した木々の間の真っ暗なかくじんの内を、そこだけ、たいまつの明かりのちらほら動く方に向かって進んだ。


 数本のたいまつを持ってうろうろしているコリントス兵たちに、言う。


「たいまつは二本でいい。


 ほかは消すんだ。ここが発見されてしまう」


 残させたたいまつのうちの一本を自らが持ち、『なんちゃって部隊』のコリントス兵が馬から下ろそうとしている人物を、照らす。


 見知らぬ、赤毛の少女だった。


 気を失っている少女を抱いたコリントス兵が、言う。


「このはたぶん、大丈夫なんです。


 もうひとりが崖から落ちたので、大騒ぎして暴れて、気を失ってしまっただけなんです。


 けれど、崖から落ちたほうはかなり重傷です。出血がひどい。


 まだ息はあるが、早く医者に見せたほうがいいと思います」


「ヒッポナス先生を呼びに行かせている。もうひとりは、男なのか?」


「え、ええ。


 どうやら、そうだったようです、が……」


 あやふやなコリントス兵の返事に、カーギルは眉をひそめた。


 もう一本のたいまつに照らされて、そろそろと運ばれてくる担架たんかの方を見る。


 木の枝を切って布を渡して、急ごしらえで作ったらしい担架たんか


 そこに横向きに横たえられ、上にかけてある布にまで大きく血のにじんだ怪我人。


 止血のためか、頭に巻かれた布もぐっしょりと血に濡れている。


 こっちも赤毛か、と思ったほど血に染まった頭の下の、まれなる美貌の横顔を目にしたカーギルは、悲鳴のように叫んでいた。


「ティリオンどのっ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る