鍵をにぎる者 5 *
歩きながら話しているうちに、ペイレネとパシオンのふたりは、木々に囲まれた小さな丸い花園に出た。
太陽をほとんどさえぎるほど厚く葉の繁る木々の中で、そこだけはなぜか、ぽかりと空に向かって空間が開いていて、金色の日光が射し込んでいる。
陽の光あふれ花の咲き乱れる、その丸い広場の中央には、
クレオンブロトス王はじめ、クラディウスなど十数人。あの林で、かろうじて『なんちゃって部隊』が集めて持ち出せた限りの、スパルタ兵士たちの眠る墓であった。
墓の前で膝をつき、指を組んで、一心に祈りを捧げるペイレネ。
後ろで
暑さで王の遺体がいたみはじめ、それでも抱きついて離れようとしないペイレネを 説得して引き離すのは、大変だった。
『レウクトラの戦い』から三日目、ペイレネは、クレオンブロトス王を埋葬する際、王にかわって妹のアフロディア姫を捜し出して守ることを誓い、美しかった長い黒髪を切って、王の遺体と共に埋めた。
かわりに彼女の胸には、
パシオンは、小さくせつないため息をついた。
彼は、ペイレネを愛していた。
しかしその想いは、クレオンブロトス王が生きていた頃よりも、なぜかずっと叶う可能性がなくなってきたように思えるのだった。
やっと気が済んだのか、長い祈りを終えたペイレネが立ち上がった。
ふたりは今度こそ、
診療用のテントへ向かって歩きながら、ペイレネが言う。
「ねえ、どうしてカーギルは、『レウクトラの戦い』でアフロディア姫を連れて逃げた、という事以外に、ティリオンの事を何も教えてくれないのかしらね。
ティリオンはもちろん、私たちコリントス人ではないし、スパルタ人でもないことは確かだわ。
私がスパルタにいた頃、王宮にそんな人物はいなかった。
おまえの言うように、それほど飛び抜けて綺麗な青年なら、彼が平民だったとしても、長くスパルタにいた私が噂の一つも聞かないはずはないわ」
パシオンが頷く。
「ええ、私もそう思います。
ありゃ、噂にならないような美しさじゃないですよ。
男にしとくのはほんとに惜しい。
でも女でも、争いの原因になるほどの美女、ってことでやっぱりまずいかもしれません。
実際に昨夜は、テバイとアテナイの間の紛争の火種になりそうでしたからね。
あの見た目じゃ、一般社会で普通に生きることはかなり難しいでしょう。
あの年までよく無事に育ったもんだ。
あの凄い剣技と
ああいうのは、あんまりうろうろ出歩かないでほしいですね。
本人にはそのつもりがなくても周りがほっとかないから、色々な問題や事件の起きること、目にみえてますしね」
「そんなに綺麗なの? ちょっと大袈裟なんじゃない?」
「いやいや、大袈裟とは思いませんね。
商品でいえば、特A級の特注品。百年に一度、出るか出ないかの上玉だ。
見にきて決して後悔させない。後悔させたらお代は返すよ。
見てらっしゃい寄ってらっしゃい、目の保養はもちろん、金運招来、無病息災、流行りの話題にも、ぜひおすすめですよお客さん! てなもんで」
「へぇ、凄いんだ。
ヒッポナス先生の許可がおりたら私、すぐ見にいこうっと」
「おやおや、悲しいなぁ、ペイレネさまもしょせんミーハー女子のひとりか。
男は顔じゃない。むしろ美男でないほうが味があって好き、という境地にまで至ってらっしゃらないとは。
そんなこと言わないで、俺たちみたいな平凡な男にも、生きていく望みを与えてくださいよう」
「何よ、おまえが興味をそそる宣伝のようなこと、言ったからじゃないの。
だから早く見に行きたくなったのに」
パシオンは笑った。
「はははははは、すみません、そうでしたね。
わたしゃ悪徳商人の息子なもんで、つい宣伝しちまうんです」
――――――――――――――――――*
人物紹介
● パシオン(28歳)……コリントス軍、第
『なんちゃって部隊』の隊長でもある。良い声をしていて、話すのが得意。
ペイレネを愛している。
● ペイレネ(21歳)……レウクトラ戦線、コリントス軍副司令官。
プロクテーテスの娘。
かつて、スパルタで人質時代を過ごしたことがあり、クレオンブロトス王と恋仲だった。
● クレオンブロトス王……二王制スパルタの、アギス王家の王。
スパルタの
ペイレネ嬢と恋仲だったが、『レウクトラの戦い』で、戦死。
● クラディウス……カーギル近衛隊長の弟。アフロディア姫の幼馴染。
『レウクトラの戦い』で、戦死。
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