踊り子 8

 スパルタに人質としていたことをバラされて、周章狼狽しゅうしょうろうばいするペイレネが、脂肪だらけの父親の腕をぐいぐいと引っ張る。


「お、お父さまったら、どうしてそんなっ……! !


 そんなことまで話すなんて、信じられない! やめてください!!」


 重量級のプロクテーテスは引っ張られても平気で、知らん顔で、ちーん、と手巾ハンカチで鼻をかんで続けた。


「そうなのです。みんなスパルタがいけないのです。


 野蛮で乱暴で凶悪なスパルタがいけない。


 あそこで変なことばかりおぼえて帰ってきまして、それが原因で、いつまでたっても女らしくならな……」


「ももも、もうしゅあげまひうっ!」


 その時、入って来た衛兵の声で、プロクテーテスの話が途切れた。  


 重要な話に水をさされたペロピダスが、不機嫌な声で怒鳴る。


「なんだっ!」


「はひっ、たいひぇんなことがおこっていましゅ」


 と、報告する衛兵は、せんだってペロピダスが、轟音ごうおんのような歓声に中央広場の様子を見てこい、と命じた、酩酊めいてい状態の兵である。


 いらいらした声で、ペロピダス。


「だからなんだ、早く言え!」


「ひょとのえんかいじょうで、おんなをとりあいして、けっとうになっていましゅ」


「うううっ、この大事な時にいっ。しょうのない奴らだ。


 いいから、おまえらの中の誰かで止めさせろ。


 どうせ酔っ払ってのことだろうが!」


「しょれが……


 ちょと、われわれでとめるのは、あれはむり、ちゅうか、むつかしいので。


 どうしよか、とおもて、ほうこくにきましゅた」


「どうしたんだ? はっきり言え!」


「はひっ、けっとうしてるのは、かたてくまおとこ……いえ、おとうとしゃまのダリウスしょたいちょと。


 そこにおられるおきゃくーさん、あわてない……あてない、のぉかたと、びっくりしゃんの……ふぇ、そっくりしゃんのひとなのれす」


「なにいっ?!!!」


 顔色を変えてペロピダスが立ち上がり、同様に顔色の変わったフレイウスとギルフィを鋭く見た。



                 ◆◆◆



 踊り子によって喉に剣を突き刺され、テバイのダリウス小隊長が殺された中央広場は、恐ろしい静寂に包まれていた。


 衝撃の結末に、愕然とする兵士たち。


 やがて、恐怖に満ちたざわめきの波紋が、じわり、じわり、と広がっていく。


「ダ、ダリウスしゃまが……」


「た、たたたた、たいへんら」


「しんで、しんで、死んで、る」


 ざわめきは、徐々に次の意思を帯びて大きくなってゆく。


「た、たいへんだ。だれかあいつを、つかめーろ」


「つかめーろ、お、おどりこを」


「はやく、だれか、はやく」


 だが、誰も捕まえようとしない。


 この場からの脱出も自らの命もすでにあきらめ、右肩を押さえて虚脱した表情で立ちつくすティリオンに、誰も近寄ろうともしない。


「お、おれは、剣をもってないよぉ。おまえいけよぉー」


「おれもどっかに、おっことしてきたんだよぉー」


「おれは、たてねぇ……」


 あの凶暴ダリウスを倒した踊り子への恐れもあったし、痛飲で酔っ払って、自分の足元すらおぼつかない者がほとんどだったのが原因だった。


 実はこの時点で、中央広場でまともに考え行動できる状態にあったのは、一連の争いには関係のない、コリントスの兵たちだけだったのだ。


 正確には、ペイレネの連れてきていた『なんちゃって部隊』だけだったのである。


 そこへ、ひづめの音も荒々しく一頭の馬が飛び込んできた。


 テバイ陣の馬場から馬を持ち出し、手綱を握っているのは、赤毛の少女レジナ!


 彼女の父親……スキタイ人は、黒海北岸からカスピ海北岸のヴォルガ川までの草原地帯で活動していた遊牧騎馬民族で、 高い騎馬技術を持っていた。


 スキタイ人傭兵ようへいだった父親は、娘に武術こそ教えなかったものの、遊牧騎馬民族スキタイ人なら生きていく上で欠かせない馬の乗り方は、きちんと伝授でんじゅしていたのだ。


 レジナは馬上から、死に物狂いの形相で叫んだ。


「乗ってっ!!」


 ティリオンがはっと我に返り、倒れたままのアルヴィに懸念の視線を飛ばす。


 レジナが悲鳴するように、また叫ぶ。


「はやくっ、はやく乗って――っ!!」


 アルヴィの容体にうしろ髪を引かれながらも、右腕のきかないティリオンが助走をつけ、馬の尻に左手をついて跳ねて、レジナの後ろに飛び乗る。


 最後のピンが外れて、頭の青いヴェールが中空に舞った。


 ひらひらと落ちた青いヴェール一枚を残し、赤毛の少女と踊り子を乗せた馬は、酔っ払い兵士たちが呆然と見る中を走り去っていった。

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