予期せぬ展開 4 *

 ティリオンは、自分の目で見たことや、スパルタのフォイビダス将軍とテバイの隻腕熊男くまおとこの密談で聞いたこと、女たちの噂話うわさばなしを総合して考えた。


 (すると、テバイの熊男くまおとこが王の腹を刺し、王が熊男くまおとこの右腕を斬り落とした、というのが、戦場で起こったひとつの事実に違いない。


 いまだに王が見つかっていないのは、おそらく、戦場にいた誰かが王のご遺体を隠したか、または、生きている王を密かにかくまっている。


 それは、同盟国を疑って酒宴を開いたテバイ以外の国の者。


 アテナイか、コリントスの誰かだ。


 その誰かが王の行方を知っている。


 アテナイには王を隠す動機がないように思える。コリントスはどうだろう)


 そこまで考えてティリオンは、はっと息を飲んだ。


 1年足らず前、彼がまだスパルタ・アギス王宮の奥の貴賓室きひんしつでかくまわれて(閉じ込められて)いたとき、アフロディア姫の言っていたことを思い出したのだ。


 『コリントス人のペイレネは、二年前までここにいた。兄上と三人で、よく遊んだものだ』


 『人質ひとじちといっても全然そんな感じじゃなくて、とても気が合って、食事も、遊びも、武術訓練も毎日一緒にやったくらいだ』


 『ペイレネがここにいる間は、兄上はとても大切にしておられた。ペイレネが病気になったときは、寝ないで看病なさったくらいだ』


 『ペイレネは、もうずっとここにいたい、スパルタ人になりたい、と言っていた。ペイレネは最後まで、帰りたくない、と言って泣いていた』


 ティリオンは、芋をむいていた小刀こがたなを握りしめた。


 (王を隠す動機があるのは、人質ひとじちとして長くスパルタにいた、コリントス人のペイレネ、という人だ!


 彼女は、姫やクレオンブロトス王と仲が良かった。


 スパルタ人になりたい、とまで言っていた。


 人質ひとじち時代にスパルタで武術訓練も受けているから、レウクトラの戦場に来ている可能性はある。


 私が戦場で、カーギル近衛隊長の手当てをしたあと、急接近してきていたのは、コリントスの一部隊いちぶたいだった!


 もし、ペイレネという人が、あのあと戦場でクレオンブロトス王を見つけていたとしたら……)


 彼がそこまで考え進んだところで、だみ声が響き渡った。


「なぁにをぐちゃぐちゃと喋りまくってるんだいっ、おまえたち!」


 さっきの大樽女が戻ってきて、まわりを睨みまわしていた。


 大樽女の登場に、集まってお喋りをしていた女たちがあわてて散って、仕事を再開する。


 ティリオンも、芋の皮むきをせっせとやりはじめた。


 大樽女は偉そうな態度で皆に文句を言った。


「まーったく、この忙しい時にくっちゃべってばかりで、だめじゃないか。


 ほらっ、中央広場で酒が足りないってさ、持って行きな!」


 ひとりの娘のお尻を、ぴしゃりと叩く。


 叩かれた娘は、酒壺を持って飛び出していった。


 大樽女は、他の女たちの仕事を点検しながら奥までやって来て、ティリオンの前に立った。


 ティリオンがむいた芋を桶からひとつ取り上げ、子細しさいに調べる。


「へーえ、なかなかうまいじゃないか」


 芋を桶に戻し、立ち去らずにじろじろと無遠慮ぶえんりょにティリオンを見たあげく、変に優しい声できいた。


「あんた、とっても綺麗な目をしてるね。


 デルポイから来たんだって? デルポイで何してたんだい?」


「………」


 答えられないティリオンが黙っていると、女は、憎さげに顔をゆがめた。


「あたしが当ててやろうか。


 その変な恰好から言って、ディオニュソス神さま【※豊穣と酒の神】に捧げる踊りの、踊り子じゃないのかい?


 デルポイのディオニュソス神さまの祭りじゃ、女たちが変な恰好をして踊り狂うそうじゃないか」


 ティリオンはびっくりして、首を横に振った。


 ひとつは、自分は踊り子ではない、ということ。


 もうひとつは、大樽女が間違ったことを言っていたからだ。


 豊穣と酒の神ディオニュソス神を祝して、女たちがワインを飲んで激しく踊る『レナイア祭り』というのはあるが、それはデルポイの祭りではなくアテナイの祭りだった。


 だが声を出せない彼は、それはデルポイの祭りではない云々うんぬんを説明できない。



――――――――――――――――――*



【※『レナイア祭り』……ガメリオンの月、現代の1月にほぼ相当する月に開催されたワインの神ディオニュソス(豊穣と酒の神)を祝すのが、アテナイのレナイア祭りです。


 女性たちはディオニュソスの巫女として、ワインを飲みながら狂乱状態で儀式に参加したとも言われています】

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