予期せぬ展開 3

 テバイ陣の厨房ちゅうぼう天幕の中。


 小さな木箱に腰かけたティリオンは、自分のかわりに水くみにいったレジナの事を案じつつ、芋の皮をむいていた。


 厨房ちゅうぼうで料理をする女たちの噂話うわさばなしの声が、自然と耳に入ってくる。


 噂話うわさばなしの内容はやはり、この戦に関するものがほとんどだった。


「……んとこの息子は、軍にはいって手柄を立てて出世するんだ、って家を飛び出しちまったんだってさ」


「スパルタ兵の死体が、そりゃもうどっさり……」


「テバイ兵が、どさくさにまぎれて娘をさらっていっちまったんで、母親が泣きながらあとを追っていって……」


「そいつは傭兵ようへいで、入ってくるなり好き勝手をはじめて……」


「……でね、スパルタの王さまとお姫さまを、ずっと捜してるんだとさ」


 スパルタの王さまとお姫さま、という重要な言葉を聞き取って、ティリオンはちらり、と横目でそちらを見た。


 色の黒いやせた女が、色の白いぽちゃっとした女に話している。


「王さまもお姫さまも、今だにふたりとも行方不明なのさ」


「ええっ、戦で負けて死んじまったんじゃなかったのかい?」


「いやいや、それが違うんだよ。うまく逃げたんだとさ。


 戦いが終わってだいぶんたつのに、兵隊どもがちっとも引き上げないのは、それでさ。


 特に王さまの方はひどい怪我をしてたんで、おっんで、どっかの死体の山に紛れこんだんじゃないかって、そりゃもう念入りに、敵味方ぜぇーんぶの死体を調べたらしい。


 けど、やっぱ見つかんないらしいよ。


 だからふたりとも、うまく逃げたに決まってんだよ」


 色の黒いやせた女の説明に、色の白いぽちゃっとした女が感心して頷く。


「へぇーそうなんだー。王さまもお姫さまもうまく逃げちまったんだね」


 色の黒いやせた女は、感心されて得意げである。


「そいで、アテナイとコリントスのどっちかが、王さまとお姫さまを逃がしたか、かくまって隠してるんじゃないか、って疑われてんだよ。


 そいでそいで、このうたげで酒をたんまり飲ませて、酔っ払わせて、王さまとお姫さまの行方を喋らせようってことらしい」


 そこへ、厚化粧をした別の女が話に加わった。


「でもあたしゃ、あの片腕のない、毛むくじゃらのでかい熊みたいなテバイの兵隊が王さまを殺した、って話を聞いたけどねぇ」


 芋の皮をむくティリオンの手が、ぴくりと止まった。


 片腕のない、毛むくじゃらのでかい熊みたいなテバイの兵隊。


 彼にはすぐそれが、レジナの家で密談をしていた、テバイの隻腕の熊男くまおとこだとわかった。


 色の黒いやせた女は、ちっちっちと舌を鳴らして、手に持った包丁を左右に振った。


「違う、違う。


 確かにあの熊みたいな奴は王さまと戦ったけど、逆に王さまに腕を斬り落とされちまったのさ。


 だから片腕なのさ」


「そうかねぇ。


 何でも、王さまの腹をぶっすりと刺して殺した、って話を聞いたけどねぇ」


 と、厚化粧の女。


「いいや、王さまは死んでないよ。


 お姫さまをつれてどっかへ逃げたのさ。だから死体がないんだよ」


 と、色の黒いやせた女。


 別の女が横から口をはさんだ。


「じゃあ、どこへ逃げたんだろう?」


「ねえねえ、ちょっとー。


 あたしはコリントスが王さまの死体を隠してる、って噂を聞いたよー」


 さらに別の女が話に加わり、みんなで集まって声高こわだかな議論となってきた。


「あたしは王さまは生きててアテナイが隠してる、って思うね」


「いいや、隠してるのはコリントスさ。


 お姫さまと一緒に捕まえてるんだ。身代金を取るのが目当てなのさ」


「違うよ、王さまもお姫さまもふたりとも、とうにスパルタに逃げ帰っちまったのさ」


 女たちの話を聞いたティリオンの、芋の皮をむく手は完全に止まっていた。


 クレオンブロトス王の腹部の深い刺し傷は、王の言葉に従ってアフロディア姫を連れて逃げる前に、彼自身が医師としての目で見て確認していた。


 それと、クレオンブロトス王がテバイの熊男くまおとこの右腕を斬り落とした、という話は、レジナの家のはりの上で聞いた密談で、隻腕の熊男くまおとこ自身が、


 『この右腕の仕返しに、奴の右腕を切り取って、いただく』


 と、言っていたので、まず間違いなかった。

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