第十章 タンポポ頭

タンポポ頭 1

 それは、とんでもない邪魔者だった。


 フレイウスが赤毛の娘の家に向かうべく、ギルフィとアルヴィ、選ばれた10騎の兵士、そして自分の義兄あにでもある軍医のマイアンを連れ、陣の外へ踏み出した途端だった。


 遠く道の向こうから、数騎の騎兵たちがやって来る姿が見えた。


 先頭のフレイウスは片手を挙げ、隊を止まらせた。


 軽く緊張して、茜色あかねいろのさし始めた空を背にして、こちらへやって来る騎影を目をこらして見る。


 間もなく、テバイ騎兵の一団であることが確認できた。


 そして、そのテバイ騎兵に守られてやって来るのが、細かい巻き毛の黄色いタンポポ頭の人物であることがわかると、フレイウスは驚き、めったに見せない激しい不快の表情をあらわにした。


 フレイウスのすぐ後ろについていたギルフィとアルヴィも、げぇっ、と喉を鳴らした。


 ふたりとも片手で口を押さえ、吐きそうな顔をしている。


 それとは逆にタンポポ頭の人物は、フレイウスたちの姿に気づくと、えへらぁ、と口もとをだらしなく緩め、馬にむちをいれた。


 護衛の兵を置き去りに、よだれの筋を引いているような顔つきでみるみる駆け寄ってくる。


 護衛の4騎のテバイ騎兵も、あわてて後に続いた。


 フレイウスの前まで来ると、息を切らせながらも、タンポポ頭は非常に嬉しそうにハァハァと笑った。


 必要以上に馬を近づけてきて、くねくねと身をよじる。


「お久しぶりでぇーす、フレイウスさまん♡


 この私を、憶えておいででしょうねん?」


 フレイウスは、いつもの対外用の冷たい無表情に戻っていたが、声には嫌悪の響きを隠さなかった。


「まさかあなたが、レウクトラに来るとは思いませんでした。ネリウスどの」


 挨拶ぬきの、突き放すようなフレイウスの口調にも、ネリウスは一向に頓着とんちゃくしない様子である。


「んふふふふっ、フレイウスさまん♡


 他ならぬあなたが、アテナイ軍総司令官としてこちらにいらっしゃると聞いて、私がじっとしておられるものですか。


 あなたさまのお姿をを一目でも見られるのなら、戦場へだってどこへだって、飛んでいきますよん」


 そうして、いかにも何気なさそうに手をのばし、フレイウスの肩に触れようとした。


 さっ、とフレイウスが素早い動きでそれを避ける。


 左手が腰の剣をつかみ、親指が鯉口こいぐちを切った。


 アテナイの氷の剣士の端正な無表情の上に、ぴん、と一本張られる殺気の糸。


 美男とみれば見境みさかいのない貪欲な同性愛者ネリウスも、さすがにぎょっとして、馬を下がらせた。


 わざとらしい高笑い。


「ほ――っほっほっほ、フレイウスさまんったら、相変わらず冷たい、お、か、た。


 でも、そこがたまらないんですよねぇ。もぉぉっ、ゾクゾクしちゃいますぅー」


 手綱を握ったままの両手を顎の下にあて、媚びるように体を震わせてみせたあと、ネリウスは双子を発見し、大きい声を出した。


「おおおおおっ! そこにいるのはギルフィとアルヴィではないかぁ。


 憶えているかい? ほらぁ、私だよーん。


 愛の詩人、情熱の狩人かりうど、悦びの使者、ネリウスさんだよぅー。


 いやはや、ふたりともずいぶん大きくなったなぁ。


 アテナイ以来、4年振りだものなぁ。


 ああん♡ 私のかわいい坊やたちぃ、元気にしてたかい?」


 双子はあからさまに嫌な顔をして、首をすくめた。


「うげっ、思い出したくもない」


「きしょっ、二度と見たくなかった」


 それぞれつぶやくと、隊の中に馬を下がらせる。


 それでもネリウスは、ずうずうしく隊の中にまで割り込んでいく。


っ少年からっ青年へと、予想通りに成長してくれて嬉しいよん。


 やっぱりアテナイは、美しい男たちの宝庫ほうこだぁー。


 んああああ、はぁーっ、楽しかったアテナイでの日々を思い出すよ。


 まるで天国にいるように、美しい男たちに囲まれた素晴らしいあの日々。


 あの素晴らしい日々をもういちどぉぉ。


 さあ、私の愛しい坊やたち、もっと私に甘えておくれー。


 このネリウスさんの胸に、遠慮なくとびこんできておくれぇー!」


 みだりがましい笑いを満面に浮かべ、「ぎゃーっ!」と叫んで逃げ出した双子の後を追う。


 この男、テバイのペロピダス総司令官の次弟、29歳のネリウスは、諸ポリスの間でもかなり悪名高い、非常識で見境のない同性愛者である。


 ギルフィやアルヴィのようなかわいらしい美青年は、まさに猫にかつぶし状態だった。

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