ひとつの出発 3 *

 テバイ本陣の酒宴にもぐり込む、というレジナの提案を、ティリオンは素早くかつ慎重に吟味ぎんみした。


 (三軍の長が集まる酒宴というのは、確かにチャンスだ。


 危険ではあるが、一度に大量の情報を仕入れられる。


 ただ私の場合、アテナイ軍の顔見知りにうっかり発見されたりすると、非常にまずい。


 総司令官の集まる主賓天幕には、無論のこと、近寄らないにしても……


 おそらく、テバイ陣内の偵察を命じられ、あちこち歩き回るであろう総司令官の随行ずいこうの兵が、私にとって危険な存在になるだろう。


 総司令官によって随行ずいこうの兵も変わってくる。


 アテナイ軍の総司令官は誰だろう?


 今回の戦の規模からいって、当然、将軍位等級ストラデゴイ・クラスだ。


 ロドス将軍か、ハグノン将軍か、あるいは若手のマシリウス将軍かもしれない。


 オレステス将軍はまず来られない、父上は……)


 切り裂かれるような胸の痛み。


 (父上は……もし生きておられたとしても、かなりの重傷のはず。


 国元くにもとでオレステスの補助が必要だ。


 亡くなっていれば、後の氏族組織を束ねられるのはオレステスだから、なおさら来られない。


 オレステス総司令官とその随行ずいこうとしてフレイウスが来る、などというのであれば、怖すぎてとうていこの案には乗れないが、どうやらそれはなさそうだ。


 フレイウス自身はまだ若いから、将軍位ストラデゴイにつける年齢ではない。


 アテナイで最も身近にいたアンティオキス家系統の氏族兵がいないのなら、変装して目立たないようにしていれば、なんとか誤魔化せるかもしれないな)


「酒宴にもぐり込む……確かにそれはいい考えだと思います。


 でも私のような、男、も行っていいのですか?


 さっき、村の女が手伝いにいく、と聞いたように思いましたが」


 思案のあとそう質問してから、ティリオンは、ものすごくいやーな予感に襲われた。


 その、ものすごくいやーな予感の現実化を裏打うらうちして、値踏みするように、レジナがティリオンを上から下まで見る。


「いいや、男は呼ばれてない、女だけさ。


 酒宴が華やぐように化粧してこい、服も小綺麗こぎれいなもの着てこい、っていうお達しだから、料理を作らせたり運ばせたりするほかに、酒のしゃくでもさせるつもりなんだろうからね。


 でも、あんたならいけるさ、ティリオン。


 あんたなら、女に化けられるよ」


「ちょっと待ってください!!」


 ティリオンは、喉を締められたような声を出した。


「もちろん変装はするつもりでしたが、女装はいけません!


 私は、女のフリは駄目なんです。だから女装してはまずいんです。


 そのう……災難がふりかかるんです。 悪いことが起きるんです!


 非常にまずい。女のフリしては駄目だ。災難にあう。悪いことが起きる。


 女のフリはいけません、まずいんです。とてつもなく、まずい……」


 こめかみを青くして視線を泳がせ、小さく首を振りながら、


「いけません、まずい、災難にあう、あれはいけない、女のフリはだめだ」


 と、繰り返すティリオン。


 実は、彼はこれまでの逃亡中、二度ばかり女装……というか、やむをえず女のフリをしたことがあった。


 そして二度とも、とんでもないひどいめにあいそうになって、必死で逃げ出さなければならなかったのだ。


 事情を知らないレジナが苛立いらだたしそうに、どん! とひとつ足を踏み鳴らす。


「じゃあ、こんないい機会を逃すっていうのかい?


 酒盛さかもりにもぐり込む方法は、これしかないんだ。


 ちょっとの間、女のフリをするくらいどうってことないじゃないか!」


「しかし、しかし、私は、私は……」


「どうしてそんな恨めしそうな目で見るんだよ?!


 あたしゃ、好意で言ってやってるのに。


 時間がないんだ。さあ、やるのか、やらないのか!」


 きっぷのいい赤毛の少女に睨まれて、ティリオンは絶望感でよろめき、近くの椅子の背もたれをつかんで体を支えた。


 がっくり肩を落とし首を垂れ、避けて通れない試練に、しばらく無言で落ち込む。


 やがて、泣きそうな小さい声。


「…………………………やります」


「よっしゃ、決まりだ!


 ソリム、ミグのかみさんとトレットの娘んとこへ大急ぎで行って、酒盛さかもりの手伝いを替わってやってもいい、って言ってきな。


 ちょっとばかし金が入り用になったんだ、ってね」



――――――――――――――――*



【※アンティオキス家とは、アテナイの10人の将軍のひとりであるオレステス・アンティオキス将軍を当主とする、貴族の家です。


 オレステス将軍が氏族組織の重要構成員として育てた養子たちの中には、フレイウス、ギルフィ、アルヴィ、マイアンなどなどがいます。(詳細は、外伝)


 ティリオンがアテナイにいたとき、最も身近にいたのが、アンティオキス家のこれらの近臣たちです】


【※ロドス将軍、ハグノン将軍、マシリウス将軍も、アテナイの10人の将軍の名前です(外伝、で登場した将軍たちです)】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る