第九章 ひとつの出発

ひとつの出発 1

 レジナとソリムの姉弟きょうだいの家。


 アフロディアを眠らせて居間に出てきたティリオンは、テーブルをはさんでレジナとソリムの前に立ちつくし、うなだれるしかなかった。


 ダリウスが壊した椅子は片づけられてもうなく、残り5つのうちの2つに姉弟きょうだいが並んで座っている。


 レジナは仏頂面ぶっちょうづらをしてテーブルに頬杖ほおづえをつき、ソリムはその隣で酢を飲んだような顔をして、かしこまっていた。


 気まずい沈黙が流れ、やがてレジナがぼそぼそと言う。


「スパルタのお姫さま、とはねー。こりゃまいった」


 答えるティリオンの声は、弱々しい。


「すみません。


 あの時、姫さまの容態がとても悪くて、介抱かいほうできる屋根のある場所がどうしても欲しかった。


 けれど、牛小屋にいる所を見つかってしまって。


 それで、本当の事を言ったら追い出されると思ったので……」


「あたりまえだよっ!」


 レジナは、くせのある赤毛を右手でくしゃくしゃとかき回した。


「まーったく、なんてこったい!


 よりにもよってスパルタのお姫さまだなんてっ。


 今、いーっちばん、かかわり合いになりたくない危ない奴じゃないか!」


 ティリオンは、ペコペコと何度も頭を下げた。


「すみません、すみません、すみません。


 心から申し訳ないと思っています。どうもすみません」


 怒りの声で、レジナ。


「あやまってもらったって仕方ないよ、今さらっ!


 ったく、ただのスパルタ兵だ、ってだけでも危ないってのに。


 で、あんた、あんなお姫さまなんか連れてどうするつもりなんだい?


 あんなのと一緒じゃ、とうてい逃げ切れやしないよ。


 あんたも捕まって、殺されちまう……」


 ここで急にレジナは口ごもり、それから、言いにくそうに切り出した。


「ねえティリオン、スパルタのお姫さまを助けるなんて、そんな大それたことは無理だよ。


 こんなに兵隊が捜してるんだもの、いずれは必ず、見つかっちまう。


 わ、悪いけど、お姫さまには出ていって欲しいんだ。


 そりゃ、そりゃ可哀相だとは思うよ。


 可哀想だとは思うけど……あたしらだって、あんなのかくまってるの見つかったら命がやばいんだからね!


 でも、お姫さまは無理だけど、ティリオン、あんただけなら、ね、わかるだろ?


 ただの兵隊のあんただけなら、何とか誤魔化してやれる。


 あたしらでも助けてやれるんじゃないか、って思うんだ」


 レジナの言葉に、ティリオンは表情を悲しく曇らせたが、声に迷いはなかった。


「おっしゃることはわかります。


 ご迷惑をかけて、本当にすみませんでした。


 けれども私は、姫さまのおそばから離れる気はありません。


 どうか、姫さまの目が覚めるまで待ってください。


 そうしたらふたりで一緒に出ていきます」


 途端に、レジナの声におびえが混じる。


「ふたりで一緒に出ていくったって……どこへ行くつもりだい?」


「それは、これから考えます」


 レジナはうめいて頭を抱え、テーブルに突っ伏した。


 ティリオンがとても心配そうに言う。


「……あの、どうしてもすぐに出ていかなくてはいけませんか?」


「………」


「姫はお薬を飲まれたばかりで、安静が必要なのです。


 もう少しだけ時間を下さい。


 姫が眠っておられる間にしたくをして、目覚められたらすぐに出ていきますから」


「………」


「お時間をください。お願いします、レジナさん!」


 銀髪の頭を低く下げるティリオン。


 ソリムが苦しげに目を逸らす。


 レジナはテーブルに突っ伏したまま、くぐもった声を出した。


「……ここにいていいよ」


「えっ?!」


 驚いて、ティリオンが頭を上げる。


 突っ伏していたレジナも、顔を上げた。


 やけくそぎみの口調で、怒鳴るように言う。


「乗りかかった舟だっ、しょうがないじゃないかっ !


 あんたらを捜してる兵隊が引き上げるまで、 ここにいていい、って言ってるんだよ!!」


「ね、姉ちゃん?!  それはちょっと……ちょっとその……あの……」


 あぐあぐとソリムが何か言いかけたが、非常に困った様子で下を向いた。


 ソリムは、アフロディテがスパルタ王女だ、ということは姉に話したが、ティリオンとアフロディア姫が愛し合っていることまでは、姉が可哀そうで話せていなかった。

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