第七章 獅子の行方

獅子の行方 1

 はりが何とか持ちこたえ、かろうじて危機を逃れたティリオンとアフロディア。


 はりからおりて、それでも警戒して子供部屋にじっとひそんでいたが、あたりに静けさが戻り、今回の危機を完全に脱したと信じられるくらいになると、アフロディアは我慢ができなくなってきた。


 なだめるティリオンにあらがって、兄王クレオンブロトスを捜しに行くと言ってきかなくなったのだ。


 いとしい兄を心配するあまり、居ても立ってもいられなくなって、外に行こうとするアフロディア。


 その気持ちは十二分じゅうにぶんに理解できるものの、彼女を外に行かせるわけにはいかないティリオンは、子供部屋の出入り口に両手を広げて立ちふさがった。


「だめです! 外に出ればすぐに捕まってしまいます。


 外には敵軍の兵が、まだかなりいるのですよ」


 肩をいからせて、アフロディアが言い返す。


「いいや! 敵兵がいようがいまいが、私は兄上さまを捜しに行く!


 ティリオン、おまえも見ただろう? 兄上さまはあんなひどいお怪我をなさっていたのだぞ。


 今もどこかに隠れて、痛みに苦しんでおられるかもしれない。


 一刻も早く兄上さまをお捜して、おたすけせねばならんのだ。


 おまえもそう思うだろう?


 おまえは医者でもあるのだから!」


「それは……」


 つらい表情になって視線を逸らせたティリオンの、身長の高い脇の下をするり、とくぐり抜け、アフロディアはすばしこく台所から裏口へ走ろうとした。


「あっ、だめですっ」


 ティリオンは大あわてで後を追い、裏口の手前でかろうじて彼女の腕をとらえると、ぐいと引き戻して、自分の体で裏口をふさぐようにたいを入れかえた。


 少女の二の腕を両側からしっかりつかんで、さとす。


「お願いですから、無茶なことはやめてください。


 おわかりでしょう? 今、お捜しするのは無理です、危険すぎます。


 もうしばらく時間をくだされば、何か良い手段を考えます。


 そしてこの私が、機会をうかがってお捜ししますから」


 けれども激情にかられているアフロディアは、ティリオンの手からのがれようとしながら大声を出す。


「機会をうかがう、など、そんな悠長ゆうちょうな事をしておれるかっ!


 すぐだっ! 今すぐ兄上さまを捜してたすけにいく!


 そしてあのフォイビダスの裏切り者め! 必ず命でつぐないいをさせてくれるっ。


 アゲシラオス王とても決して許しはせぬぞ、復讐してやる!!」


 ふたりの争う声と音を耳にして、レジナとソリムが居間のほうからやってきた。


 姉弟きょうだいふたりの視線と耳をも気にして、ティリオンはアフロディアを深く胸に抱き込み、ささやいた。


「わかりました、わかりました。


 お望みならそのこともいずれ決着をつけますから、どうか落ち着いてください。


 こんなところで大きな声を出さないで」


 しかし、興奮したまま首を振ってアフロディアはわめく。


「いやだ、いやだーっ! 私は今すぐ兄上さまをたすけにいく!


 はなせっ、ティリオン!」


「だめです、どうか聞き分けてください」


「ええぃ、はなせっ! はなせというのが聞こえぬかっ」


 抱きしめられたまま、アフロディアは怒ってのけぞって暴れ、足をばたばたさせてティリオンを蹴ったり、こぶしの届く範囲で殴りはじめた。


 それを見たレジナの顔が、たちまち険しくなる。


 ソリムは怯えて、姉の腰にしがみついた。


 レジナとソリムの姉弟きょうだいの前で争うアフロディアとティリオン。


「私は行く、絶対に行くぞ! はなせっ、ティリオン!」


「だめですっ、行かせません!」


「こいつ、こいつっ。はなせっ! はなさんかっ!」


「だめです! どうか我慢してください、ひ…」


 つい姫、と言ってしまいそうになるティリオンが、ぐっと言葉をのむ。


 だがアフロディアの方は、兄王の身を案ずるあまり完全に逆上していた。


 王女をやめる、とまで言った事すらすっかり忘れて、怒鳴り散らす。


「えええい、はなせ、はなせっ、この無礼者ぶれいものがっ !


 きさまのような理屈屋りくつや意気地いくじなしが、偉そうにこのスパルタ王女に指図さしずするでないわ!!」


 ぱしっ!


 短く鋭い音がして、アフロディアの声が途切れた。


 レジナとソリムが、ぎょっと目を剥く。


 アフロディアから体をはなし、彼女の頬を叩いた自分の右手を、ティリオンはしばし驚愕して見つめていた。


 つかの間、沈黙が流れる。


 やがてアフロディアの琥珀の目から、ぽろぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 床にぺたんと座り込むと、体をまるめてうつ伏せになり、両手の甲に顔を押し当て、うわぁぁぁん! と小さな子供のように泣きはじめた。


 ティリオンの震える声。


「ごめんなさい、ごめんなさい……アデア、ごめんなさい」


 もちろん、理屈屋りくつやとか意気地いくじなし、などと言われた事に腹を立てて手を出したのではなかった。


 アフロディア自身の口から王女である素性すじょうがばれそうになり、それを止めようと咄嗟とっさに手が動いてしまったのだ。

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